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人生をドライブさせる3つの「イッショウケンメイ」についてのお話し

あけましておめでとうございます!

本年も、風の吹くまま気の向くままに、noteを綴っていきたいと思います、よかったらお付き合いくださいませ。

さて、新年一発目は、3つの「イッショウケンメイ」についてのお話し。

自分自身のありたい姿を「自然豊かな環境で、家族ファーストをぶらさず、自分達らしくゆっくり暮らす」と定めて以降は、そのありたい姿を道しるべに、日々の行動やら判断やらを積み重ねられるようになりました。

ありたい姿と日々の生活がリンクすることで、とても充実した毎日を過ごすことができるようになったのもあって、皆さんから「どうやったらありたい姿は見つかるのか?」なんて質問を度々頂いたりします。

で、どうやって「ありたい姿」を見つけたのかを振り返ってみると、身もふたもないかもしれませんが、「ありたい姿」は見つけようと思っても見つかるものではなく、日々を「イッショウケンメイ」に生きてた結果、気が付いたら見つかっていた、という感覚でした。

では、この「イッショウケンメイ」とは何なのか。自分なりに掘り下げてみた結果、「3つ」の「イッショウケンメイ」というキーワードに行きつきました。

そんな訳で、前フリが長くなりましたが今回はこの「3つのイッショウケンメイ」についてお伝えしてみたいと思います。

もちろん、この3つのイッショウケンメイを意識したからといって、「ありたい姿」がすぐに見つかるわけではありませんが、人生をドライブさせていく上で大事な考え方なのではないかと思っています。


①一「所」懸命。

文字通り一つの所に命を懸けるぐらいの意気込みで、とにかく目の前の出来事に全身全霊で打ち込むこと。

全力を尽くすことで自身の成長に繋がる。成長することで周囲の期待にも応えられるようになり、期待に応えることで自信を深めることが出来る。更に寄せられる期待を糧に、自らを奮い立たせてさらに努力を重ねる。そういうループをまずは作ること。そのループをぶん回す中で、成長し、成果を出し、自信を深め、期待を信頼に変えること。

こうした日頃からの努力によって、人間力を鍛え周囲の信頼を貯めておくからこそ、ありたい姿が頭をよぎった時に、チャンスを掴めるようになるんだと思います。

遠くの青い鳥を追い求めて足元を疎かにすることなく、今ある目の前のことに一所懸命になれているかが、まずもって重要ではないかと思います。

    

➁一「緒」懸命。

当たり前ですが、人は一人では決して生きていけません。周りから多大な影響を受けながら日々を過ごしていくものだと思います。

自分自身を振り返ってみても、こいつには負けたくないと切磋琢磨をしあったり、期待に応えることが全てだった自分に違う世界を広げてくれたり、一歩踏み出そうとした時に全力で応援してくれたりと、良き仲間に恵まれたことで、今の自分があると断言できます。

でも、それだけ影響力の大きいものにも関わらず、「誰と一緒に過ごすか」を深く考えず、与えられた環境を是として受動的に過ごしてしまっている方も多いのでは無いでしょうか。

自分がパワーを貰える仲間と過ごす時間を意図的に選択すること。逆に言えば自分のパワーを知らず知らずのうちに浪費してしまう環境からはなるべく遠ざかっていくこと。

限られた貴重な時間を「誰と一緒に、何処で過ごすか」に意識を向けることによって、人生は大きくドライブしていくと感じています。

     

③一「笑」懸命。

これまた当たり前ですが、生きていれば色々な出来事があります。

ヒゲめがねで言えば、父親の蒸発、度重なる流産、2拠点生活によるメンタル不調など、そんな経験は無いにこしたことはない訳で。でも、その経験があったからこそ、今の自分があるのは間違いなく、今でこそ、その辛かった出来事1つ1つに意味を見い出し、感謝できるようにもなりました。

出来事というのは、ただの事象であり、それ以上でもそれ以下でも無い。その事象をどう解釈し、意味づけるのかによって、生まれる感情も、行動も変わってくる。「解釈力」によって、人生の彩りはいかようにも変わる。

であれば、どんな出来事にも何かしらの意味があると思って面白がり、何かシンドイことが起こっても、それが自分に必要不可欠なストーリーになると思って「笑」い飛ばすこと。それが人生を楽しむコツであり、結果的に人生を切り開くことに繋がっていくんだと信じています。


以上、「3つのイッショウケンメイ」についてお伝えしました。

この3つのイッショウケンメイを意識して掛け合わせていくことで、いつの日か「ありたい姿」に辿り着くのではないかと考えています。

と、ここまで「ありたい姿」を見つけることが「是」のように書いてきましたが、ありたい姿が見つかったから「凄い」とか、見つかってないから「悪い」などとは、全く思っていません。

なぜならば、むしろこの「ありたい姿」を探求する過程にこそ、人生の面白みがあったりすると考えているから。

なので「ありたい姿」が見つかった人は、「おめでとうございます!ありたい姿に向けて邁進できますね!」ですし、見つかって無い人も、「おめでとうございます!ありたい姿を探す楽しみがありますね!」ということなんだと思っています。これも、一「笑」懸命、物事の解釈の仕方の1例かもしれません。

という訳で、つらつらと綴ってきましたが、これらはあくまでもヒゲめがねの一つの考え方に過ぎません。鵜呑みにすることなく、この考え方も叩きにしながら、皆さんなりの「ありたい姿」を考えてみて頂けたら幸いです。

それでは、今日も良い1日を!

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