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保育に何を望むのか

高校生の時、芸大を目指していた私だったが、絵のレベルが自分の実力では敵わないことに気づき、好きだった幼稚園の先生になりたくて短大へ行き、保育士と幼稚園教諭の資格をとった。
就職の際は、自分が絵を描くことやピアノを弾くことが好きで、その楽しさを子どもにも伝えたいという志望動機を面接シートに記入した。

しかし、就職した幼稚園では子どもの自由な遊びの時間は取れて20分くらい。(毎日とは限らない)
自分の伝えたい楽しさを伝える余裕もなく、制作やモンテのお仕事に追われる日々。
私の思い描いていた幼稚園の先生ではなかった。
大人も主体的な動きはできていなく、数年で辞めていく人ばかり。
仕事を辞めたくて逃げるように結婚を機に退職。

山口に引っ越してから就職した保育園では、自由な時間がありパートの私のやりたいことを受け入れてくれる先輩の元で働いた。保育そのものをようやく楽しめるようになったのがこの頃。(遊びのレパートリーや環境には少々不満はあったがおおむね満足していた)
いつしか実際は無理かもしれないこんな保育園があったらいいなが大きくなっていった。
(妄想ですし、その話はまた今度)


そもそも何で私は子ども関係の仕事につきたかったのだろう。
人生の中で1番楽しい思い出がその後の人生にの生きる力になったからなのかもしれない。
小学校に入学してからは、評価されることが嫌だった、いじめ、暴言など、苦しかった。
そんな時、助けになったのは幼稚園で得た
『楽しかったという感情』だった。
集団の中で折り合いをつけて主体的におそらく動けていたんだと思う。
幼児期はさまざまな葛藤があって当然だが、
最後は『幼稚園(保育園)に行って良かった』
という安心感・満足感が最後にあって欲しいなと思う。

識字や、計算、素晴らしい制作、劇、運動会、合唱合奏、そんなことよりももっと大事な、
今の子どもの姿から必要な心の育ちを重要視して保育している保育者はどのくらいいるのだろう。

子どもの行動・仕草を見落とさず、発言に耳を傾け、必要に応じて明確な目的を持って声かけをすることの大切さ、
行事の非日常体験よりも日常の大切さ、今になってようやくわかってきた。
子どもが生まれてからもっと真剣になった。(それまでも真剣だったが見えていなかった

大人が見て感心する結果より、当たり前の積み重ねを丁寧にやっていく
目に見えにくい成長を子ども・保護者・保育士で支えていくそんな保育を目指したい。

どうか子どもに携わる人の心が満たされ、笑顔で日常を過ごせますように。

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