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一部のSNSを休止して、ある期間のロードムービー風な自伝を書いている。

若いというのは途方もなく絶望的なほどの行動をする。28歳の私もそうだった。500ドルを握りしめ、小さな車でアメリカ横断という暴挙に出た。あれから40年以上の時が流れ、帰国、バブル崩壊、阪神淡路大震災、カフェ開業、地下鉄サリン事件、癌という死の恐怖、仕事の転機、東日本大震災、そして妻を亡くすという体験をした。少しづつ足腰の衰えを感じつつ、動けなくなる事に不安を覚える年齢に近づいてしまった。必死に散歩を続けどうにか退化する身体を維持するのが精一杯である。あの頃は衰えなどと言う言葉は私の脳内になかった。当たり前だが若いとは無謀と言う言葉もない。年齢を重ね色々な壁にぶち当たりそれを乗り越えて始めて恐れと言う物が解ると言うことだろう。その恐れと言う物を知らない若い内に旅しろと言うのも頷ける。

2000年と言えばこれから始まる物語の詳細を覚えているぎりぎりの頃だった。1979ー1981と言う2000年当時20年近く経っていたわけだし鮮明に覚えている部分と霞がかかり始めるぎりぎりの境界線だったはず。仕事の合間にへたくそながら一生懸命記憶をたどり3カ月で書きあげた。

記憶は薄れ良かった事だけ残されていく。それは自分の人生を肯定的に捕らえる事により、これからの残された人生を生きていく事が出来るから。

2018年秋、妻が癌で亡くなってから喪失感で立ち直れるのかと思うほど落ち込んだ。2019年少しづつキュッとした氷のような気持ちが緩やかに溶け出した秋、又アメリカを横断したいと思い始める。しかし、時は大統領選に絡む治安の悪化、そしてコロナが世界規模で拡大した事が止めとなり渡米、大陸横断は断念した。あれから2年が過ぎ体験記は仕上げの段階に入ってきたがそこに加筆される筈だった再びアメリカ横断と写真は加えることが出来ないのは残念と言うしかない。

まぁ〜時代はネットを使えばバーチャルで大陸横断も出来る時代、そしてたどり着くフロリダの町で懐かしい共とネットで再会も可能なのだから、それを最大限活用しよう。

今、そのストーリーは加筆して仕上げの段階に入ってきた。これから当時お世話になったアメリカの友達にネットでインタビューする機会も持ちたいと思っている。

さてさてゆっくり焦らず仕上げていきたいと思っている。そのストーリーはnoteやamazonでも公開の予定。今年中に完成すれば上々だろう。

                                                                                                               higehiro

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