見出し画像

武器規制 信長・秀吉・家康のリレーにて。

 戦国時代、百姓も武器を持っていた。
 そうした、兵農未分離から兵農分離へ大きく舵をきったのが、信長だった。
 兵農分離によるメリット。
 常備軍なので、常に戦いのために訓練ができたこと。
  
 また、長期遠征が可能になった。農兵ではないので、長期滞陣も可能になる。

 だが、信長段階の兵農分離は未完成だった。豊臣秀吉は、それを全国的法令として、

 「刀狩り令」をだし、百姓の武装解除をすすめ、武器を持てる階層と持てない階層に分けるという、身分固定をねらっていた。

 その秀吉の刀狩り政策を受け継ぎ、さらに発展させたのが、徳川家康だった。

 関ヶ原の戦い、豊臣家を潰す戦いの
大坂冬の陣、夏の陣がおわり、家康によよって戦後処理が進められ、その一連の動きを元和という元号をとって、

 「元和えん武」 とよんでいる。

 えん武とは、武器を蔵に、納めて、用いないという意味である。その後、
元和一国一城令がでて、徳川秀忠の名で
武家諸法度が、出され、戦国乱世に終止符を打つ施策が進められた。
 武器を封印したことで、260年にわたる「徳川の平和」が保たれた。

 この文章は、小和田哲夫先生の著作を元に書きました。
 私自身、信長で兵農分離は完成したと認識していたので、ビックリ!

 アメリカの銃規制は、進まないけど、
日本はいち早く武器規制をしていたのですね!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?