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時代の変化に合わせた父親像

「昔の家長としての父親と核家の家長としての父親は違う」アラフォーな私がふと感じた事。

「時代の変化による役割の変化」
現代社会では家族の形は様々で、父親が働き母親が家庭を守る、ではない家庭が増えた。古の昔からの家族像がここ数十年で変化したのである。(奥さんや女房なんて言葉は正にそれ)

「昔の父親像との比較」
昔の家長としての父親は、大黒柱と言うだけあり全権限と全責任を持っていたのだろいう。大企業の社長と同じで全部を事細かく支持は出来ないだろうから、家族から上がってきた意見や提案、お願いを判断だけしていた事もあっただろう。
核家族の父親は構成も違えば何せ数が少ない分、ケースバイケースや一対一のしっかり相手と話し合いが出来るプロデューサー的社長と言う感じの存在。

「独自性を持つ父親の存在」
 上記のような変化を感じながらも、昔の家長としての父親を真似ている現在の男性も存在します。なぜ彼らがそのような態度を取るのか?やはり絶対存在の父親、または祖父の幻影を自分に合わせているのではないか?社会の経済発展の為の変化とは言え、時代の変化を忘れ、絶対数の違いを見ないで自分の周りからの信頼度を、ただ歳をとっただけで持ち上げてはないか?まして、独身の男尊女卑なんかは痛々しい。ピエロだ。
常々、私は自分より稼ぐ女性も才能ある若者もごまんといるんだから性別、年齢マウントはとらない。もちろん、女性の~だから、若干何歳の~と逆マウントもとらない。いつでも、AさんBさんで考えて物事を判断している。

「自己成長と変化を促す方法」
話がそれた感じはあるが、結論は一人の人間として自分の性格に合った、ポリシーに合った振る舞いで人の為に、世の中の為にカッコいい人になるべきなのだろう。
勿論一番先に考えるのは父親だろうが母親だろうが守りたい者の幸せをまずは考えていればいい 。余れば他人を。
所詮人生は壮大な暇潰し。それなら人に感謝されて照れ笑いした人生は悪くないと思う。
 


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