【10627字】周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する|自己紹介
はじめまして、樋口佑樹 (ひぐちゆうき)と申します。
小学生のときに僕とは別にゆうきくんがいて、『本物の"ゆうき"を賭けて、戦うぞ』と、望まない格闘技を一方的に挑まれた結果、惨敗しました。笑
というわけで、僕は「ひぐ」と呼ばれているので、そう呼んで頂けると嬉しいです。(ちなみにその戦い以前から「ひぐ」でした。)
このnoteは大きく以下の4つの内容を盛り込みました!各編の冒頭には簡単なまとめを書いているので、そこからぜひ読んでみてください。
①パーソナリティ編
②これまでの経験編
③涙した過去編
④これからの思い編
①は長くなったので別のnoteに。(読まなくても大丈夫です。笑)
◇◇◇
②これまでの経歴編
「できるだけ簡潔に」と思ったのですが、トピックが多くなりすぎました。もしよければ読み進めて頂けると嬉しいですm(__)m
※24年間をまとめきれませんでした。
まとめ
・小学生まではいじめられっ子
・中学サッカー部、鬼きつかった
・高校で世界が広がる
・大学でもっと世界が広がる
・色んな出会いが今の自分をつくる礎になった
2-1.誕生〜幼少期
1995/12/15。豪雪の中、石川県金沢市に誕生。
「佑樹」と命名される。
「佑」は人を助ける、「樹」は樹木のように立派に育つという意味。自分を成長させて、人を助けられる人になってほしい、両親のメッセージだと思っています。
幼少期の記憶は特にありませんが、ミルクの飲み過ぎで入院するくらいにミルクが好きだったみたいです。今でも牛乳は毎日欠かさず飲んでいます。
それにもかかわらず、身長は161cmと小さいのはなぜ。
2-2.小学校時代 (宝塚→姪浜小→石丸小 2002~2008)
2度の転校を経験した小学校時代。
初めての転校は入学して1週間後。笑
2度目はそこからさらに半年後。転校先の小学校では、競技にも出られず、ただただ運動会を本部テントから眺めていました。
小学校時代は4年生ごろまではすくすく育ちましたが、高学年になると同じサッカーチームのヒエラルキー上位の子達にいじめられていました。
ちなみに動けるぽっちゃり系でした。
2-3.中学校 (下山門中 2008~2011)
小学校はサッカーなのに10-0で負けるような弱小チームでしたが、中学校は県大会で優勝を争うほどの強豪校に。ギャップが物凄い。。。
それでも25人の同級生をはじめとして、チームメイトと頑張りぬいた日々は良い思い出。最終的には県大会ベスト4の成績を収めることができました。
僕は身長が低くて足も遅い、中学サッカーでは使いにくい選手でしたが、「ポジショニングの良さ」を評価して頂き、試合に出して頂きました。
このときから、サッカーに限らず、「間を埋める」ようなポジショニングは、相次ぐ転校の経験も相まって、人間関係でも無意識にやってるように思います。(要は人に合わせがち。八方美人ってよく言われます。)
2-4.高校 (修猷館 2011~2014)
九州の塾業界では「英進館」が圧倒的なシェアを占める中、謎の反骨心から、"ぶーりん"と呼ばれる塾長率いるローカル塾「学思館」に通い、その結果、学区のトップ校である修猷館へ。
そこは本当に刺激的な学校でした。
突然お笑いライブを始める人もいれば、唐突に全校集会で歌い始める人もいる。6ヶ国語を話せる先生や猫語を話せる先生など、とにかくカオスなところ。笑
そんな環境で育ち、今でも仲良くさせてもらってる友人も数多くいて、ありがたい限り。
修猷館は学界、政界、ビジネス界でも著名人を輩出しているのですが、こんな言葉が受け継がれています。
「修猷を誇るではなく、修猷が誇る人間になれ。」
その言葉は今でも自分の中に強く刻まれています。
また、僕の人生を変えた運動会の経験。情熱を持って取り組むことができた、青春の1ページがここにはありました。
◇◇◇
ここからは大学入学後の自分について、いくつかのトピックに分けて。
2-5.大学入学 (九州大学 2014~)
(↑九大広報誌の裏面デビューしたときの写真)
高校卒業後はストレートで九州大学経済学部経済工学科へ。
もともとお金への興味があった僕は、「海外で経済学は理系の学問であり、理系に強い方が良い」ということを知ったため、高校では理系に進みました。
そして、大学は理系から経済学部へのルートがある九大を志望しました。
