#53 知らない顔に

今から1週間前、7月3日に新札が社会に送り出された。新札では旧札から技術面で進歩したほかに、お札に描かれた偉人が変更された。新千円札は「武士道」を出版したことで有名な新渡戸稲造、新五千円札は津田塾大学を創設し日本での女性の高等教育に注力したことで有名な津田梅子、新一万円札は明治大正時代の実業家として有名な渋沢栄一に人物がそれぞれ新しく記載されるようになった。

キャッシュレス化が進行しているこの社会にとってお札の更新は以前の時代と比較してあまり重要ではない気もするが、私が物心ついてからは初めての更新であるため私にとっては興味深いことである。だからお札に聖徳太子が描かれていた時代を直接認識することはなかった。

こうして日本の貨幣は新しいものに変わっていくということは同時に、今までお世話になっていた細菌学者として有名な野口英世氏や小説家として有名な樋口一葉氏、さらには慶應義塾大学を創設した啓蒙思想家の福沢諭吉氏が金融の世界から引退して我々の生活から離れることを意味する。私の中で、紙幣といえばこの3人のイメージが強固なものであったため、金融の世界における一つの歴史が変化することがある意味ショッキングである。

新紙幣が流通するようになるとカネの流通する世界の中で旧紙幣は現在進行形の貨幣として手に入ることが無くなるだろう。だから、今所持している旧紙幣をできるだけ使わずとっておこうと思った。

自宅や自分の財布を確認すると、福沢氏の一万円札と野口氏の千円札が数枚あったため、これはできるだけ使わずにとっておこうと決めた。その上で、財布の中にもう数千円追加したかったので銀行のATMに向かうこととした。

先週新紙幣が発行されたから新しい札が出てきてしまうのだろうななどと思いながら向かううちにATMにたどり着いた。いつものように講座から札を引き出そうとする。金額を打ち込んで紙幣が出てくる。その紙幣を覗いてみると、かなり馴染みのある顔が見えた。野口氏のままだった。

私はこのとき、まだ変わっていないという安堵感を抱くとともに新紙幣を生で見てみたかったなあという思いもあった。銀行に行けば新紙幣が見られるものだと思い込んでいたため、自分の中では意外だった。確かに、1週間程度で新紙幣が全国に流通するのはあまりにも早すぎる。そのため、私の財布には見覚えのある同じ顔ぶれが増えただけであった。

また、今書いていて思い出したが、私は樋口氏の紙幣を手に持っていない。私のATMでは千円札か一万円札しか引き出せないため、社会で生活する中で直接手にするしかない。だが、飲食店のレジでは五千円札が足りないことがよくあるので、3-4千円のものを一万円札で購入しようとしても、おつりで千円札が5-6枚来てしまう可能性も十分にある。

五千円札を手にした時にはすでに津田氏に切り替わっている可能性もあるため、樋口氏と再開するのは困難を極めている気がする。

そういえば、二千円札は首里城が描かれているが、私は二千円札を直接手にしたというか、見たことがある。それは交換留学で我が家がホストファミリーになって日本に留学生を受け入れた際に、その留学生が持っているのを見た。おそらく両替した際に貰ったのだろう。

二千円札を見たことを思い出したら、別に五千円札はいいかなとも感じてきた。

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