伝える怖さ

結論から言う。私はジャニーズに限らず、専門家でもない人がコメンテーター、アナウンサーではない人がキャスターとして報道番組に携わるのは反対だ。

「感情」と「権威性」だけで求められている答えしか言わない。そこに追い打ちをかけるように肯定的な「そうだよね」しか言わない共演者。

コメンテーターという肩書きで出演している以上、コメントは求められて当然である。では的確なコメントとは、誰にとっての的確なのだろうか。

報道の自由について改めて考える。根拠条文には以下のように記載されている。
「憲法第二十一条は表現の自由を保障しているが、これは、民主主義政治の下において、国政に関する国民の知る権利に奉仕するための報道機関の報道及び取材の自由を保障するものである。」

法律やルールは集団における取り決めであって、善悪を測るものではない。だが、多くの人はルールを守れば「善」、反したら「悪」と、法やルールに善悪を委ねる。

櫻井翔がキャスターを務める「news zero」の卒業(降板)がトピックとしてあがった。
大卒アイドルとして、アイドルキャスターの礎として、約17年もキャスターを務めたが、降板を望む声まである。

コメントを求められるコメンテーターと違って、キャスターは公平中立にニュースを読むのが生業だ。キャスターの資質について彼を責める声もあるが、ではキャスターの資質とは一体何なのか?

櫻井キャスターは責務を全うしていたと思う。
ただ今回の件においてわかった(以前から疑問視されていたが)、大手芸能事務所のタレントをキャスターに据えさせるということが、公平・公正な報道を阻害する可能性がある。
それはタレント本人の資質と関係ないが。

事実を伝えるということがどれだけ難しいことなのか考えて欲しい。立場や、ご時世的なものも加味されて、受け取り手次第で如何様にも曲解される。
風向きを読むことだけが全てではないが、タレントという職業は人気がものを言う。思っていることや事実を伝えたことによって、本職に支障が出ることをもっとシビアに、一抹の怖さを感じて考えて欲しい。

fin
※これは(タレント)コメンテーターにむけての個人的感想です。



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