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りゅうちぇるが教えてくれた大切なこと

 ここ数日、Twitter上で批判されている人物がいる。それはタレントのりゅうちぇるさんだ。ぺこさんとの離婚依頼初めてテレビに出演し、女性としての外見で新たな一歩を踏み出したことがきっかけとなった。

ネット上の声

これまでは「理解のある旦那」として多大な共感を得ていた人気者のりゅうちぇるさんだが、この数日では批判的なツイートにも万単位のリアクションがついている。

そして大迫力の強烈な批判には、10万以上の共感が寄せられている。

3か月前の話


私はりゅうちぇるさんが離婚をして間もない9月に、以下の記事を書き始めていたが、書き終わるころには話題にもならなくなり、公開はしなかった。

しかしこの数日であまりに多くの人がりゅうちぇるさんに対してネガティブな気持ちを持っているのを見て、今こそ公開する価値があると考えた。

離婚直後は賛否両論だったのが、今回は否定論ばかりが目に付く。そんなりゅうちぇるさんに否定的な人もちろん、肯定的な人も、知っておくべきことがある。

それはりゅうちぇるさんのことにムキになると、人生の幸福度は下がるということだ。

※全く知らない人向け補足

 りゅうちぇるさんは性自認が男性ではないため、「本当の自分」と、「夫、父としての自分」のイメージの間に溝ができてつらくなってしまい、タレントのペコさんと離婚をしたとのこと。

そして籍を抜くことで「夫」としてではなく「人生のパートナー」として、ぺこさんと彼女との間に授かった息子さんと一緒に暮らしていくそうだ。

 りゅうちぇるさんの性自認が男性か女性かについては、全くと言って良いほど否定的な意見は見られない。

また、結婚して子どもまでいるのに「本当の自分らしさ」のために離婚をすること、さらにはこれからも一緒に暮らすのにわざわざ離婚をする必要があるのか、という点は賛否両論あるものの、肯定的な意見の方が多い。

ただ、一部で激烈な批判を受けている点がある。それは離婚前のりゅうちぇるさんの発言を振り返ってみればわかる。

りゅうちぇるの言葉

イクメンという言葉が無くなるくらい パパも子育てに当たり前に向き合えて 別にパパが子育てをしてても 全然驚かれないような 大切な子供を 夫婦で協力して話し合いながら育てていけるといいな...》

《男性に対する“イクメン”と同じような言葉がママに対してもあればまだいいかなと思うのですが、パパがママと同じことをしたら“イクメン”と褒められるのは違うかなと感じます。ストレートすぎるかもしれないけど、本当は、僕のしていることをしていないパパはパパじゃないと思います、ぐらいのことは言いたい。それだけ世間のパパは育児をしていないんだ、当たり前じゃないんだと痛感するし、世間と僕の感覚にはズレを感じますね。》

《育児セラピストの資格を持つ立場からすると、スマホ育児はよくなくて、育児と仕事の場面はしっかり分けたほうがいい。子どもと出かける時もいつもより30分早く起きて準備から全部やってみて。根本的に、頼まれたことをやるだけで十分っていう考えは本当に恥ずかしいと思ってほしい。会社でもそんな感じ? 仕事と子育ては違うと言うかもしれないけど、それって〝生きる意識〟だから

こんなに頑張ってるのに!という気持ちになるのもわかるけど、ママの言葉に嫌な思いをしたならすぐに言い返すんじゃなくて、少し時間を置いて「あの時はわからなくてごめん、どうしたらいいか教えてほしい」と言うべきだし、そしたらママも言いすぎたなって気づけると思う。そうやって歩み寄ってこそ、すべてを動かすパパになれるんです。ママの気持ちを理解すればママの穏やかな気持ちは子どもに伝わって、家族の雰囲気がよくなるから。家庭をうまく回せるパパを目指してください。》

りゅうちぇるのマッチョイズム

これらの発言は女性から大きく称賛された。「りゅうちぇる人生何周目なの・・・」が定型句のように使われ、「アップデートされた価値観を持つパパ」としての地位を不動のものにしていた。

たしかに言っていることはその通りだとは思う。しかしりゅうちぇるさんの言うパパ像は完璧すぎるように感じないだろうか。「仕事も家事も育児も女性から見て完璧な状態であるべき」、というゴリゴリのマッチョイズムである。さらにはそれをできない人を非難するだけでなく、煽り要素も強い。「会社でもそんな感じ?」はパワーワードだ。

誰もが思った。「りゅうちぇるのようにはできない」と。

しかし今回の離婚に際して、

これまで皆さまに多様な生き方を呼びかけてきた僕なのに、実は僕自身は"夫"らしく生きていかないといけないと自分対して強く思ってしまっていました。"夫"であることは正真正銘の"男"でないといけない

とのこと。

自分が呼びかけてきたゴリゴリのマッチョイズムを男なら貫くべきだが、自分は性自認が男ではないのでそこから降りるということだ。

りゅうちぇるの自由

 そんなりゅうちぇるさんに対して筋が通らないとか、無責任だという批判があるが、それは言い方を変えればりゅうちぇるさんは「自分のやりたいことをやりたいように生きている」ということだ。りゅうちぇるさんの自由を否定するということは、自分自身が自由になることを否定することにもなる。

他人のりゅうちぇるさんに「筋を通せ、責任を持て」、と求めながら、自分は自由に生きようとすることこそ、まさに筋が通らないし、無責任だ。自分自身が自由に生きたいのなら、りゅうちぇるさんの自由を否定してはいけない。

りゅうちぇるの本音

そうだからといって、肯定的にとらえることも危険だ。なぜならりゅうちぇるさんが今発言していることが本当にりゅうちぇるさんの「本当の自分」なのかはわからないからだ。

かつてマッチョイズムを披露した時、誰もがそれをりゅうちぇるさんの本音だと信じていた。しかし実際は「世間が求めている自分と本当の自分の間の溝が大きくなって精神が壊れてしまいそうだった」とのことだ。

その言葉が偽りだとしたら、そんなウソつきの言葉を真に受けてはいけない。

しかし本当だとしても、「夫としての在り方なんて家庭それぞれのことなのだから、他人のりゅうちぇるが語る《べき論》なんてどうでも良い。」というリアクションが多ければ、りゅうちぇるさんがマッチョイズムを発信し続ける必要はなく、自分を追い詰めないで済んだことになる。

ゆえに、りゅうちぇるさんの言葉は「真に受けない」一択なのだ。

りゅうちぇるが教えてくれたこと

りゅうちぇるさんがマッチョイズムを主張しているときに苦しんでいたのかも、性自認が女性なのかも、本当かどうか知る手段は私たちにない。そんなりゅうちぇるさんのことを否定しても肯定しても、私たちの幸福度が上がることはないと、りゅうちぇるさんは身をもって教えてくれているのだ。


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