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【エッセイ】地下室から見た青空

大衆に共感を得る文章よりも、自分が心から書きたいことを尊重して。アンダーグラウンドの帝王を目指すべきか。お風呂で髪を洗いながら考えていた。王道かオルタナティブか、その二つだけが、文芸の道ではないとは思うけど、最近、方向性に悩んでいる。

そこでふと忌野清志郎のことを想う。彼はロックンロールの王様であり、界隈のシンボルとして君臨していたが、初期のRCサクセションはフォーク編成で、アンプラグドな演奏を披露する、エレキの「エ」の字もないバンドだった。
重いマッシュルームヘアーを揺らして、渋谷のフォーク喫茶「青い森」にて。

少ない客にひどい罵声を浴びせながら、
暗い曲や、悲しい曲ばかりを歌っていた。

そんな清志郎がどうして、80年代のバンドブームに乗っかり、パンクスのように髪を逆立て、変な化粧をしてエレキ編成で組み直して、
分かりやすいロックを歌うようになったのか。

それはどうしても「売れたい」からだった。
一番有名な曲「雨上がりの夜空に」も、
売れる為に考えて書いたらしい。

余談だが、僕が思う清志郎の面白い所とは、17歳の頃にノートを広げて、鉛筆を握り、自分が将来ビートルズのような有名な、スターになるという漫画を描いて、それを見事に実現したところである。

「夢を叶えたければ漫画を描け」と言っていた。死ぬまでオリコンチャート1位を目指していた。それは叶わなかったけれど。

僕は23歳の頃、少しの間だけ、下北沢のライブハウスで働いていた。そこには常に退廃的な空気が流れていて。毎晩、つまらないバンドが、自己満足の音楽を垂れ流して、打ち上げで騒いでいるだけだった。集客もないし、夢という言葉はうさんくさくて、そこから売れたバンドなど殆どいなかった。

15年間、音響の仕事をしている友達は「今、ライブハウスで演奏しているバンドは、一生ライブハウスから出られない」と言っていた。それは現在の場所や、地位や、成果に満足していては堂々巡りであり、野外フェスや、TVには一生出れないという意味だ。

少ないけれど、僕にも尊敬できる先輩が、何人かいて、その先輩のやっているバンドは、メジャーデビューを果たした。(デビューしてもバイトやめられないけどね)
そうやって一度でも売れたバンドマンに関して、共通して覚えていることは、二つだけ。
”地下の空気に酔っていなかった”こと。
"いつでも上を見ていた"ことだ。

それは清志郎も同じだったと思う。
アングラなフォーク小屋で、演奏していたときも、自分は夢を叶えて、いつか武道館でライブするという、ヴィジョンを持ち続けて。それを信じて疑っていなかった。

しかし、ここで不思議に思うことが一点ある。それは「青い森」で歌っていた頃の、RCサクセションを知っている音楽ライターが口を揃えて言う、「清志郎さんはフォーク時代が、一番よかった、すごかった」という言葉だ。

売れる為に音楽性が凡庸になった。プロデューサーやアレンジャーのせいで、音楽性がポップ寄りに変えられて、尖った歯が欠けてしまった。そうゆう意味かもしれない。

でも夢を叶えた人達には、必ず下積みがあり。
その中で、あがいて、もがいたからこそ、芸が磨かれて世に出れたのだと思う。

売れること、人気になること、
貫くこと、自分を信じること。
或いは自分を騙すこと、
人生はいつでも試されている。
でも結局どの方向を目指すにしても、
己を変えるしかないのだ。
僕は魂は売っても媚は売りたくない。
分かる人だけに分かる芸術は嫌いだ。

最後は好きな詩人の一節で締める。

アンダーグラウンドから狼煙(のろし)が上がるぞ!
のし上がるぞ!

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