樋口智子(ひぐちさとこ)

「りとむ」所属。 2008年『つきさっぷ』、 2020年『幾つかは星』上梓。 札幌の端っこで、つぶやいたり、うたったりしています。noteは気ままに更新予定。

樋口智子(ひぐちさとこ)

「りとむ」所属。 2008年『つきさっぷ』、 2020年『幾つかは星』上梓。 札幌の端っこで、つぶやいたり、うたったりしています。noteは気ままに更新予定。

最近の記事

ロゼットは春待つかたち床じゅうに教科書ひらくその野に眠る 久永草太『命の部首』

ロゼットは放射状に葉を広げることで、効率よく日光を得るための草の形。タンポポの葉などを想像するとわかりやすい。おそらく人を中心にして、教科書がたくさん開かれた状態で床にあるそれをロゼットと重ねている。像がクリアに浮かぶ。 「獣医師国家試験」という連作にあるので、この歌の「春」は文字通り季節の春が来ることと、合格した未来がくることと両方だろう。そうすると結句も、単なる睡眠と冬眠(春を待つというニュアンスで)の両方の含みを持つ。学生らしい、というとまとめすぎるようで言いにくいが、

    • ゆふぐれをあんぱん並みて塩漬けのさくらはなびらめり込みてをり 門脇篤史『自傾』

      夕暮れ時のパン屋。たくさんのあんぱんが並んでいて、そのあんぱんには桜の塩漬けが載っている。場面として浮かぶ景はそうなのだが、「ゆふぐれを」の「を」が肝で、「塩漬けのさくらはなびら」はパンではなくてその夕暮れ時の空間にめり込んでいるように感じる。 「ゆふぐれに」だったとしたら、それは単に時刻の場面提示でしかなくなり、「ゆうぐれの」の場合は、あんぱんにしか掛からない。 「塩漬けのさくら」を「はなびら」まで描写したところも繊細で、それによって結句の「めり込み」が活きている。めり込む

      • 見ることは祈ることとは違うけれど漕ぎつつ二秒見ている祠 大松達知『ばんじろう』

        徒歩のとき、自転車のとき、車、電車・・・、速度によって目に留まる景色が違う。速いほど遠くの景色が見やすくなる。そう考えたとき、自転車は何かがちょうどいい。視界におさまる景と距離がほどよいのかもしれない。 この歌は自転車で通り過ぎるときに祠を見ている。「二秒」が絶妙な長さで、目に入っただけでなく、明らかに意思をもって見ている。徒歩だと通り過ぎる間見ていたらそこそこ長くなるので、見ることに対する意味付けが必要になるし、もっと速い車だと一瞬だろう。 「見ることは祈ることとは違うけ

        • 鞄を提げて公文へ行くといふ息子 盆と暮れには帰つてこいよ 目黒哲朗『生きる力』

          インドア派、アウトドア派、いろんな子がいるが、この息子は後者かなと思う。 わが家のことで恐縮だが、息子の生活は父親とすれ違いになることが多い。部活から帰ってきて、晩御飯を食べて塾に行くころに夫が帰宅したりする。そんな場面を想像した。 この歌の面白さは下の句の「盆と暮れには」だ。普通は「遅くならないうちに」とか「寄り道しないで」みたいな文言が来るところ。この「盆と暮れ」があるから、割といつも外に出ている子なのかなとか、親としてもその活発さを頼もしく思っているだろうなと想像した。

          ひと恋ふる心はいつもあやふくて闇をねぢ込む鶏頭のひだ 楠誓英『薄明穹』

          誰かを求める心は私自身が揺らいでしまって、在りたい自分で無くしてしまうかもしれない。そんなあやうさは怖れとなって、闇を生み出す。闇は、光と常に対比するものであるから、人を恋うだけ強くなる闇を鶏頭のひだに隠す。そして、「ねぢ込む」という強い語には怖れの深さ、否定の強さを感じ取る。 この歌の収められている『薄明穹』には次のような歌もある。 ひかがみに淡き闇ため立つたまま眠れる少年こずゑとなりて 吊革に青年の疲労つるされて時折見ゆる腋窩のかげり 他に眼窩なども出てきて、身体のくぼ