そこからは情熱を注げることがなくて、5つのサークル(ジャグリングサークルにも。)を掛け持ちしたけど、全て幽霊部員に。
ひょんな出会いから学外活動へと舵を切ることになっていきます。
2-6.TABIPPOとの出会い (2014/10)
深夜3時。情熱を注げる何かを求めてた僕の目に、あるFB投稿が流れてきました。
スタッフ募集
〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜
<応募要件>
・〜〜〜〜〜
・〜〜〜〜〜
・〜〜〜〜〜
・一生懸命になにかに打ち込みたい人
「これだ!」そう思った僕はその場のテンションで、なんのスタッフかは分からないまま即スタッフ応募。
そこで出会ったのがTABIPPOでした。
TABIPPOは「旅で世界を、もっと素敵に。」というビジョンを掲げている、旅を広める会社です。
深夜3時のテンションが功を奏して、その会社が主催する2,000人規模のイベント運営スタッフとして、訳も分からず参加することになりました。
当時、海外に1度しか行ったことがない僕は、スタッフ説明会で10ヶ国以上旅してきたお姉様方を見て、圧倒されたと同時に「こんな世界もあるんだ!」と希望に胸を膨らませたことを覚えています。
そこから始まったTABIPPOスタッフ生活。寝る間も惜しんで、ひとつのものをつくり上げる体験は、なにものにも代えがたい貴重なものでした。
2-7.休学期(1.5年間)へ突入 (2016/9~2017/3)
2年の後期から休学を決意します。休学した時にはシェアハウスに住んでいたので、色んな人との出会いを楽しみながら
・個別指導塾の塾長
・スタバの店員さん
・TABIPPOスタッフ
・自己分析や起業ごっこ
をしていました。
その後、本来3回生の代を1年丸々、東京での長期インターンに費やすことに。
当時、社員が3名だった株式会社BLAMに初のインターン生としてジョイン。仕事における重要なことをスキルだけでなく、マインド面から叩き込んでいただきました。(敬語使えない度に、腹筋していたのは良い思い出。笑)
もともと福岡の人間だったので、東京という機会を最大限活用すべく、イベントやアプリを通じて色んな社会人の方ともお会いすることができました。
2-8.帰福したけど、やっぱり学外活動 (2017/4~)
休学後は福岡に帰ってきて復学。とはいえ、学業に熱心ではありませんでした。(とはいえ、授業はちゃんと出ていたし、GPAも3以上で卒業。)
復学してすぐは"やった方が良さそうなこと"の代表格「プログラミング」を勉強。3ヶ月ほどでフェードアウトしましたが、まったく知らないよりは良い状態になったかなと。笑
卒論もRというプログラミング言語を使ったのですが、プログラミングはあんまり向いてないなあという気づきは得られました。
プログラミング熱が冷めてからは、岡本翔(おかしょー)からの誘いで「九州未来フェスティバル」という500人規模のイベントづくりがはじまりました。
2-9.九州未来フェスティバル (2017/12~2018/3)
おかしょーから電話を受けた日のこと、今でも覚えています。当時大学4年生(の代)だった僕ら。
「1,2年のときには先輩から多くのものを頂いてばかりだったけれど、僕たちも後輩に還元しないといけないよね」
そんな話をした覚えがあります。
おかしょーの「やりたい」に巻き込まれる形にはなったけれど、多くの仲間もできました。イベント運営を通じて、これからの九州を引っ張っていく後輩たちにも何か伝えられてたら良いなあ(願望)。
そして、そのイベントには後に僕の人生を大きく変えるキッカケとなる"ごめさん"をゲストとしてお招きしました。
絶対に来て欲しいと思っていたし、そのときの選択が今に繋がっていると思うと、本当に人生どこで転機が訪れるか分からないものです。
2-10.2週間の海外短期留学 (2018/3)
イベントづくりと並行して行われた海外短期留学。九州大学が主催するQREPという起業に興味がある学生向けのプログラムに参加しました。
グローカルリーダーを育成するタクトピア協力のもと、MITやハーバード、シリコンバレーなどを巡るプログラムで、最後には投資家へのピッチも。
日本→アメリカへの留学プログラムなのに、参加者の半数以上は外国人。英語のできなさを痛感しました。(それ以降、上達したわけでもない。。。)
