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あさの声たち。

この季節、明け方に目覚めてしまうことがある。
4時半だったり、5時だったり、時間はバラバラなのだが、まだ夏至を過ぎて間もなく、部屋がうっすら明るくなるせいだろう。
夜気で風邪をひかないように、と用心深く少しだけ開けた窓から、しずかな気配が部屋に入り込み、寝ている自分の鼓膜を、とんとん、と、そっと意識にノックしているのだろう。
覚えていませんか?と。

遠くから、うっすら、ぼんやりと、なにかがやってきて、じぶんのふところに場所を落ち着ける。ああ、そうか、自分は生きてるんだ、と気づく。今朝も無事に目が覚めた、と、ちょっと不思議な気持ちになる。毎朝のことだけど、この瞬間、いつも不思議な気持ちになる。
そのままベッドのうえでじっとしている。さまざまな音が聞こえてくる。しばらく音に意識を向けてみると、朝って、いろいろな音で構成されていることに気づく。

ざーっ、ともなんとも表現できない音がずーっと聞こえてくる。天気によって、風向きによって、日によってその音の大きさや明瞭さは異なっている。
まだぼんやりしている頭で考えてみるが、あれは遠くの車の音だ。
家から1キロほど離れたところを高速道路がはしっているのだが、高速道路を走る車たちの走行音が束になって風に乗り、たぶん、近くの家の壁に反射して、聞こえてくるのだと思う。

それから名前のわからない鳥のこえ。
ぎーっ、だったり、ちっちっ、だったり、ちちちちち、だったり、ちゃっちゃっ、だったりするが、時間を追うにつれ、にぎやかになっていく。
時折、ほほーほぅほぅ、という山鳩(キジバトというらしい)の声が聞こえる。
運がよければ、郭公の声を聞くことができる。文字通り、かっこう、かっこう、と、のどかな声を聞きながらベッドのうえで安らぐ時間は至福だ。

5時半には鐘楼の音が聞こえる。近くにお寺はないはずなのだが、いつも5時半ちょうどに鐘の音が数回、かすかに確実に聞こえる。お坊さんがどこかでこの音を鳴らしているんだな、と思うと、早朝からお寺参りをしているような錯覚に陥る。ベッドのうえで寝ぼけているだけなのに。

そうこうしているうちに6時を回った。
高速道路の車の音はさっきより厚みを増している。いくつか聞こえていた鳥の声は、ちょっと庶民的な声に変っている。山の鳥から町の鳥に?

窓をさっきよりもうちょっと開ける。あたりまえだけど、さっきより明るくなっている。猫が窓の桟に飛び乗り、外を観察し始める。

風が強く吹きはじめた。山あいのほうから風がかたまりになって、通り抜ける音。鳥の声がやんだ。風と風の合間を縫って、鳥がなおも鳴く。今日も曇天らしい。

いちにちがはじまるんだな。
からだが少し冷えている。
まだ白米や納豆を食べる気にはなれないから、めずらしくハーブティーでも淹れてみようか。
ハーブティーはからだを冷やすから朝より夜飲んだほうがいいよ、と聞いたことがあるが、なに、そんなことはかまわない。
今は、コーヒーでも日本茶でも紅茶でも、ましてや、炭酸水じゃないんだ。
今日の、たぶん少しあとにはきっと忘れてしまう一日のはじまりを、ハーブティーでささやかに過ごすんだ。

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