          ひと恋ふる心はいつもあやふくて闇をねぢ込む鶏頭のひだ 楠誓英『薄明穹』

          夜の駅に特急を待つはわれ一人しんしんとしてまこと晩年 西勝洋一『晩秋賦』

          今日は一月三十日。 西勝さんの三回忌なので、なんとか今日のうちに書きたかった。 特急を待つ駅にいるのは自分だけ。待合室よりホームに居ることを想像する。外の広さ、夜の深さとの対比によって、独りであることが際立ってくる。〈しんしんとして〉は夜の駅の景であると同時に自身の心の有り様でもあるだろう。静まり返り、澄んでいくこの夜の心持ちこそ晩年というものなのだ、というのが下の句の歌意だと読む。 亡くなってしまってからこの歌に触れたので、まるで特急があちらの世界に連れ去ってしまったかの

          夜の駅に特急を待つはわれ一人しんしんとしてまこと晩年 西勝洋一『晩秋賦』

          崖の上(へ)にピアノをきかむ星の夜の羚羊(かもしか)は跳べリボンとなりて 前登志夫『子午線の繭』

          少し生活が落ち着いてきたので、今年はハードルをゆるく一首評を中心に書いていきたいと思います。 甘党な一首評ですがよろしくお願いします。 さて第一回目。 崖の上(へ)にピアノをきかむ星の夜の羚羊(かもしか)は跳べリボンとなりて 前登志夫『子午線の繭』 カモシカを画像で検索したら、思っていたのとだいぶ違っていた。 シカの仲間かと思ったけれど、ウシ科とのこと。ヤギとかに近いという説明もあって、確かにそうだなという感じ。 北海道と中国地方には生息しておらず、北海道の動物園にはいる

          崖の上(へ)にピアノをきかむ星の夜の羚羊(かもしか)は跳べリボンとなりて 前登志夫『子午線の繭』

          日記

          勉強会のために、ここのところ啄木を読んでいた。ちゃんと読むのは二十年ぶりくらいで、私の二十代あたりの読書はあてにならないから、こんな歌もあったのかと新鮮な気持ちだった。あと、あの短い人生ながら、交友関係とか考えると時代をつなぐ位置にあるんだよな。久しぶりに三枝先生の啄木の本も読み返して、今やっと理解できた部分もある。 **** 話変わって。 短歌を始めて年数が浅くてもそれなりに経っても、それぞれに悩みはあるものだと思う。 結社に入るか、歌集をいつ出すか、誰に届けたいのか。

          短歌研究のハラスメント特集について

          ちょっとTwitterでは足りないと思うのでこっちに書きます。 (追記、怖がらせてしまったり配慮の足りない表現があったりして一部直しました。でも本当に言いたいこと、「沈黙してはいけない」ということは変えてないですし、そこをお読みいただけたら幸いです) 「短歌研究」4月号のハラスメント特集は、その準備段階から賛否がありました。賛否があるのはどんなテーマでもあると思うし、それがあってこそ議論が深まると思うので必要なことだと思います。 ただ、否定的な声の大きさに押されて、結果と

          短歌研究のハラスメント特集について

          子どもの目線

          たぶん「子どもが撮った写真が結構いい」は、写真あるあるなのかなと思うけれど、やはりそうなんだなあと実感した。 この前、娘たちと出かけたときに、小6になる長女がカメラを持ちたがったので渡してみた。 サンリオ展に行ったのだけど、そこでも何枚か撮っていた。 娘の写真もがんばって現像してみた。 この前、幡野さんのお手本をいただいて、自分のはちょっと暗いのかなと思ったので明るさを意識してみたけど、うまくいったかな?