チームでビジネスモデルを考えていくのですが、僕はガーナ人、中国人、スリランカ人と一緒のチーム。僕だけ唯一、英語が話せませんでした。
議論もまともにできなかったけれど、日本語と英単語を交えて伝えようとしていた僕を、メンバーは疎外するどころか暖かく迎えてくれました。
そのとき「ありのままの自分でいい」と、思うことができました。本当にすごく素敵な仲間に恵まれて、とても良い時間/経験になりました。
2-11.タリキチプロジェクト / 主催イベント / 卒論 〜3種の神器〜 (2018/10~)
2018年秋ごろ。株式会社Talikiが主催するインキュベーションプログラム(タリキチプロジェクト)の福岡側の運営をご一緒できる機会に恵まれました。
それと同時に、100人規模のイベントNEXTAも企画。協賛営業をやったのも実はそのときが人生で初めて。
それまで大規模イベントをするにしても、誰かに巻き込まれる形でやっていました。だから、自分でイベントを立ち上げるのも初めてだったし、誰かを巻き込んで協力してもらうことも初めてでした。(中井、やまはるありがとう!)
また、卒業論文(テーマはクラファン)も並行していて、なんとなく多忙な毎日を過ごしていたような気がします。
最終的にはどれも無事に終えることができてよかった。。。
(もちろん、色んな方のご協力あってこそ。感謝が溢れるばかりです。)
Talikiではタカさんをはじめとして、多くの素敵な出会いが生まれて、今でも繋がりがあるから、出会いってやっぱりおもしろいなあ。
2-12.ユートピア平塚へ (2019/5~)
そこから少し落ち着き、ごめさんがキッカケで平塚に移住することになります。このときには「Nobless」という屋号で個人事業主として活動を開始しています。
平塚では自分の大切にしたい価値観や生活のリズム、いろんなものがガラッと変わる時間になりました。
忙しさだけじゃない、心の豊かさの素敵さが本当に印象的な素敵なところです。
↓平塚の暮らしはご近所の友人、じゅんさんのnoteをぜひご覧ください。https://note.com/katsumatajun/m/m58f495f4fed5
2-13.コーチングとの出会い (2019/5~ )
コーチングを初めて体験したのはAKIOBLOGで有名なあきおさんから。
「やった方がよさそうなこと」をやってきた僕にとって、自分の「やりたい」に向き合うことってなかなかありませんでした。
それを考えるキッカケになったのがコーチングだったように思います。
そこから『周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する』という今のビジョンも生まれました。
とはいえ、その当時はコーチングって素敵なことだと思いながらも、自分にはできないだろうと思ってました。
2-14.#20代マーケピザ 養成所スタート (2019/7~12)
「コーチングをやりたい。」
その思いに蓋を閉じていたものの、 #20代マーケピザ 養成所の第一回お題「プロとは何か、経営者として自分を経営する」という回で、自分に向き合いました。
その結果、僕にできること、やりたいことはここだなということを腹に決めて、コーチングを本気で学ぶことにしました。
それからおよそ半年以上が過ぎた今、ありがたいことに有料の継続セッションを受けてくださっている方が10名を超えました。
失敗もしながらではありますが、セッション時間も100時間を超えて、ようやくスタートラインに立ったかなと思います。
今ではコーチという職業は自分も楽しく取り組める、素敵な職業なんじゃないかと思っています。
2-15.人生初のアフリカへ (2019/11)
アフリカの地に降り立つことができるなんて。。。
それまで僕が抱いていたアフリカのイメージは「怖い」「貧しい」といったネガティブなものでした。
でも、実際にいってみると、全然そんなことなくって。
ルワンダ人は日本人に似て、シャイだったし、街もすごく綺麗で住みたくなるほどだったし、インフラも都市部は整っていました。
予想通りだったのは、身体能力の高さくらいかなあ。
見たことがないものを勝手に想像するってことをやりがちだけど、できるだけ見たもの聞いたものを信じたいものです。
2-16.株式会社ベーシックに入社 (2020/4~)
4月から株式会社ベーシックに就職しました。
週5で働くって大変だなあ、なんてことを思いながらも、温かく迎えてくださる社員さんがたのおかげで、毎日充実しています。
