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「やりたいこと」の正体

キャリアアドバイザーにメンタルボコられたことを記事にしようと思ったけど、そのためには「私のやりたいことの正体は何だったか」に気づいた話をしなきゃいけない。だから、自分用に書き残したメモをもとに記事を書くことにした。

考えるきっかけ

7月に入ったばかりの頃、ある人に「勝ちしか楽しめないのと勝つのも楽しめるは違う」と言われてショックを受けた。その理由は2つあって、①共感しようにも楽しかったことがそもそも思い出せなかったから、②自分の性格(負けず嫌い)や存在意義(チームを勝たせるための己の存在)を否定された気がして悔しかったからだ。このことがきっかけで私は部バスケ部だったころのことを振り返ることにしたのだ。

目的と手段

当時はただただ目の前のことに必死だった。チームの目標があり、それを達成するためにどんな練習をして、どんな能力を身につけなければならないかと常に向き合っていた。期待されて羨ましいなんて抜かす人がいるけど、そんな人たちが妄想するように誰ものんびりと私の成長を待ってはくれない。常に「このヘタクソ!」と尻を叩かれ走ってハードルを飛び越えさせられている感覚だ。やっとのことでハードルを飛んでも、周囲は当然のようにそのハードルをさらに高くして「はよ飛ばんかい」と言った調子だ。そんな中で「私は何のためにバスケしてるんだろう」とか意味とか理由とか意義とか、そんなものをゆっくりと考えることはできなかった。


バスケを辞めると決めた時、周囲は猛反対した。「バスケをすることはお前にとって至上の目的だ。だからやる意味なんて考えるのはナンセンスだ」と言われた。これがとても苦痛だった。この「意味なんて考えるな」というのは割と社会に浸透している考えだとウメハラ氏の動画を見て知ることになった。


人生の目的とやりたいこと

今年の梅雨ごろにウメハラ氏のことを知り、彼のファンになった。彼の勝負やゲームへの姿勢はとてもかっこよくて尊敬してる。そんなある日こんな動画を見つけた。

(椅子にちょこんと座っていてなんだかかわいい)

ウメハラの父は「好きなことをやる暇があったらまず働け。生きていかなきゃいけないんだから」と祖父に言われて育ったという話を聞いて、普通の人にとって「生きることが目的で、ほかのことは余計なこと、オマケ程度」である。でも、何かやりたいことがある人にとっては「やりたいことをすることが目的で、そのために生きている」のであって「生きることは手段」だと気づいた。

つまり、「人間にとって生活をすること、生きていること自体が至上の目的だ。だから生きる意味や目的について考えるのはナンセンスだ」と考えるのが普通なんだそうな。

私は何かをする理由や意味を周りから押し付けられるのが嫌だった。だから「部活をする意味を問うな、部活こそ至上の目的だ」と言われるのが嫌だった。

このことから「私は何かやりたいことがある側の人間なのではないか?」と仮定し、私には「生きることは手段」だとして「その目的とは何か?」を考えた。自分にはひょっとしたら「やりたいこと」がずっとあって、今まで気づいていないだけだったのではないか?と思ったのだ。

「他人から文句言われずに好き勝手に生きる」ことか?
「海外で英語を使って働く」ことか?

………

思いついた目的は全部「何かから逃げること」だった。

就活がいやだから海外へ逃げ
日本の社会となじめないから海外へ逃げ
学歴社会が怖くて外大へ逃げ
バスケが辛くて英語へ逃げ

結局10年前から逃げてばかりだったことに気づいてしまった。私は「嫌なことから逃げる」という目的のために「生きる」という手段を取っていたのだ。そりゃ全力で生ききっている感じしないよな。

今まで気づかなかった理由

なんで10年も自分があらゆることから逃げていた事実に気づかなかったのか。それは自分の選択を正当化したかったからだ。正当化によってできた張りぼての自分に縋っていたからだ。

中学生の時、部活引退を機に私はバスケを辞めた。県内外の強豪校から特待のお誘いが来ていたが全部断った。たくさんの人の期待を裏切り、恩を仇で返すような真似をして辞めた。家族やコーチからは責められた。それでもどうしても辞めたかったから辞めた。そのことに対してずっと罪悪感を持っていた。当時は「周囲の期待が辛いから逃げたい」という程度しか周りに説明できなかった。


バスケを辞めてなお「自分はすべきことから逃げたダメな奴」という感覚が辛かった。その一方で、「私の人生なのに、自分の道を他人が選ぶのはおかしい」とも思っていた。自分にはバスケ以外にもできることがあるのに、と。成績だって悪くないし、ピアノだってできる。選べるものはいっぱいあるのに、なんでバスケだけを選ばないといけないんだ、と考えていた。

新しいことを頑張って「バスケをしていた時よりいい自分」になれたら、
周りも納得して私のことを許してくれるのではないかと思いついた。

だから、得意だった英語に逃げた。高校生で単身長期留学という挑戦をすれば、「ぽちまるはやりたいことがあって辞めたんだ」と納得してもらえると思った。

「褒められることがわかっているチャレンジは、チャレンジのふり」とウメハラ氏が言っていたが、この挑戦もまさしく「ただのチャレンジのふり」だったと今になって痛感している。

こうして私は英語で新たなアイデンティティを作りはじめた。「バスケで作られた自分より、優れた自分を英語で作らなくては」と思っていた。再三言っているが、周りに辞めたことを許してほしかったからなのだ。

だが正直なところ、辞めたこと(バスケから逃げたこと)を正当化したかっただけのだ。自分の選択を正当化するのに必死だった。

留学から帰ってきて家族や周りから褒められることが多かった。そのとき、私は「正当化に成功した」とももちろん思ったが、それ以上に「これが自分の本当にやりたかったことなんだ」と自分を騙すことに成功してしまった。

私は英語が好きなんだと本気で思いこむようになっていた。英語が自分の言語なのが当たり前になるほどに、英語アイデンティティは強固なものになっていた。

大学を鞍替えしたのも、口ではいろいろ説明したものの、結局のところ正当化によって作られたアイデンティティを補強するためでしかなかった。本当に頑張っているなら学歴で証明しないといけないと思っていた。半年の休学の末、私は外大に潜り込むことに成功した。自分の意思の力で勝ち取った合格だと思っていた。やりたいことを叶えたのだと思っていた。

「勉強したい」は自分の内から湧き上がった本心であると思い込んでいた。実際は学歴社会の影響を受けて、張りぼてのやりたいことを補強したに過ぎなかったのに。

自分はやりたいことが分かっている、自分の心の声を聴いている、だから自分の選択は必ず正しい。仮面浪人成功はその思い込みを作り上げる決定打となってしまった。


後悔したこと

何より後悔したのは、「バスケから逃げた理由」に向き合わず「バスケから逃げた理由からも逃げた」ことだ。当時の私の精神状態と周りの環境を考えれば、バスケから逃げたこと自体は仕方がないことだと思う。しかし、その後留学から帰ってきたタイミングできちんと「辞めた理由」と向き合うべきだった。留学に行って克服した気になっていたのはまずかった。


学んだこと

私にとって大切なのは「どれだけ取り組むか」であって「何をするか」で決めても仕方ないことが分かった。結局今までの人生で一番頑張ったと言えることはバスケで、辞めてからの10年でそれを超える努力をしていない。(単にバスケでめちゃくちゃな無理をしていただけなのかもしれないが。)

やりたいと思った英語でさえだ。少なくとも好きなことかどうかが全力を出すために必要な要素ではないことをバスケが証明した。



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