裏表のない花びら

花を愛でている友人になぜ花が好きなのかを聞いたことがある。友人は花瓶に飾られた花の枯れた部分をむしりながら答えた。
「花びらは裏表どっちを見てもかわいくて綺麗だろ」
友人はそれを言っただけで答えた気になっていたが、その言い方は何かしらの含みがあるようだった。
「なら、裏表があるものってなに?」
友人は声を低くして答える。
「人間。」 
「人間。」と僕が繰り返すと、友人は続けて、
「人なんて身体的にも精神的にも裏はみるもんじゃないよね。身体的な裏って内蔵とか脂肪だし、グロくて気持ちが悪い。精神的な裏もドロドロしてて汚いよ。」
なるほどと思った。
確かに花はその点、考えないし内も外と大体同じだ。そう言われて見ると、人間ほど内面が汚い物もないのかもしれない。
「人間嫌いみたいだな。」
「人間を好きなやつが異常なんだよ。」
友人はそう言いきった。
「なら自分も嫌いなのか?」
「自分は自分だ。嫌いでも好きでもない。」
「自分も人間なのに?」
「生まれ変わったら花か宝石になりたいな。」
僕はこの友人と話す時間が好きだった。それは、惰性で生きる周りの奴らとは違って見えて、羨ましかった。
中学を卒業して以来、僕は一度も彼と話していない。人は5年経てば大抵変わる。変わらないほうがおかしいとすら思う。だけど、彼だけはまだ変わっていない気がする。
いや、僕が変わっていてほしくないだけかもしれない。

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