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『昼の月』

田村元歌集『昼の月』(いりの舎、2021年)を読む。『北二十二条西七丁目』に続く、9年ぶりの第二歌集である。

『昼の月』は2012年から2020年までの作品が収められているとあるので、35歳から43歳までの作品ということになる。前歌集に引き続き、都市で働く歌を中心に、私生活では離婚ののちに新たな伴侶との暮らしが描かれる。

「を」か「も」かで一週間もやり合って稟議のための文書ととのふ
パソコンと一緒にわれも起動してパソコンのみに音楽が鳴る

一首目、文字で表すならたった一字の違いだが、ある事項を含むか含まないかの議論に長い時間を費やしていたのだろう。出来上がった文書を読むだけでは通り過ぎてしまうが、事項を含むか含まないか以前に、そこへと至る議論の経過があるのだということに気づかされる。
二首目、出社して徐々に仕事モードの自分へとシフトしていく時間なのだが、パソコンに置いてきぼりをくらうような歌。起動時の音に過ぎないのだけど、音楽としたことで、パソコンのみにきびきびした感じが出る。

何年か前までは空(そら)だったはずのフロアーで人とすれ違ひたり
鉄骨の画数が徐々に増えてゆき旧字のやうにビルは建ちゆく

この二首は都市の風景だなと思う。四階や五階のようなところでなく、空を一瞬思わせるくらいの高層のフロアで働いているのだろう。そして、新たな建物も建てられていて、工事中にどんどんと足されてゆく鉄骨に画数の多い旧字を思い起している。

サラリーマンのわれから歌を詠むわれへ伝言メモのふりをしたメモ
日めくりの厚みが壁に突き出して仕事始めのうどん屋しづか

こういう、公私のあわいを詠むのが上手だと思う。

わかくさの妻の名前を罫線の緑のなかに書くやうに言ふ
ふたりとも「田村」の判を押し終へて離婚届を折りたたみたり

ちょっとだけ私情を挟みますが、かつて
食卓に微笑む乙女ひとりをりおかめ納豆のカップ、の他に
旧姓を木の芽の中に置いて来てきみは小さくうなづいてゐた

という私の好きな相聞歌が生まれた婚姻関係を解消することとなったようで、掲出の二首を読んだ初出時のなんとも言えなさが蘇ったが、この二首も静かな良い歌だと思う。わかくさの妻はもちろん枕詞であるし、離婚届は緑と決まった色だから仕方ないのだが、なんというかこのリンクは皮肉だなあと思う。判を押す瞬間まで(正確には届けを出しに行って受理されるまで)は「田村」の二人なのに、もうすでにそこに違和感を感じる関係性がにじむ。


立ち飲みで一人ホッピー飲む夜も妻のツイートに「いいね」を押して
ひとりごとを湯船の中でつぶやけば腹が痛いのかと聞きにくる妻
テーブルでMacの画面ひらくとき妻のMacの背と触れ合ひぬ

こちらは新しい伴侶との暮らしの歌。それぞれ自立して、お互いの時間を尊重している関係性がみられて良い歌だなと思うし、純粋にそういう相手に出会えて良かったねとも思う。プライベートの歌だけでなく、歌集全体の足取りが軽やかになったなと感じた。

両腕を男二人に摑まるる心地に厚きコートを羽織る
エレベーターわが前へ昇り来るまでを深き縦穴の前に待ちをり
われのものではないダウンにくるまれてこれくださいと言ふまでの間

田村君の歌の面白さはこういうところに感じる。把握の面白さというか、そういうふうに見ていたり感じているんだなと。三首目などは、確かに「これください」を挟んでダウンの所有者が変わるところなど、「ああ!」と思う。

そして、忘れてはならないお酒の歌。
みちのくの田酒(でんしゅ)のうすき黄を愛でてわれが〈わ〉と〈れ〉にほぐれゆきたり
〆鯖のひかり純米酒のひかりわが暗がりをひととき灯す
熱燗を「菊正宗」と言ひ替へて奥へ伝へる師走の酒場
辛口の「谷川岳」を北に置きわがテーブルは関東平野
酒場とは路側帯なり飲みをれば時がびゅんびゅん頬をかすめて
ジンギスカン、クラフトビールとはしごしてみんな北山あさひが好きで
居酒屋に行けない日々はのつぺらぼう仕事に区切りがなかなか付かず

思えば、第一歌集は昔ながらの製法で作ったサイダーのようだった。素材が良くてしっかり甘くて、爽やかで懐かしいような。第二歌集はなんだろう。軽く飲めて酔える。ホッピーと言ったら出来すぎている感じがするから、ちょっと考えておこう。

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