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イエローでホワイトでちょっとグリーン

何のこともないけど、ある本がとても面白かったので、感想を忘れないようにここにつらつらと書き留めておく。

本当は横にいる友達とか家族とかと一緒に話し合いたいんだけど、そうもいかないみたいなのが世の中。どうしたことかな。これも何かに蓋をしている状態かもしれない。他にも読んだ人いたら、話したい。


すごく面白くて一気に読んでしまったのはこの本。

ロンドンに在住している日本人作家の著者が、アイルランド人の配偶者との間にできたお子さんの日常を描いた作品。

EU離脱やクライメイトチェンジのストライキ。新聞紙の一面を飾る社会の動向の下で、何も変わらない日常(仕組み化された社会)を賢明に生きる人々。
これがぐっと自分の世界を広げてくれるのですごく面白かった。


省みる幼少期

主人公が10歳ぐらいなものだから、自ずと自分の小さい頃は、、、と読みながら考えることも多くて。それにしても、生きた環境と立場が違えばこんなにも人は違うものかと思う。人生は自分しか経験できないことがたくさんあって、捨てたもんじゃない。

思い返せば、私は小さい頃から弱い立場(と自分が認識している)の人への意識に敏感だったし、何でか今もミックスの友達達が一番仲良いのかは、何のフィーリングなのか今も気になる。

何かあった時に一番に影響を受けるのはレジリエンスの低い弱い立場(と認識される)の子供や高齢者、女性、障害者であるのは、今は論理的に言われてる。

子供の時は、無知だったから、大人が言ってた「関わっちゃいけない子」。
なんてわからないし、何であの子は一人なのか気になったし、何であの子は人とは違う匂いがしたのかも気になってた。
私の地元の友達は、金髪だったり、バイトしてたり、私より世間を知っていたし、誰に対しても優しかったし、その子のお母さんが何してたからって血がつながっているだけで、その子自身には別に何の関係もないはずだった。

だけど、中学、高校と自分が成長していくと社会がつくってきた目線とか枠組みの中でしか人を捉えることができなくなってしまったかもしれないと思うと、
無知の方が良かったと嘆きたい。


ただ、大人になった時の、蓋をした無知は、差別や偏見を生む。


蓋をした無知を超えて

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「あえて風波をたててでも、少数をまもる選択肢をする。これがその国で生きていくための訓練である。」

何となく居心地が悪くても、その場のその関係でやり過ごす。
「大人の無知」は見たくないと蓋をすることを希望し、選択した無知かもしれない。

日本では、風波を立てないように生きることが生きる上で大切だったから。
人とは一定の距離をとってきたけど、そういう時代でもなくなってきた。

田舎出身で多様性の「多」の字も知らない純粋ジャパニーズとしか生きて来なかったはずの私でさえも実感する。
というか、そもそもそれは大切ではなかったかもしれない。


他者への関心から社会へ

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隣の人の思考やライフスタイルを知り、自分自身の生きる場所を知り、初めて社会は見える。

大事な友達を増やし、その関係の大切さに目を向けることが、
自分自身への無知や偏見と向き合う大事な一歩だと信じて。


そんなことを、フリーター3日目にして思う(笑)

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