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今に至るまで

開いていただき、ありがとうございます。

今回は、現在オーストラリアのパースで大学生をしている経緯について、簡単にお話ししたいと思います。

小学校、中学校

小学校、中学校、ともに公立の学校に通っていた彼。親の方針で、小・中はいろんな人がいる環境で揉まれるのもいい、ということだった。そういう意味では、本当に"充実"していただろう..。昔から、「落ち着いている」と言われる彼の性格は、特に中学の頃は周りと馴染めずあまり学校に行っていない時期もあった。数年前に行った成人式で、彼は中学校の同級生に会ったが、面白いほど変わっていなくてびっくり。おちゃらけた奴はそのままやし、その周りに集まる人の雰囲気もそのまま。そんな人たちと再会し、話すうちに彼自身が中学以来(この海外の生活を通して)一番変化があったと気づいた。

この頃に一番大きかった出来事は、間違いなく父親の死去。話すと長くなるので、この話はまた次回という事で。

精神的にも不安定のまま、中三の受験時期に。時間は皮肉なもので、欲しいと思う時には風のように過ぎていくらしい。以前に考えていた学校よりも一つ偏差値を落とした学校になったが、彼は希望した県立の高校に受かったのだった。

高校

受験という壁を乗り越えた人たちが同じ学校に集まった故、中学の頃と比べると話が弾みとても過ごしやすく、楽しい生活の始まりだった。

さて、高校になるとその先の進路を考えるという多くの人が直面する時期に彼も差し掛かった。海外の大学に進みたいと決心したのは高三の5月だった。

彼が通っていたのは普通科だったため、特に留学のような制度はなかった。しかし、これもまた親の方針で高一の時に二週間ほどオーストラリアのケアンズで語学留学する事になった。小さい頃から海外旅行には連れて行ってもらっていたが、一人での海外生活は初めてだった。

英会話などの経験もなかったため、最初の数日間は四苦八苦。携帯を極力触らない、日本語に触れないように、そしてできるだけホストファミリーと会話をするように心がけて過ごした。午前中は現地の語学学校に通っていたが、ずっと英語とともに生活することが新鮮で楽しかった。日本語と違い、直接的に表現することが多い英語は自分に合っているように感じた。二週間の滞在はあっという間。やっと慣れてきたと思った時には日本に帰らなければならなかった。まさに多くの人が経験する「それ」であった。

彼にはずっと目指していた夢があった。動物のお医者さん、獣医師だ。小さい頃に読んでもらったドリトル先生に憧れて、動物と話ができるようになりたい、それがきっかけだった。不思議な事にその夢はずっと変わらなかった。ただ、動物と話したい、から、動物を守りたい、という現実的な目標になった。

特に興味があったのが野生動物の保護だ。しかし、実際に目指すとなるといろいろな問題が出てきた。どうやって資金を得るか、特化した学校はあるのか、誰か野生動物保護を仕事にしてる獣医師はいるのか。。オープンキャンパスにも足を運び、その答えを探したが納得いくものは見つからなかった。

その頃に見つけたのが、ある学校だった。その学校は海外の大学に正規留学するための前準備をするためのものだった。しかし、その学校に行くことを即決、なんて事にはならなかった。周りにそのような進路を選ぶ人もいなく、大きな決断をする度胸もなかった。そんなこんなの葛藤を繰り返し、高三の5月、ある意味大きな賭けにでることに決めた。海外の大学に行く、周りの人と違うことをする、それが逆に彼に一歩踏み出す勇気を与えたのかもしれない。

その学校の入試はそれほど難しくはなく(簡単な英語の試験と面接)、すんなりと次の進路が決まった。

海外大学の準備学校

説明会の時から聞かされていたが、かなりハードな一年だった。睡眠時間は基本4-5時間、毎日山のような宿題が与えられた。授業のまとめ、読書感想文、エッセイ、リサーチ、プレゼン、スピーチ。週末を火曜日から待ち遠しく思う、そんな生活だった。何人もの人がやめていく中で頑張れたのは、同じゴールを持っていたクラスメイトの支えだった。それぞれが全く異なるバックグラウンドを持っているにも関わらず、自然と家族のようになっていた。

この生活で学んだ大きなことは、助けを求めること、だったかもしれない。元々、一人でどうにかしようと頑張って、最後にできなくて諦める、そして不完全燃焼する自分自身に怒りを覚える、そんな性格だった。いわゆる完璧主義者。次から次に締め切りがある中で、全てを完璧にすることは不可能だった。しかし最後まで諦めきれず、遅れて提出することもあった。

そんな性格を変えることになったのは、一人の先生との出会い。

その時も期限が近く課題を進めていたが、あと少しのところで間に合わなかった。遅れて提出したときに言われたことを、今でも思い出す。

『I could have helped you if you have come to me earlier. It's too late now. Next time, you know what to do so that I can help. Never hesitate to ask for help. もう少し早くに言ってくれていたら助けられたのに。今となっては遅い。次、何をしたらいいかわかるね?助けて、っていうを躊躇わなくていいんだよ』 

一人で達成すること、それが一番大事なことだと思っていた彼には、助けを求めることは「負け」だった。しかし、実際その先生に次の課題で助言を求めに行った時、自身ができてる所、修正が必要な所がはっきりとして、自信がついたのを思い出す。また、期限を守ることも完璧に仕上げることと同じくらい大切だと教えてくれた。

ハードな一年もあっという間に過ぎ、いよいよ次の進路を決めなければならない時期になった。

オーストラリアの大学決定

次回から、どういう成り行きで西オーストラリア州の大学に行くことに決めたか、そこからの話を続けたいと思う。


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