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ワーホリ上がりで海外駐在員になったオジサンが真実を語る。〜あれから15年〜

最近新たな出稼ぎの方法としても話題のワーホリ。お金がない若者でも仕事をしながら外国に1〜2年滞在できるという夢のような制度です。

一方で賛否両論も昔からあります。行っても意味ない、英語は身につかない、人生のモラトリアムだ、などなど。

良い方では、ワーホリエージェントの広告やブログ、Xなどで「ワーホリ来てよかった!」とか「ワーホリ行ってよかった!」という声が沢山聞かれますが、実はコレ、真実を伝えていません。

なぜなら、ワーホリに行ってよかったか、本当のところは5年、10年経って見ないとわからないからです。

ワーホリの最中はそりゃ楽しいでしょうし、帰国直後は自分の行動を正当化したいという想いも働きます。

では、5年10年経ってみてどうなのか。15年(正確には18年)前にニュージーランド(以下NZ)にワーホリをして、その後海外関係の仕事を渡り歩き、現在も日本の有名企業で海外駐在員をしている僕から、真実をお伝えします。

著者について

  • 大学卒業後ミュージシャンを志すも挫折。プータローに。

  • 2006年NZにワーホリ(当時25歳)。約11ヶ月滞在

  • 帰国後東証一部上場企業の海外営業部に就職

  • 経営企画室に異動し、主に海外関連プロジェクトに携わる

  • 中国に2年間駐在

  • タイに2年間駐在(ほぼ英語使用)

  • 個人事業主として、主に外国人向けホテルを経営。英米比人を雇用

  • 現在は再就職し、有名企業の中国駐在員

  • TOEICは未受験だけど模試受けたら855〜900でした

  • 中国語もそれなりに話します

25歳まで1度も海外に行ったことはありませんでしたが、ワーホリをきっかけに、いわゆる「海外人材」に生まれ変わったオジサンです。

【 結論 】ワーホリは有用だが、活用できている人は少ない。

さて、結論ですが、「ワーホリは有用」です。僕個人の経験です。

英語という武器があったからこそ今のキャリアがありますし、なかった場合に比べるとずいぶんコレまでの生涯年収も下がったことでしょう(海外駐在は儲かるし、個人事業も儲かりました。)

ですが残念ながらワーホリの経験をキャリアに繋げられている人は、全体で見るとかなり少数派なように思います。

データはありませんが、ぼくがワーホリで出会った日本人(少ないのですが)で、今でも海外関連の仕事をしている人はまったくいません。

1社目の海外営業部にはワーホリ上がりが僕以外にも数人いて、後にそれぞれアメリカ・インド駐在員として働いていましたが、コレも全体から見ると少数派でしょう。

海外営業部みたいなところにいるとそういう人が集まっているので、それなりに多く見えるかもしれませんが、ほとんどの日本人ワーホリメーカー(ワーホリする人)は外国や英語とは無関係な人生を送っています。

もちろん、キャリアに無関係でも「チョー楽しかったから大成功!」と本人が思うならそれも大成功ですが、せっかくだからキャリアにつなげたい、就職につなげたい、というのはワーホリを検討している人の偽らざる本心ではないでしょうか。

実際の所、最初は志はあったものの、思ったより英語が伸びずに目標がスケールダウンしていく人も多い。

本稿では、「実際にワーホリを海外キャリアに活かしたオジサン」の一つの例として、ワーホリで何をしたか、どうやって海外関係の仕事をしてきたかをご紹介します。

ワーホリを検討中の方、今まさにワーホリをしている方、また、ワーホリを終えて帰国された方々の参考になれば幸いです。

渡航前に必要な英語力

この話をするのに英語の話は避けて通れません。英語圏以外にワーホリする方は英語を韓国語など自分の言語に置き換えてみてください。

ワーホリに行くと色んな国の人と話しますが、当然その言語は英語になります(日本人同士でつるまない限り)。

英語の勉強はワーホリの目標の大きな柱だと思いますが、かなり絶望的な差がつきます。その理由は、「渡航時点の英語力にめちゃくちゃ差がある」ことです。

日本人はよく"I can't speak English"と言います。謙虚な日本人ならではですが、この中でもかなりのレベル差があります。

中学で英語に挫折した人と、それなりのレベルの大学をでた人では基礎英語力がまったく違います。ここがワーホリの1年間という短い期間での学習効率に大きく関わってくるのですね。

で、渡航前に必要な英語力ですが、ズバリ「中学英語を完璧に」です。詳しくは現役海外駐在員が教える語学(英語・中国語)習得方法に書きましたが、実は日本の中学英語は超優秀です。

