あの頃から抜け出せない大人たちへ
音楽、アイドル、芸人など、あらゆる界隈で最近これらの言葉をよく見る。
”○○はあの頃のほうがよかった”
”あの頃の○○は満たされない感情を叫んでいるのが良かったが、今の○○は丸くなりすぎてつまんない”
”○○を応援している意味が分からなくなってきている”
よーく考えてみてほしい。
人は成長する。変化する。
10-20代は不器用で、社会に出ることが不安で、満たされなくて、やりきれない感情をみんなが持っている。
でも、30-40でその同じ熱量を持っている人がいたら、多分それはやばい。
子どもがうれしいときに満面の笑みで喜び、悲しいときに声上げて泣くのはよく見るけど、大人が同じようにしていたら何かの事情を察してしまうだろう。そういうやばさである。
社会にもまれるなかで、ひとはいろんなことを学ぶ。
周りから押しつぶされるつらさから逃げ出すための手段、ひかれたりやっかまれたりすることなく正しく自分を発信する術、人との距離の取り方。
これらはいったん学んでしまうとそれが板について、過去には戻れなくなってしまう。
そんな変化を見抜いて”ファン”は変わってしまったあの人と、変われない自分との間に距離を感じて、ちょっとした寂しさを覚えてしまう。
それが、”推し”に対する初めにあげたような言葉たちである。
そんな寂しい大人たちに告ぐ。
てめえも大人になれ。
一緒に大人になると楽しい。
「昔のあの人はこんな感じだったけど、成長してこんな感じになったんだな」と、大学生デビューした友達を見ているような楽しさが湧き上がってくる。
その時には自然と距離は離れているだろう。
そしたらつらくない。
昔とは違った距離で、「あの頃の自分」の象徴としての”推し”を見つめなおすと、いぶし銀のような輝きを持っているに違いない。
そうなるまで必死に生きやがれお前ら。
(あまりにもSNSでクソデカお気持ち表明を目にすることが多すぎたので年始早々クソデカお気持ち表明しました)
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