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【8】半年過ごして“家族“への価値観が変わった話


Kaselehlie、ひぐちです。
海外協力隊の任期は2年間。
内1/4の時間がもう過ぎました。

これほど早く感じた半年間は
ひぐち史上今までにないです。

海外、しかも途上国で一人暮らし。

日本と異なる生活スタイル、
途上国ならではのあるある。
いろいろ違いはあるものの、
想像以上になんだかちゃっかり
馴染んじゃっています。

でもこの国で半年過ごしてみて
明らかに変わった価値観があります。

それが、「家族」への価値観です。

今回の記事は、
協力隊員としての活動ではなく
この国で半年生活して変わった
家族への価値観についてお話しします。


①家族、それは生き甲斐。

まず前提。この国の人々は
みんな家族と一緒に暮らしています。
私の大家さんなんて、14人暮らし。
島自体が小さい(琵琶湖の半分)ので
わざわざ一人暮らしする必要がない。

なので当初、私はよく
「一人暮らしだなんて、可哀想ね」
「家族と離れるなんて寂しいだろうに」
と言われることがありました。


私って、可哀想に思われるのか。
この人たちにとって家族と離れることは
よほど寂しいことなんかなあと思いました。




とある日、職場にて。
いつも笑顔で幸せそうに見える同僚に
「もし生まれ変わるなら何になりたい?」
と尋ねてみました。(唐突1)

すると彼女は迷いなく、こう答えました。

また私になりたい。そうすれば、
私の愛する家族にまた会えるでしょ?


・・・。


言葉が出なかった。


なんだ、この人生観は。



今までこの質問を幾度もしてきたけど、
この回答は初めてすぎて衝撃だった。


彼女は、ここミクロネシアで
決して裕福とは言えない場所で
ずっと生まれ育ってきた。

その同僚の家 in ジャングル


どんな場所に生まれて
どんな生活をしていようが、
彼女には愛する家族がいる。
その家族さえいれば幸せ。

だから生まれ変わるとしても、
裕福な生活や便利な暮らしではなく
またこの国で、同じ境遇の中で
自分の愛する家族に巡り会うことを
彼女は願う。

目の前のお金、便利さ、名誉、
そんなものがなくたって
彼女は誰よりも幸せに見える。


彼女にとっては家族の存在が
幸せであり、生き甲斐なんだ。



私はそう思ったこと、あったかな。
私の家族って、どういう存在かな。

自分の家族について考える機会が
ここに来て、とても増えたと思う。



②子供、神様からの恩恵。

ここミクロネシアでは、
仕事や何よりも家族が最優先される。
ミーティングやイベント中であろうと、
家庭の用事があれば皆すっ飛んでいく。



ある日。
とある同僚が家庭の事情で遅刻してきた。
そしていきなり私に
”Do you have a boyfriend?”
と尋ねてきた。(唐突2)


「ちょ、いきなりどした?」と返すと

今朝、娘を病院に連れて行ったの。
愛しい我が子のお世話は、私の幸せ。
子供がいるから、私の人生は愛おしいの。

と、満面の笑顔で言われました。

子供を病院に連れて行くだけで
ここまでの愛おしさを感じるって
シンプルすげーな。と思い、
「あなたにとって子供って何なの?」
と聞いてみると、

私の愛する我が子は、神様からの恩恵よ

と彼女は言いました。
神様からの恩恵、、、神々しい。
迷いなく我が子をそう形容できるのは
本当に普段からそう思って接しているから
なんだろうなあ、と思いました。

まあ彼女が私に言いたかったことは、
「あなたも早く家庭を持つべきよ」
ということでした。



「あなたも早く家庭を持つべきよ」
日本で言われたら、一般的にそうだからとか
経済的に…みたいな社会の意図を感じるけど
彼女から同じ言葉を言われた時、
「あなたにも我が子への愛情を知ってほしい」
という純粋な気持ちでそう言ってくれた
のだろうな、と思いました。

自分の子供を生み育てるって、
きっと素晴らしいことなんだろうな。

ミクロネシアのママたちをみてると
本当に素敵なことなんだろうなと思う。




この国の人たちの子供への愛は
至る所で垣間見えます。

先日、初対面で会ったマダムに
「今度、孫の誕生日会やるから来な」
と招待されました。(唐突3)


