#29 基本的に興味・好奇心がない

私は、新しいことに挑戦することは好きな方である。高校では中学まで所属していたスポーツの部活に入る予定だったが、高校ならではの部活の方が自分にとって目新しかったため中学までのスポーツは辞め別の部活に入った。また、高校時代の後半には海外短期派遣のプロジェクトに参加し、1週間ほど海外にいた。また、そのときのホストファミリーの長男が日本に来たときは我が家で1週間ほど受け入れていた。

このようなかんじで、高校までは様々チャレンジしていたが、元々それらに特別な深い興味や明確な理由があったわけではなく、ある種の直感があったり、「なんとなくカッコよさそうだなあ」「海外に行ったことないからこの機会を通じて初海外の経験ができたらいいなあ」という漠然な感覚からなんとなくそっちに行ったという感じだった。

一方で、大学生になってからは授業でのレポートなどの各種課題に取り組み、その傍ら地元でアルバイトに取り組むといった感じである。アルバイトは大学生になってからの新しい経験ではあるが、大体の人はそうだから特段新しいというわけではなさそうだ。その他において、主に課外活動といったようなものを全くと言っていいほどしてこなかった。

私が大学に入学した年はちょうどコロナ禍で大学に行く機会がなかった。1年の4月には一応部活動の説明会にオンラインで参加してみた。ここでは、なんとなくだがラクロス部かアメフト部に入ってみたかった。本当に何となくである。聞いてみると、朝練があるが、長距離通学者の私にとって始発でも間に合わない時間で無理そうだなと感じたし、そもそもコロナ禍なので活動が少なく部活動に入るのは先送りにしようということになった。

ちなみに、サークルにはあまり興味がなかった。サークルはお金を出して他の多数学生と自分の苦手項目であるコミュニケーションをとるという点が納得いかなかった。だったら、お金を貰いながら他の人とコミュニケーションをとるアルバイトをした方がよいだろうと思っていたからサークルに入るという思考になりづらかった。

2年になってからは大学に行く機会がありサークルや部活動に入る機会になりそうだったが、大学が家から遠いなあと通学時に思って授業を受けに行くのに精いっぱいで、サークルや部活動に入るという発想自体消えていた。そうして4年間サークルにも部活動にも入らなかった。

また、同じ学科の学生ともあまりつながっていなかったので、一緒に課外活動に参加するということもなく、本当に大学の授業とアルバイトという感じだった。ちなみに、自分のスケジュール管理能力がなくてアルバイトはすごくシフトを入れていたというわけでもなく、ぼちぼちという感じだった。

こんな大学4年間を送っていたから、新しいことに足を踏み入れるという感覚を忘れかけてしまった。そこで、はじめに書いた高校時代のことを思い返してみた。

高校では新しく別の部活に入ったわけだが、同級生などから、なぜその部活に入ったのかと聞かれることがたまにあったが、私は即答できなかった。それもそのはず、私の中にも明確に説明できるような理由がなかった。このことを今思い出して、自分の選択はなんとなく面白そうという感じで選択していたということに気が付いた。

それで思い出したが、自分が選択した進路などに対して明確な理由を予め持っている人はいるのだろうか。多分普通はそうなのだろうが、自分的には好きなことを言語化したり分析してしまうと冷めてしまう部分があるので直感で選ぶという感じだ。理由はあるにしろ、基本的に、なんとなくこっちの方がいいなと思って、その後付けとしてわかりやすい理由を作っているのではなかろうか。

進路に対してはそのように何となくという感じでもなんとかなったが、調べものではあまりその直感のようなものが働かなかった。知的好奇心の方はあまり作用しない方なのだろうか。

小学生の頃から、自由研究はなかなか手が動かなかったり、面倒くさい宿題だなあという感じにしか思わなかったり、中学や高校での総合の授業で自分の好きな分野の中でテーマを設定して調べものをして発表するという機会もあったが、なかなかさせられている感があってのめり込めなかった気がする。こうした部類には物事に対する興味や好奇心・探求心があればのめり込めるのだろうが、私はそうならなかった。

新しいことにチャレンジするのは好きなのに新しいものへの探求心で調べていくことが苦手なことの差は何なのだろうかと考えてみる。

新しい世界にチャレンジすることと新しい調べものの差として継続性があると思う。新しい体験は、とりあえず行けば何とかなるし一時的な外的な刺激である。そういった意味で受動的である。一方で、調べものは自分の中で身の回りの物事に対して自分から刺激を感じに行くからそれが好奇心になる。こっちの方は能動的であるといえる。

前者は環境が用意されているが後者は環境を自ら作って進んでいく行為である。

新しいことにチャレンジすること自体はいいことだが、とりあえず飛び込んでみるだけでそこから学ぶための準備などは不十分だった気がする。それは後者の意識がなかったからだ。

高校までは、後者がなくても前者のような挑戦はできたが、大学生以降は後者がないと前者には至れない。大学生になると明らかに生活スタイルが自由になるし進むべき選択肢も断然広がる。だからこそ、自分から興味をもってすすんでいく後者の姿勢がなければこれまでのように新たな挑戦というものはしづらくなるのだろうと思った。

今までそんな感じだったが、今年に入ってnoteには挑戦できた。これは後者の姿勢が少しだけあった気がするしなかった気もする。

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