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わきまえるBTSと、わきまえない私たち

 先日、韓国のアイドルグループであるBTSが、アメリカのホワイトハウスに現れた。アメリカでアジア人が暴力被害に遭う、アジアンヘイトについて、バイデン大統領と議論するためだ。人気と知名度の高い彼らの言葉は、アメリカでのアジアンヘイトへ関心を高めてくれるだろう。

 そのような期待と同時に、私は戦慄を覚えた。それはこの世界で広がっていく格差についてである。

わきまえるBTS

 この会見の写真を見て、あなたは何を感じただろうか?普段の彼らはこんな感じだ。

一人一人が個性的ないでたちをしている。しかしホワイトハウスでの彼らは、全員が同じスーツを着て、髪の毛は黒に統一し、髪型さえも大差ないものにしている。

 現役の高校教員である私から見ても、彼らの服装と頭髪は校則上問題のないものだ。(しいて言えば、両端の二人は前髪が少し目にかかっているので、次の頭髪検査までに切って来なさい、とは言うかもしれないが。)彼らは場をわきまえ、身だしなみを整えてきたのである。

 しかし彼らにその必要はあるだろうか?世界中で絶大な人気を誇るアイドルであり、歌もダンスも英語もできる実力もある彼らが、普段の衣装、普段の髪の色、髪型でホワイトハウスに行ったら問題になるだろうか。

 場をわきまえなさい!という人間がいても、「俺たちBTSですが何か?」ですべてが吹き飛ばせる。それでも彼らはわきまえてきたのだ。

わきまえない私たち

 いま、人権や個性の尊重、多様性の名の下に、身だしなみの概念はどんどん緩くなっている。

 会社員でもスーツを着ない人は増えているし、髪型や服装に関する校則についても大きな見直しが全国的に進められている。

 ここで考えなければいけないのは、みだしなみは、私たちのような平凡な一般人が、まともな人間であることを示すことができるということだ。

 それに対して、BTSのような実力も人気もある彼らに、そんなものは本来必要ない。むしろ、そういうすべてを手にしている人たちが好き勝手振る舞うことで、まじめな一般人とのバランスがとれるというものだ。

 破天荒な成功者と、まじめな一般人、という対比があるから、実力のない私たちも社会から必要とされる。身だしなみやわきまえというのは、私たち一般人が、社会で必要とされるための武器なのだ。

わきまえるBTSとわきまえない私たち

 実力のない私たちはいま、その武器を自ら手放し、実力も富も名声も手に入れている人たちがそれを身につけ始めているのだ。

 つまり、実力もなくわきまえもない一般人と、実力もわきまえもある成功者という構図ができつづある。その差はあまりにも大きい。

 Winner Takes All(勝者がすべてを持っていく)を自ら加速させないよう、まずは鏡の前に立とう。


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