父のこと
もうすぐ定年退職を迎える私の父。
第三の人生を目の前に、父はなにを思うのだろうか。
父の人生は、幸せなのだろうか。
*********
新年、実家に帰省している。
家族が全員集まることは稀だ。
地元の銭湯に皆でいって、久々に父と話をした。父はもうすぐ定年退職、単身赴任ばかりで家を空けていた日々から解放される。
いや、父にとっては解放ではないだろう。父は私が物心ついた頃から仕事に追われ、たまに家に帰っては一言二言話をする程度。それは私だけでなく家族みな同様だった。
子どもの頃は、大人の男は寡黙でこんなもんだと思ってた。しかし、そうではなかった。
母も姉もそんな父を家庭を顧みないやつだと感じたのだろう。父が家にいるときは居心地が悪そうにしていた。
父もそう思われてるいることを知っている。そして、それは自分自身の責任だと考えている。
もう3月には仕事も終わりや、どうしようか…
父がいったその言葉は、決して老後の生活に期待なんてものはなく不安や空虚なものを感じた。
父は、自分は長くないともいった。肺を患っているそうだ。ヘビースモーカーだったので、致し方ないことだろう。ふと幼い頃に近所のタバコ屋にお遣いにいっていたことを思い出した。
マイルドセブンエクストラライトください。
当時は500円で二箱買って、おつりがでた。そのおつりは私のお駄賃になった。そのため、父にタバコ買ってきて欲しいと言われることが嬉しかった。
この思い出は、私にとって良きことなのだろうか。疑問に思ってしまった。わからない。
父は、幸せだろうか。
体育大学出身で筋骨隆々だった父の身体は、ずいぶんと痩せ細って皮が弛んでいた。オールバックでビシッと決めていた髪は面影なく寂しい様相になってしまった。
そんな父の衰えた姿と、不安げな言葉に私は失礼なことに、父の人生に疑問を呈してしまった。
*********
松本人志作詞の「チキンライス」の一節だ。
人の親の立場にたって、私はこの一節が少しわかるようになった。子どもに求めるのは健やかで穏やかな成長のみだ。
父もそう思っているのであれば、その願いは成就しているはずだろう。
しかし、考えるだけでなくなにかできることはないかと思うはおこがましいだろうか。
父に残された時間が具体的にどれだけかはわからないが、出来得る限りのことはしたいと思った。
*********
釣りへ行こう。
バッティングセンターへ行こう。
キャンプへ行こう。
簡単に思いつくことは、父に子どもの時にしてもらったことばかりだ。
それでいいのかもしれない。
いいのかもしれない。
いいと思いたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?