          写真のワークショップに参加して

          写真家の幡野広志さんのワークショップがあると知ったのは、1月の末。2月の募集が終わったタイミングで、そんな素敵な企画があるんだ、いいなあと思っていたら、3月も募集があるという。しかも受付開始日は仕事が休み。 これは背中を押されている? いや待て待て、ほんとに行けるのか? カメラもパソコンも買いなおさないとじゃない? と逡巡しつつ、まあ、とにかく申し込みにはチャレンジしよう、取れない可能性のほうが高いし、と思っていた。 結果、申し込めた。 申し込めちゃった! そういうわ

          写真のワークショップに参加して

           『無限遠点』を読む会

          北辻一展さんの『無限遠点』を読む会がありました。 私のレジュメと読み原稿を公開、さらに感想のおまけつきでお届けします。長いです。 北辻一展歌集『無限遠点』を読む会(2022.7.10)         樋口智子 〈テーマ〉いのち、家族、生きることとは 〇研究者としても医師としても、たくさんのいのちと接してきた。 マウスに対しても、また医学のために貢献してきた標本や模型にも、そして目の前の患者に対しても、変わらない眼差しを向けている。 ケージの隅でかたまりて寝るマウスたち

           『無限遠点』を読む会

          半年ちょっと、振り返り

          もう7月も半ばで、今年も半分切ってしまった。 昨日、記録は残したほうがいいという話が出て、久しぶりに書こうかな。 年明けから春までは、「さんごじゅ」の原稿を書くのに、河出書房新社の同時代の女性歌人シリーズをひたすら追いかけていた。何冊か札幌で手に入らない本があって、古書で買えたもの、他の市町村から借りたもの、どうにかこうにか入手。 原稿を書く楽しさと苦しさと、そこに祖母の終末期が重なって、てんやわんやだった。4月くらいが一番しんどかったなあ。体調も悪くなったし。 そう、そ

          半年ちょっと、振り返り

          2021年、振り返りつつ

          年末です。大晦日です。 なんだか何も出来ていないような、消化不良な年のような。 出来てないことはない。 年初にやりたいことのうち、登山とかも一応行ったし、網走は楽しかったし。 前半は義父の闘病が最後の時間を迎えていったので、全体的には重苦しく、でも皆で揃って義父との時間を過ごすことも出来たので良かったとは思う。 家族単位で見ると、割と出来ていたのかな? 私は基本的にインドアなので、このコロナ禍もさして苦にならないような気がしていたのだけど、それでもちょっとこの災禍の雰囲

          『太陽の横』

          山木礼子歌集『太陽の横』(2021年、短歌研究社)を読む。歌集はⅠ連載作品、Ⅱ新人賞受賞作と他作品、という構成のようで、Ⅱのほうが古い作品だが、Ⅰと同時期くらいのもあるのかな?と思うところもある。 帯にあるような、 地下鉄でレーズンパンを食べてゐる茶髪の母だついてきなさい 「日本死ね」までみなまで言はねば伝はらぬくやしさにこのけふの冬晴れ こういうキャッチーな歌が目を引くが、歌集を通して読むとそうじゃない歌に自分が惹かれていくのがわかった。言わば、上に引いたような歌がサビだ

          『青い舌』

          山崎聡子歌集『青い舌』(書肆侃侃房、2021年)を読む。前作の『手のひらの花火』が2013年刊行なので、8年ぶりの歌集となる。 歌集の最初に妊娠している様子があり、歌集中でも子供はたくさん出てくるのだが、子育ての歌という感じはしない。一般的に子育てを通して子ども時代を辿るということはあるが、この歌集では〈辿る〉というよりも〈生き直す〉感覚が強く、そこが特徴的だと思う。 雲梯をにぎって鉄の味がする両手をあなたの肩にまわした 花柄のワンピース汗で濃くさせた母を追って追って歩い