今は色々なことを教わってばかりなので、ここから会社に貢献していけるように頑張っていきたいと思います。
③涙した過去編
さて、ここまで、24年間の人生をまとめてみました。(長くなりました。。)
ここからは感情が動いた瞬間を涙を流した瞬間という過去から振り返り。
泣くという行為は日常ではなかなかしないもの。でも、泣けるほど心が動くってとっても素敵だなと思います。
僕の心の琴線に触れた出来事を書くにあたって、喜びや悲しみを含め、涙した瞬間を振り返ってみました。
<主な涙した過去>
(小学生)
・転校して友達と離れ離れになるとき
・いじめられて仲間外れにされていたこと
・ペット同然だったタオルとお別れする時
(中学校)
・いじられすぎて理不尽を感じたこと
・サッカー部の連覇記録を途切れさせてしまったこと
・卒業式でみんなと離れ離れになることを予感したとき
(高校)
・文化祭で金賞をとったとき
・運動会で自分の熱量を伝えきれなかった時
・運動会のリーダーとして結果がでなかったとき
(大学)
・不完全燃焼の自分に嫌気がさしたとき
・TABIPPOで満席(2000人)の景色を見れた時
・やりたいことができていないことを指摘してもらったとき
・失恋したとき
・アフリカツアー最終日のダンスフェスティバル
この中でも『周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する』という今のビジョンをつくりあげるキッカケとなっているトピックについて、3つ取り上げさせてください。
3-1.高校の運動会〜ひとりの努力とみんなの幸せ〜
修猷館高校が1年の中でもっとも力を入れている行事、それが運動会。
約1200人の全校生徒が4ブロックに分かれ、1ブロック300人ほどの中から30人ほどがリーダーに選ばれます。
僕はその中で唯一全ブロック生が参加する競技である応援コンテストのリーダーのひとりになりました。
(↑応援コンテストはこんな感じ。)
僕はこのとき、大きな無力感を味わうことになります。
リーダー同士でのコミュニケーションがうまくいかないこと、ブロック生の巻き込み方が分からないこと、他のブロックと比較することからくる焦り、練習時に漂う倦怠感。
授業中、洗濯バサミを目の下に挟んでもなお、寝てしまっていた僕に「もう寝ていいぞ」と先生からひとこと。そのくらいに朝から晩まで必死にやっていた。それなのにうまくいかない。。。
途中からその状況にどこか諦めが生まれていました。
そして、できることをすべてやりきることができませんでした。
迎えた運動会当日。
僕が担当していた応援コンテストは4ブロック中4位でした。ブロックの総合順位は4ブロック中2位。応援コンテストの順位さえあと少しよければ、ブロック総合優勝でした。
総合優勝が発表された時、優勝したブロックはみんなが天まで届くかのように拳を高く上げて、飛び跳ねながら喜んでいました。
最後まで諦めずに頑張っていれば、もしかしたら僕たちのブロックが、その喜びを味わえたのかもしれない。
ときに、自分の諦めは誰かの幸せを奪う可能性があるのだと感じました。(自惚れかもしれませんが。)
運動会なんて確かに人生の中のちっぽけな記憶かもしれません。
おこがましい話ですが、そのとき自分がやりきれなかったことで、ブロック生が喜ぶはずの瞬間を奪ってしまったという感覚が強く残りました。
そのときから、自分の努力によって、周りの人の幸せな瞬間をどれだけつくっていけるのだろう?ということが頭の中に浮かぶようになりました。
3-2.TABIPPOでの充実感
「仲間と共通の目標に向かって走り抜ける、高校の運動会のような経験がしたい!」
そう思って、大学1回生TABIPPOスタッフの学生スタッフをすることに。
そこでは本当にいろんな思い出をつくることができました。
・ルイスさんのWebマーケティング講座を受けたこと
・毎晩のようにツタバで深夜4時閉店まで作業してたこと
・たくさんお泊まり会したこと
・集客目標の達成のためにお互い知恵を共有したこと
・他都市からスタッフが来るたびによく飲み会をしたこと
・誕生日をお祝いしてもらったこと
・ヒッチハイクもみんなでしてみたこと
・三都市合宿で勝手に演芸大会にエントリーされてたこと
・そこでMVPを取って、バックパックをもらったこと
・合宿のとき、みんな仕事基地で号泣してたこと
