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日記

勉強会のために、ここのところ啄木を読んでいた。ちゃんと読むのは二十年ぶりくらいで、私の二十代あたりの読書はあてにならないから、こんな歌もあったのかと新鮮な気持ちだった。あと、あの短い人生ながら、交友関係とか考えると時代をつなぐ位置にあるんだよな。久しぶりに三枝先生の啄木の本も読み返して、今やっと理解できた部分もある。

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話変わって。

短歌を始めて年数が浅くてもそれなりに経っても、それぞれに悩みはあるものだと思う。
結社に入るか、歌集をいつ出すか、誰に届けたいのか。

短歌ブームと言われる状態になって、書店の棚にもそれを感じて、とても喜ばしいことだけど、そうなって初めて気がつくことがある。

私の詠みたい歌は、たぶんいまのブームにあるようなところじゃないし、届けたい相手は不特定多数の人じゃなくて、同じように短歌を好きでやってる人たちなんだよな。

ずっとそう思ってたわけじゃない。若い頃はもっと小説を読むみたいに純粋読者が増えたらいいと思っていた。歌壇の評価よりも、むしろそっちを望んでいた気もする。

昨日、私の詠みたいのは流行りのほうじゃないっていう話をして、この道もあの道もあってどっちもいい、どっちを行くかは自由っていう話を一緒に深めてもらって、さらにすっきりした。

そういうふうにいまの自分を肯定的に思えるのは、短歌を好きで詠むのも読むのもうまい人たちが近くにいるおかげなんだと思う。
場があることで、保てるものがあるんだよね。ありがとう。

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