登壇予定だった生成AI関連イベントでのコメントとして考えていたこと。
はじめまして、ストレングスファインダー運命思考のHigashiyamaです。
とある生成AI関連イベントでラウンドテーブルに登壇予定だったのですが、諸般の事情で登壇を断念することになってしまいました。
せっかくコメントは考えていたので、ずーっと始めることができていなかったnoteで公開してみようと思いました。
盛り上がる生成AI、学生時代にWeb2.0ブームに触れた時以来のワクワクを感じています。いろんな人と一緒に夢を見ながらミライ切り拓いていきたいです。
Q1. (生成)AIに仕事が奪われる論をどう考えるか?
「仕事が奪われる」という表現をもう少し掘り下げたい。
仕事は「事業(サービス・製品)」と「職(業務)」に大別したい。
誰から奪われるか、という観点では「資本家(経営者)から」という観点と、「労働者から」という観点に大別できる。
この区分を踏まえると「資本家が営む事業そのものがAIに奪われてしまう」という観点と「労働者が従事する特定の職がAIに奪われてしまう」という観点に整理できそう。
どちらもあり得る。
事業そのものがなくなるという観点では、例えばビデオやDVDのレンタルビジネスは動画配信ビジネスによって「奪われた」と表現できるのではないか。
AIに限らず、これまでも環境やニーズの変化と技術の進化によって淘汰されたビジネスはあるので、別に特別なことではない。
職がなくなるというのも一緒。電話交換手とか、キーパンチャーだとか。ごっそり機械で自動化された。
なので、事業にしろ業務にしろ、特別AIだから云々ということはなく、これまでも起こってきた新陳代謝が今回も起こるんだろうなという感覚。あって当然、ない方がまずい。
強いていうならば、この新陳代謝のスピードと規模が、かつてないスケールなのかもしれない。
奪うのはAIではなく人間。
「労働者が従事する特定の職がAIに奪われてしまう」については、資本家が労働者をAIに置き換えるという意思決定を下すことによって発生する事象なので、労働者から仕事を奪うのはAIではなく資本家、すなわち人間。
Q2. どうやったら(生成)AIとうまく共存共栄できるか?
職によっては共存共栄は不可。
例えば電話交換手は電話の自動交換機とどうやってうまく共存共栄できるか?というのは、適切な問いではない。コスト・スピード・正確性、あらゆる面で自動交換機の方がパフォーマンスが高い。
今後、あらゆる面で人間よりAIのパフォーマンスの方が優れていると判断される職種は増えるように思う。そういった職に就いている労働者はスパッと別の職に目を向ける方が良い。自戒を込めて。
むしろ、どんどん奪ってもらわないと困る。
日本はこれから高齢化と人口減少が更に進む。労働者も消費者も高齢化しながら減っていく。これは予測ではなく確定している未来。
これを踏まえると、奪われること以上に、奪ってもらえないことで労働力不足を十分に補えないことの方が大きいリスクとも言える。
保険の営業にあてはめてみる。直販でも代理店営業でも、今後も全国津々浦々に営業支店を維持するのは、恐らくサステナブルじゃない。では人を貼ることができない地域では、どうするのか?というところでAIに可能性を見出せるのではないか。
なお、保険営業職の提供価値全てを今のAIがカバーすることはできないので、AIが今すぐ保険営業職に取って代わることは当面ないだろうが、買い手側が比較検討のためにAIをフロントに立たせるようになる場合はルールがガラッと変わる。売り手側もフロントをAIにせざるを得なくなるだろう。特に法人向けビジネスではそんな未来が早く訪れても不思議ではない。
自律AIの登場に向けた問い。
「どうやったらうまく共存共栄できるのか」という問いが真に重みを持つのは、AIが知性を持って自律的に行動するようになったとき。事業や職どころの話ではなくなる。
一人ひとりの人間レベルではなく、人類はどうやって自律するAIと共存共栄することになるのか。お互いを認め合うインクルージョンな未来であってほしい。そんな未来を作ることに貢献できたら嬉しい。
ちなみに、AIが自律的に人類を駆逐しようとする可能性なんかより、「地球のためには人類は滅亡すべき!」と本気で考えるような極々一部の人間がその目的達成のためにAIを悪用しようとする可能性の方がよほど高い気がする。
Q3. (勤め先のソリューションへの生成AI組み込みに関する質問、note掲載は控えておきます)
Q4. 最後に一言
「人間中心」は、人間にとって最適解なのか?
先日開催されたG7広島サミットでは、「人間中心の信頼できるAI」の構築を目的とした国際的なルール策定に向けて協議を進めることが合意された。
せっかくなので最後にちょっと過激な投げ込みをしてみたい。人間中心でなく、AI中心という考え方をしてみてもいいんじゃないのかと。AIを中心とした発想をすることが、結果的に人間にとって最も大きな便益をもたらす可能性はないだろうかと。
もう少しマイルドな表現をするのであれば、生み出される価値を中心に考える、価値中心という考え方。
AIの方が優れた価値提供ができることが明らかな事柄については、今ある環境やルールを自らディスラプトしてでも、いかにAIに優れた価値を出してもらえるような環境を整えられるかと、AIまたは価値を中心に物事をデザインするのは選択肢になりえるのではないか。
イメージとしては、自動運転の価値を最大化するために高速道路に自動運転専用レーンを作るという発想。AIにおいても同じようなアイデアがどんどん出てくることを期待したい。
「人間中心」に差し障るリスクを懸念するあまり、AIの価値を適切に享受できない事態に陥ってしまうことこそが、人類にとっては最大の損失リスクではないか。
業務に活かすという観点で。
今日のイベントのテーマに即しても、「自分が効率よく業務をこなすためにに、いかにAIを活用するか」という考え方に加えて、「AIに効率よく業務をこなしてもらうために、自分にはどんな手助けができるか」という発想を持つと、また違ったゴールやアプローチが生まれるのではないか。
長ったらしいメモ、お付き合いくださりありがとうございました🙌
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