そんな積み重ねがあったからこそ、当日に見た満席の景色には喜びが溢れました。そして、嬉し涙が止まりませんでした。
本番が終わった後のメンバー同士での最後のひとこと。これで終わるのか、と思うと、ここでも涙が止まらず。。。
素敵だと思えるコンテンツを本気で届けること、そこで生まれる一体感ややりがいというのはとてつもなく大きいものでした。
そして素敵なコンテンツはしみなおさんや翔さんなどのTABIPPO創業メンバーの「やりたい」が元になっているのでした。
僕たちはそんな彼らの「やりたい」に巻き込まれる形でうまれたチーム。だけど、それぞれが人生のターニングポイントとなる時間を過ごすことができたと思います。
本気のやりたい気持ちには、巻き込まれる人すら幸せにしてしまう力があるのです。
3-3.恩送りからはじまる、ペイフォワードの世界観
突然ですが、『ペイフォワード』という映画をご存知でしょうか?
2000年につくられた映画らしく、僕は中学校くらいに見たような気がします。この映画にも涙してしまいました。とても記憶に残っている映画のひとつです。
あらすじ
11歳の少年トレバーは、社会科の授業中、担任のシモネット先生から「もし君たちが世界を変えたいと思ったら、何をする?」と問い掛けられる。悩んだ末にトレバーはあるアイデアを思いつく。(Filmarksより引用)
ネタバレで恐縮ですが、この「あるアイデア」というのは、「はじめに自分が誰か3人に良いことをする。その恩を受けた3人はまた別の3人に恩送りしていく」というもの。
(↑恩送りのイメージ図)
これがずっと続いていけば…
自分からスタートして、10回目にたどり着いた時には『3人→9人→27→・・・→59049人(3^10)』となる計算に。
(恩送りの力、半端じゃない。。。)
はじめは小さな影響かもしれない。でもそれがいつの間にか大きな影響に繋がることをこの映画は教えてくれます。(というより、どんな大きな影響も小さなことからはじまる、という方がしっくりくるかもしれません。)
④これからの思い編
これらの経験から、僕が思うことを最後にお伝えさせてください。
まとめ
・ビジョン「周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する」
・やりたいことができるって幸せなこと
・やりたいことがなくったって、大丈夫。
・コーチング×マーケティングがビジョン実現への武器
4-1.『周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する』
ここまで書いてきた経験のひとつひとつが今のビジョンに繋がっています。(もちろん他の経験もあってこそですが)
・高校の時「自分の関わりを通して、より多くの人に幸せを届けたい」
・TABIPPOの時「誰かのやりたいは巻き込まれる人たちをも幸せにする」
・ペイフォワードの世界観「幸せは連鎖していく」
それらが混じり合った結果『周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する』というビジョンが生まれました。
僕は本心からのやりたいには人を幸せにする力があると信じています。
例えば、以前お手伝いさせていただいているごめさん。ごめさんの講演がキッカケとなり、新たな一歩を踏み出す人がいます。(僕もそのひとり。)
過去にイベントを共催した株式会社RASHISAの岡本翔。彼も本心からの「やりたい」に向き合いながら、虐待にまつわる事業に挑んでいます。それはきっと虐待を受けた方々の前向きな人生に繋がるはず。
高校時代からの友人である菅田悠介(ゆーすけ)。彼は合鴨の屠殺ワークショップをキッカケに、フードロスに関心を持ちました。彼の影響を受けて、食べ残しをしなくなった人も増えて、より健全な環境に近づくかもしれません。
その人たちの活動を見たり、関わったりする中で、新たなやりたいのタネが生まれることもあるだろうし、そんな幸せの連鎖が生まれたら最高だと思います。
素敵な思いを持って活動している人の、やりたいことを実現できる自分でいたい。
そのためにはまだまだできることを増やしていかなくてはいけないし、自分ひとりでは叶えられないこともあると思います。
将来的にはチームをつくりながら、やりたいの実現を支えていきたいと思っています。
その第一歩として、今はコーチング×マーケティングの領域を強みとして育てています。
4-2.どうしてコーチング×マーケティング?