日常会話のほとんどをカバーできますので、公立高校の入試問題くらいは余裕でわかるようにしておきましょう(スペルとか、発音記号とか細かいのは不要)。

僕のケースですが、高校受験時に解いた過去問は確か5年分。英語はすべて100点でした。もともと得意だったのかもしれませんが、11ヶ月のワーホリからいきなり上場企業の海外営業部に入れたのは、この中学英語の基礎があったからだと考えています。

渡航前に僕がしたこと

さて、実際にワーホリの話をする前に、ワーホリをする前にしたことについてお話します。準備編ですね。何事も本番に負けないくらい準備は大事なものです。

僕がしたことで、皆さんにおすすめしたいのは只一つ。

「全て自分でやる」

ことです。ワーホリに行くときにエージェントを使う人が多いです。飛行機のチケットから語学学校、ホームステイ、ビザの手配などなど代行している代わりに結構なお金がかかります。

コレをすべて自分でやります。ワーホリビザはNZの政府のサイトで取得。もちろんすべて英語です。飛行機のチケットなんて普通に日本語で取れるし、語学学校だのホームステイはNZについてから探すことも可能です(僕は利用しませんでしたが。)

特にビザは苦労しましたが、どうせNZに行ったら英語まみれになるわけだし、そもそも英語まみれになるのが目的なわけです。ここを他人にまかせて大金を払うのはあまりにバカげています。自分でやりましょう。

なお、僕は更に追い込むために「初日の宿を予約せずに」NZに到着しました。サバイバル感があって楽しかったですが、時期によってはマジで宿が取れない可能性もあるのでコレはやめておきましょう(笑)

もちろん英語の勉強もしておきましょう。まずは中学英語を完璧に。コレは絶対必要です。

渡航中に僕がしたこと

実際にNZに到着しました。宿の予約もせずに(笑)

とりあえず市内に向かうバスへ。見様見真似でチケットを買ったは良いものの、バスの降り方がわかりません。日本のバスにある降車ボタンもないし、どうしたもんかと思っていたら、近くに座っていたおばちゃんが、バス停のアナウンスの後にこう叫びました。

"Yes, please"

なるほど、こう言えば降りられるんだなと学習した僕は、なんとなくあたりを着けていたエリアで”Yes, please” と叫び、無事下車することができました。コレが僕がNZで初めて使った英語です。

日本人を避ける

降り立ったのはオークランドですが、ここは3日で脱出しました。日本人だらけだったからです。

アメリカ生活が長い知人から、「日本人は日本人ばっかりで固まって全然英語覚えない」という話を聞いていたので、徹底的に日本人を避けることは心に決めていました。

コレはとても重要で、心細い外国で出会う日本人はやはり安心感があります。その延長線上で、韓国人や中国人も安心感があるので固まりがち。

日本語の通じない中韓人はまだしも、日本人といるとまったく英語を覚えないのでまじで危険です。

そういうわけで、3日目に車を買って(NZはその場で買って乗って帰れる。)高速道路に乗ってオークランドを脱出しました。

本当は南に行くはずだったんですが、間違えて北向きの高速に乗ってしまったのでそのまま北に行くことに。結果的に英語力を爆伸びさせてくれる親友と出会うので人生何がどうなるかわからないものです。

仕事遍歴

ワーホリといえば仕事。特に今は円安&経済格差を利用して出稼ぎに行く人も多いようなので、皆さん気になるところでしょう。

18年前の話では参考にならないとは思いますが、仕事を探すのは超大変でした。商店街のお店全てにCV(職務経歴書)を出しに行ったし、新聞の求人にもたくさん応募しました。

結果的にいい仕事に巡り会えた、そんな話。

とはいえ、最初は日本食レストランで働きました。日本人を避けるというポリシーに反しますが、ホールスタッフということでネイティブの接客ができることを優先させました。結果的に大成功。

働いたのはNZの首都であるWellington。NZの中では日本人が少ない都市にある日本料理店のお客さんはほとんど地元のKiwi(NZ人のこと)でした。

となると、オーダーは当然英語で取るわけなので、ここで徹底的に「レストランで使う英語」を覚えることができました。なんせ相手はネイティブなので、自然な英語しか飛んでこないわけです。

Kiwiはとにかくフレンドリーなので、お客さんと長話することも多く、英会話の良い練習になりました。日本料理屋でもホールスタッフなら英語の勉強になります。

が、逆にキッチンはダメです。ほとんど全員日本人なので、まったく英語の練習になりません。普通に日本の飲食店でバイトしてるのと変わらない。

で、ここにお世話になった後に見つけたのが、地元の高級レストラン。有名な俳優やロード・オブ・ザ・リングの監督が来るようなところです。

ここはキッチンハンドというキッチン内の雑用係でしたが、コレが良かった。なんせ日本人は僕だけです。外国人はドイツ人とサモア人が一人ずついるだけ。

例によって超フレンドリーな同僚たちと、毎日仕事終わりに社割のビールと余りのワインに、サンプルのチーズで飲み会をしていました。飲んだ後にビリヤードやバーに行ったり。

