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忘れられない場所

PR&ディレクターの梶原です。

船形体育館解体。

※戦後建築を代表する建築家・丹下健三さんが設計した旧香川県立体育館のことで、私の界隈では船形体育館と呼んでいました。

そのようなニュースをネットで見かけた時に「あーやっぱりそうなってしまうのかな」と、寂しい気持ちと共に思い出の日々を脳内から掘り起こしていました。多くの人がそうであるように、私にとっても忘れられない場所のひとつ。

小学校3年生ではじめたバドミントン。初めての大会の場所が、この舟形体育館でした。全国大会にもバンバン出ている子が私の初めての対戦相手。羽を打ち返すのがやっとな私とのレベルは天と地の差。そりゃもう笑えるくらい、一瞬で試合終了。直後に母親に、今日でバドミントン辞める!と号泣しながら訴えたのを覚えています。コーチからは試合前に緊張させないために「相手は弱いよ」なんて言われていたもんだから、コーチにも「嘘つきー!やめるー!うあー!」と騒いでいたっけ。(笑)

ただ、負けず嫌いな私は「同じ性別、同じ年齢、同じ人間。それなのに何でここまで違うのかな?おかしくね?」と思い、帰りの車で親に「やっぱりバドミントン続ける」と訂正、”絶対強くなって勝ってやる”と決めた場所。

あの特殊な体育館の形、赤色の観客席、匂い、泣きながら食べたお弁当、俯いていた視線の先の壁や床の色、あの空間から出た瞬間に戻ってくる現実感。全部全部昨日のようにはっきりと思い出せる不思議。

父親もバスケ部だった中学生時代、あの体育館であった試合の武勇伝を何度も何度も話してくれます。もう負けるアカン!ってときに、父が3ポイントシュートを決めて勝てたんですって。安西先生もびっくりですな。

数えきれないほどのドラマや感情が生まれた船形体育館。私もあそこで初めて出た試合から、今に繋がっていることがたくさんあります。
何はともあれ、一生忘れられない場所があるって素敵なこと。行方を見守ることしかできないですが、ただただありがとうを伝えたいです。

あ、そうそう。最初に試合をした対戦相手には中学生のときに勝つことができたんですよ。嘘つき呼ばわりされたコーチも喜んでくれました。(笑)

おしまい。

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