噂には聞いていたのです。
「この国では1歳の誕生日会が
いろんな意味でハンパ無いらしい」
ということを。

どれどれ、どんなもんなのか
みてみようじゃないの。


と期待を胸に当日。
まさに開いた口が塞がらない。
そこはまるで、ライブ会場だった。

余裕で100人以上はいた
この日のために用意された
どでかいバナー写真や特大ケーキ


家族や親戚だけでなく、
彼らの知り合いの知り合いの知り合い…
つまりあんた誰やねんって人(私)まで
招待される大宴なのである。

参列者には永遠と食べ物が運ばれ
"サカウ"という伝統的な聖水を皆で飲む。

サカウ
これを全員で回し飲みする

ポンペイを語る上でサカウは外せない。
儀式や祝いの場では必ずサカウが召される。
作り方は超原始的。上裸の男たちが
サカウの根を石の上で何度もすりつぶし
それを水と混ぜて絞り出す。以上。

私からしてみると、
見た目は泥水、味も泥水♪
といったところだ。
(泥水飲んだことないけど)


というわけでは私は
1歳のベイビーを祝うどころか、
ひたすらフードファイトしまくり
何度も回ってくるサカウを飲んだふりし
突如始まる謎ダンスに翻弄され、
「あれ、何しに来たんだっけ?」と
錯覚しながら時間を過ごしました。


一番おもろいのは、
祝われてる本人(1歳)がこの現状を
なんも理解してないってことだ。

大量の人間たちに囲まれて
よいしょよいしょと担がれている
その小さなベイビーはまさに
「神からの恩恵」の如く輝いていた。

おもろすぎるぜ、ミクロネシア。


③別れ、家族に囲まれて。

爆誕パーティー話の後に恐縮ですが
先日、同僚のお父様が急逝し
そのお葬式に参列してきました。

その方はまだ40代で、病気でもなく、
前夜に突然息を引き取られたそうです。

式場に向かうと、
突然の訃報であったにも関わらず
300人を超える人が集まっていました。

この国では葬式もごつい大規模です。
葬儀の段取り(女は歌い、男は豚を狩る)
貢物(大量の豚を真っ二つに切り裂く)
日本とまっったく異なるスタイルに
強烈カルチャーショックを受けました。


それでも、日本と変わらないところ。

それは故人を悼み、偲ぶ気持ち。
家族、親戚、友人、隣人、同僚、
ほんとうにたくさんの人たちが
たった一人の最後の別れのために、
集い、声をかけ、祈っていました。


私は一度も会ったことなかったけれど
きっと彼は、コミュニティの皆から
家族のように愛される人だったのだろう。

たとえ血が繋がっていようとなかろうと
お互いが家族のように思い合えば
それはもう家族といえるのだろう。


日本、特に都会では
前より地域コミュニティが希薄になり
住民同士の交流機会も少なくなり
隣に住んでる人の名前がわからない
なんていうこともよく聞く。

どちらが良い悪いではないけれど、

人と人との交流が生み出すあたたかさ、
思いやりの心、愛のある人間関係は
一人では決して生きていけない人間にとって
とても大切なもなのではないかと思う。


私も、血が繋がっている家族だけでなく
私と関わりを持ってくれている友達や
私のことを覚えてくれている人
私の周りで生きている人たちに
日々愛情をもって接することができる、
そんな人でありたいなと思います。


このお葬式に参列して、
いつかは来る自分の最期の日にも
大切な人に偲んでもらえるような
生き様を刻んでいこうと思いました。


そして何より今、私の大切な人たちが
生きてくれていることに感謝をして、
気持ちをちゃんと伝えようと思いました。



どうか安らかに眠られますように。



④感謝、私の大切な家族。

ここまで話してきた以外にも、
ミクロネシアに来てから"家族"について
考えさせられることが多くあります。

私の家族。

あばあちゃん(まだまだ元気)
おとうさん、おかあさん、
兄、カメ。

私は日本でどれだけ
「家族と一緒に過ごす時間」を
幸せに思っていただろうか。

家族が今生きていることが、
どれだけ幸せなことだろうか。

おとうさんとおかあさんが
出会わない世界線だったら、
私はこの世にいない。

兄がいなかったら、今の私ではない。


家族って、奇跡のような存在なんだ。


そしてこれから生まれてくるかも
しれない命の可能性があることが、
どれだけ尊いことなのか。


きっとこれらの気持ちは
ミクロネシアに来たからこそ
気付けた大切な感情だと思う。



家族に、感謝だ。
みんな、ありがとう。



頂いた命で、
毎日を楽しみ尽くすことが
今できる最強の親孝行だと思って
私は生きていきます。

これからも私の人生を
楽しみにしててね。



ではまた。

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