まだまだ英語の下手な僕と別け隔てなく遊んでくれた同僚たちには感謝しきりです。

この仕事を見つけるのには相当苦労しましたが、一生の思い出と英語力の基礎を頂きました。時給は10ドルから上がって11ドル。当時は1NZドル=70円とかだったので、びっくりするくらい安い時給でしたが、得たものは大きかった。当時はまだ日本はお金持ちだったんですね。

こういう仕事を見つけるためにもやはり最低限の英語力は必要です。繰り返しになりますが徹底的に中学英語をやったうえで、毎日勉強することが必要です。

ネイティブと住んで、遊ぶ。僕の英語学習法

さて、じゃあどうやってワーホリ中に英語を勉強したか、ですが僕の方法はシンプルです。ネイティブと一緒に住んで、遊ぶ。です。

先述の間違えて乗った高速道路の先で出会った友人は韓国系アメリカ人でした。見た目はアジア人ですが、アメリカ育ちなので完全にネイティブな英語を話します。すごくきれいな発音で聞き取りやすかった。

その彼と一緒に遊んだりしていたのですが、家賃を浮かすためにWellingtonで一緒に住むことになりました。米国で言うルームメイトはNZでフラットメイトといいます。

インターネットで探したフラットに二人で見学で行って、決めました。一軒家を4人でシェアする形で、Kiwiのカップルと、僕らの4人。完全なネイティブ住環境の完成です。

Kiwiは地元なので、しょっちゅう友達が来てゲームやっていたので一緒に遊んだり、とにかく家でも職場でも日本人は自分だけという環境を作りました。

外国語の語彙というのは遭遇しないと覚えないものがたくさんあります。例えばWellingtonの自宅にいるときに降った「雹」。もちろん英語でなんていうかなんて知りませんでしたが、横にいるネイティブに聞けば良いわけです。

雹はHail。こういう単語はいくらTOEICを勉強しても出会いません。

Kiwiは仕事をしていましたが、アメリカ人の方は同じくワーホリできている(NZはアメリカとワーホリ協定がある。日本はないけど。)ので暇人です。

二人でアザラシを観に行ったり、シーカヤックをやったりという間中がずっと英語の勉強になります。当時はスマホはまだなかったので、カシオの電子辞書を肌見放さず持って、ずっと調べていました。

コレ何?これはなんていうの?という、3歳時のような質問の嵐に嫌な顔一つせず付き合ってくれた彼には、いまだに感謝しっぱなしです。

電子辞書

最近では使う人もずいぶん減りましたが、僕は語学学習には電子辞書は必須アイテムと考えています。今も中国に滞在していますが、デスクには常に電子辞書(中国語モデル)を出してあります。

スマホやタブレットでも調べられますが、やはり専用機の便利さには敵いません。

本気で英語を覚えたいなら、安いモデルでも構わないので電子辞書を用意してください。捗り方がまったく違います。

帰国後の就職活動と駐在

そんなこんなで楽しかったワーホリも終わり。やるべきことは(Kiwiの彼女を見つける以外)すべてやりきったので、1月早く11ヶ月の滞在で帰国しました。

だいたいみんなオープンチケットという、帰り便の日付を後で確定させるチケットでワーホリに来ているわけですが、この電話を英語で難なくこなせたことは結構印象深いです。

電話の英語って結構難しいものですが、1年の成長を感じられた瞬間ですね。滞在中も車の保険など、店頭窓口があるものでもあえて電話にトライしたりしていた成果かもしれません。

こうやってすべてを学習機会に変える心がけも重要だと思います。

海外営業部から経営企画室へ

で、現実に帰るわけです。就職です。音楽の道を挫折し、このままサラリーマンになるにも武器がないと思い、ワーホリで英語を身に着けたわけです。まだまだつたない英語ですが。

となれば当然、英語が使える仕事を見つけようってことで、色々応募しました。

いくつか内定を頂いた後、入社したのが、東証一部上場(当時)の製造業の海外営業部。いわゆる代理店営業ですが、海外代理店を担当しました。

タイ・マレーシア・韓国などの担当でしたが、韓国以外はすべて英語でのやり取りになります。ここでビジネスメールの書き方を集中的に勉強しました。

意外とアメリカ人などのネイティブのほうが文章が冗長で読みづらい=文章が下手なのも印象的な発見でしたね。日本人はネイティブ信仰が強いですが、そこも考えものかもしれません。

