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夏を知る夏 (2011年作) 3−2

平成元年の高校生、夏の自転車旅行ついに出発。

3−2
 ぼくはシンタの言うとおり、どんどん赤ペンを進めていった。地図の上に乗っかって、先へ先へぐいぐい赤線を引っ張った。柏の街の北側で、利根川沿いの水田地帯に出た。ここまでくれば後は利根川づたいで関東平野を突っ切って行ける。明日の午後、ぼくたちはそこで、どんな風景の中を走っていくのだろう? 笑っているだろうか、しかめっ面だろうか。4人みんなが地図に乗って、身を乗り出して、ぼくの握るペン先を見守っている。黙っている。きっと、みんなそれぞれの、期待と不安を秘めながら。

 千葉県最北関宿でいったん距離を測ってみた。書き込んだ赤ペン線に定規を当てて計測、計測、計測……。およそ65キロ。
「一泊目はこの辺かなぁ」
 ぼくのつぶやきに、浜ちゃんが
「何このハートみたいな形したとこ、湖?」
 と、これから予定ルートが伸びていきそうな先を指した。群馬・栃木・埼玉三県の県境が集まる辺りだ。田畑でも人家でもなくぽっかりと開けた空間が描かれ、その一部がハート型の大きな湖になっていた。
「何なのここ、赤間遊水池? って書いてある。すっげー広そう! ここで泊まってみない?」
 一雄が言った。
「いいね!」
 うなずく三人。遊水池までの距離は合計およそ90キロ。まぁ、行けるかどうかやってみよう。
 (※ 赤間遊水池は、現在では渡良瀬遊水池という表記に統一されているようだ)

 2日目はさらに利根川を遡るようにして埼玉・群馬の県境を西へ西へ。伊勢崎市まで来ると大きな支流が合流してる。烏川だ。ぼくらが目指す嬬恋村へのルートは烏川沿いだ。そちらに赤線を延ばしたところでまた計測。2日目スタート地点遊水池から約60キロ。
「この辺りで2泊目探すことにしようか。河原ならやれるとこどこかしらあるだろ」
「だね、いいね!」

 3日目は烏川沿いに遡上して、平野部から丘陵部へ差しかかる。高崎を過ぎて榛名山の麓をまいて次第に山間部へ。烏川の水源地域、倉渕村へと進む。この辺りまでで50キロ。最後の一泊は、峠越えを目前に控えた倉渕村内がいいだろう。
「わー、この辺から急に等高線が狭くなってくるなぁ」
 一雄がすかさず分析の言を述べる。そう、ここから峠道らしくなってくるのだ。

 4日目。最後の集落を過ぎると、ぐねぐねツヅラ折りの道となる。この最大の難関は「二度上峠」と地図に表記がある。にどあげ峠と読むらしい。高低差はおおむね700メートルほどになるようだ。
「ひゃぁ、すげえ道だなー」
 今さらで浜ちゃんわめく。
「おめーなぁ、オレたち関東平野を越えた先に行くんだぜ」
 シンタは心得ている。
 二度上峠の頂点を過ぎればあとは下り坂がしばらく続き、すぐさま北軽井沢へ到達。ぼくはそのすぐ先の最終目的地「嬬恋村鎌原」まで赤線を引き、最後にその文字を丸で囲んだ。
 最終4日目の行程はおよそ30キロ。距離は短いが未体験の峠越えに一日を賭けることにした。

 走行予想距離、合計230キロあまり。メンバー4人は、部屋いっぱいに広がった地図の上に座り込み、一筋書きの赤線を目で追った。
「明日から、こんだけ走るんだよなぁ」
「ほんとに行けんのかよー」
「すっごそうだよなぁ」
 我々は再びひとしきり静かに感動し、興奮し、さらに改めて心配をし、そして各自広げた寝袋にもぐり込んだ。電灯を消し、ニュースステーションが天気予報を伝えるのをぼくは眺めていた。
「台風十三号が本州に接近中です」
 勝恵子が言っているのが聞ききつつ、するりと眠りに落ちていった。

 朝、六時起床。晴れ、微風。
 ベランダで湯を沸かしてコーヒーを入れ、昨日買っておいたパンをほおばって朝飯とする。
 大荷物を2階から玄関へと順々に降ろし、各々自転車に積み込む。
 4台とも普段通学に使っている自転車だから、ツーリング専用の荷台などは装備しておらず、フロント荷台もない。ほとんどの荷物はサドル後部の華奢な荷台に、荷ゴムをグルグル巻きにかけて山盛りにくくりつけられる。
「どう? みんな行けそう?」
「おう、いいぜ」
「オッケー、行こうぜー」
「よし、じゃ……」
 ペダルを踏み込む!
 午前7時、出発。体重と荷物を支えるフレームをぐわりぐわり、としならせながら4台の自転車は動き出した。

 「千葉県どこでも寝込んでしまう会」の新たな試み、3泊4日の自転車連泊遠征が始まった。
 1日目、まずは「昼時までに利根川河畔に到達」が目標である。昨夜話し合ったとおり、浜ちゃんが自分の通う高校まで先導する。途中までは他の三人にとっても通学路である。毎朝学校へ通うときのありふれた光景が、今朝に限っては冒険の入り口なのだ。慣れきった曲がり角のコーナーリングにだって力が入る。まだ人通りの少ない地元の駅前通りを抜けて行く。

 郊外に出て、小さい頃から釣りをした川を渡る。その川沿いをぶっ飛ばす。湿った涼しい朝だ。
 下総台地特有の、低地から台地への急坂をぎゅんぎゅん登る。高低差20数メートルを上りながら、「最後の峠越えってどんな感じなんだろ」 とまた案じてみる。
 坂を上りきると、もう浜ちゃんの学校の校門が見える。
「おーい、ぼくはこの辺までしかわかんねーぞぅ!」
 先頭で浜ちゃんが叫んだ。
 出発から20分、早くも巨大地図の登場。必要範囲だけが見えるように折り畳んでみんなで囲む。
「とにかく北西、だめなら北、だな」


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