ビジョン(周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する)を実現するために手段として掲げているコーチングとマーケティングについて。
イメージとしてはこんな感じ。
コーチングにより引き出した思いを、マーケティングの力で戦略性を持って実現をサポートしていけたらという構想を描いています。
■コーチング
まずコーチングとは何かというところを簡単に説明すると、対話を通じて自分の思考や目標を明確化することだと思っています。(人によって定義はさまざま)
(もし興味があれば、こちらの記事もお読み頂けると嬉しいです。)
最近、「コーチングは高速道路のようなもの」と言っています。コーチングって正直「なくてもいいけど、あると良いもの」なんです。
より遠くの目標に向かいたいだとか、早く目標に向かいたいとき、コーチングがあると良いと思います。
自分と向き合うことでモチベーションが高まりますし、行動指針も次第に整ってきて、意思決定のスピードがあがります。
僕が思い描く理想の支援では、コーチングで固めた「やりたい」をベースとして、次のマーケティング支援のフェーズへと移っていきます。
■マーケティング
マーケティングに興味を持ったキッカケは小学時代。
小学校の時は、軍師という存在に憧れを抱いていました。どんなところに憧れていたかはこんな感じ。
①戦局を大きく変えてしまう存在
②「戦わずして勝つ」が実現できる (戦略 = 戦を略す)
③影の立役者感がカッコいい
それから、中学生時代。現代における戦ってなんだろうと思ったときに「ビジネス」がありました。
ビジネスにおける軍師という役割を考えたときに、今ではCOOやCHROといった存在も近いと思うのですが、中学生の僕は「マーケティング」しか頭にありませんでした。
仕組みづくりによって戦局を変えてしまう存在。
そこに憧れてマーケティングに興味を抱くようになりました。そこから本も読み始めて、飽きることもなかったので、今でもマーケティングには携わっていたいなと思っています。
このフェーズでは、パートナー本人が持つやりたいことに対して、どんな仕組みづくりが良いのか、競合や市場の様子からどんなポジショニングをとれば良いかなど、軍師的な関わりで一緒に進められたら良いなと思っています。
その結果として、パートナーが思い描くやりたいことを、そこから提供していく幸せを広げていけたらと思います。
4-3.どんな世界観を目指しているか
コーチング×マーケティングという武器を通じて、『周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する』ことができたなら。
まず、思いを実現した「誰か」の周りが幸せになります。そこで幸せになった人が、刺激を受けて自分のやりたいを目指します。そして、またその人の周りに幸せが届いていく…
ペイフォワードの世界と同じように、幸せの連鎖が起こっていくと思っています。
僕も学外に出たことで色んな出会いに恵まれました。人それぞれが掲げる色んなやりたいに刺激を受けました。時には彼らのやりたいに巻き込まれながら、幸せな時間を過ごすことができました。
次は僕が『周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する』という自分のやりたいに向かうことで、幸せの連鎖を起こしていきます。
まだまだできないことだらけですが、感謝を忘れずに頑張っていきます。
最後に
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。。。!
24年間の積み重ねを15分ほどで読めるように、凝縮してみました。ただ、やっぱり自分のすべてを書き切れたわけではありません。
ここまで読んでみて、僕に興味を持ってくださったあなた、ぜひお話しましょう😊
色んな人と携わりながら、もっと素敵な人生を歩んでいきたいものです。
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