ここには11ヶ月ほどいて、経営企画室に異動。海外関連のプロジェクトを担当しました。上海子会社設立、バンコク子会社設立など。後にこのバンコク子会社で駐在することになるので、点はつながるものです。

中国駐在編

経営企画室で担当して立ち上がった上海子会社の駐在員に社内公募がかかり、コレに応募しました。英語圏に行きたいという思いもありましたが、正直英語は自分で勉強して伸ばせるレベルになっていたので、英語以外を覚えたいなと。

そうなれば中国語が最右翼になります。なんてったって話者の人口が多い。当時の中国はバブルの絶頂で超好景気。英語に加えて中国語を覚えておけば食いっぱぐれないだろうなという下心もありました。

結果的に上海子会社は落ちたのですが、「何だお前中国でも良いのか」ってことが役員に知れ渡った結果、上海から100kmほど離れた製造拠点に海外駐在員として赴任することになります。

タイ駐在編

中国で2年間財務を担当(経営企画室のときに財務会計はめちゃくちゃ勉強しました。)した後に、そのままスライドする形にタイ・バンコク拠点の立ち上げスタッフとして赴任。ここでかなり英語力を伸ばすことになります。

タイは英語圏でなくタイ語を話す国ですが、この拠点は東南アジアの統括拠点でした。マレーシア、インドネシア、フィリピンなどの代理店を束ねる都合上、業務は基本的に英語。日本人上司の通訳もやりました。

かなりタフな代理店契約の交渉の通訳などもやり、めちゃくちゃ英語力は伸びましたが大変でした。なんせ直前まで中国で中国語の勉強をしていたので、英語力は下がっている状態からのスタートです。

東南アジアの企業経営者は帰国子女やインターナショナルスクール出が多く、ほぼネイティブと変わらない英語を話します。

毎日オーディオブックを聞きながら、電子辞書を片手に通訳をしまくり、気づいたらめちゃくちゃ英語力が上がっていました。

プライベートでもイギリス人とダーツチームを組んで大会に出たり、東京とは比較にならない国際都市であるバンコクはとても刺激的でした。

個人事業主編

海外駐在員は裁量も大きく、日本ではできない仕事ばかりをたくさんこなすので、「自分の能力を過信しがち」です(笑)

例に漏れず調子に乗った僕は退職して、独立してしまいます。

いろいろな事業を経てたどり着いたのが、「外国人向けのホテル経営」。また英語を毎日使う生活です。中国語もたまに。

毎日世界中から来るお客様と英会話をするのはもちろん、ホテルの特性上従業員も英語が必須なので、アメリカ人、イギリス人、フィリピン人、中国人スタッフが入り乱れる国際的な職場に仕上がりました。

自分が雇っているスタッフと一緒に仕事をしながら、また「コレはなんていうの?」と質問しまくり、英語の勉強を兼ねたわけです。

もはや僕にとって語学学習は趣味ですが、おとなになってから外国語を身につけるにはコレくらいやらないと行けない、という目安に使っていただければ良いのかと思います。

中国駐在2nd編

ようやく現在にたどり着きました。9期目までやった個人事業主はコロナ禍であえなく撤退となりました。新しい事業を立ち上げることも考えられましたが、正直コロナで心が折れていたので再就職することに。

40歳の就職活動の結果たどり着いたのは、またしても「中国駐在員」。日本人だけでなく、世界中でよく知られている有名企業です。

1社目よりはるかに良い条件のこの仕事につけた理由は色々ありますが、間違いなくスタート地点になっているのは、NZでのワーホリ経験です。

あの経験が僕を海外営業部に入れてくれ、中国とタイでの駐在に導き、個人として独立させ、そして失業したときに日本の平均収入を遥かに上回る現職(詳しくは海外駐在員になってプチ金持ちになる方法。参照)を与えてくれました。

あまり語られることのないワーホリの後日談ですが、それなりにキャリアに活かせた一例としてお納めいただけますと幸いです。

まとめ

長々と書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。

大事なポイントは「ワーホリや語学の学習には再現性がない。」ことです。

本文では割愛しましたが、外国人の友達を作るために僕は特技であるギターを使いまくりましたし、英会話の相手を作るために安宿で安ワインを振る舞いまくったりしました。

コレと同じ方法はギターが弾けて大量にお酒が飲める人しか取れません。

ワーホリの使い方は人それぞれ。是非後悔の無いワーホリにするため、本稿の心構えみたいなものが役に立てば幸いです。

15年後に、「ワーホリに行って本当に良かった!」と言えるために。


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