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鞄を提げて公文へ行くといふ息子 盆と暮れには帰つてこいよ 目黒哲朗『生きる力』

インドア派、アウトドア派、いろんな子がいるが、この息子は後者かなと思う。
わが家のことで恐縮だが、息子の生活は父親とすれ違いになることが多い。部活から帰ってきて、晩御飯を食べて塾に行くころに夫が帰宅したりする。そんな場面を想像した。
この歌の面白さは下の句の「盆と暮れには」だ。普通は「遅くならないうちに」とか「寄り道しないで」みたいな文言が来るところ。この「盆と暮れ」があるから、割といつも外に出ている子なのかなとか、親としてもその活発さを頼もしく思っているだろうなと想像した。最低限の心配としての「盆と暮れ」。日常としてある公文通いが、急に遠くにひらけていく。

釣り人よもつと遠くへ投げないか言葉以前の針のひかりを
春夜、子のからだに溶かすほんたうに真つ白なひとしづくの座薬
風邪の子を連れて医者まで平日の午前中とは光が広い
引つ越しの荷の最後にて助手席のふとももに金魚鉢をのせたり

光を詠むのはむずかしいが、うつくしいなと思う。

親不知抜きますと歯科医師は言ふわくわくとしてゐる気が伝ふ
ただひとつ理由は「春」であればよいベージュの帽子失くしても春

端正な歌のなかに「わくわく」が出てきて、読み手もなぜだか「わくわく」してしまう。
二首目は、「春」はぼんやりしてしまうもんなあ、仕方ないなあと思う。他の季節を当てはめてもしっくりこない。

兄妹喧嘩やめぬふたり子連れ出して野に放ちやる わんわんと走る
オオバコの野を駆けりゆくふたり子は神の子、鬼の子いれかはり走る
こんなふうに詠まれていた子も大きくなり、歌集の最後では息子が家を出ていく。最初に取り上げた公文の歌に戻ると、そうやって公文に通う道のずっと先に、未来である現在があるんだろう。

歌集は2013年以降の歌とある。親子である歳月の、十年の重みを感じる。


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