言葉を超えた言葉に出遇う
皆さんは人生でどんな言葉と出遇いましたか?
その言葉はあなたに何を語りましたか?
文学にしろ、詩歌にしろ、言葉というものを究極的に突き詰めていくと、その先にあるのは『言葉を超えた言葉に出遇う』ということではないかと思うのです。浄土真宗は紛れもなくその世界への入り口であると言えましょう。
幸いにも日本で生まれ育ち、日本語も理解できる私は、こんなにも近くにその門が開かれていたにも関わらず、ただそのことに気づくまで、実に四十余年の歳月を費やしました。これが長いのか短いのかはわかりません。ただひとつ言えることは、浄土真宗とのご縁こそ私の人生において、この上ない僥倖であったということです。
僧侶であり、俳人でもあった大峯顕師は、『言葉は語る』と言われました。これほど簡潔に言葉の真理が示された言葉はないでしょう。私たちは当たり前のように日々言葉を使って語ります。まるで言葉が何か道具のようなものであるかのように、自分たちがそれを使って語っていると思っているのです。確かに言葉にはそのような側面もあるでしょうが、それは言葉の本質ではありません。そのような言葉は、使い捨ての言葉であり、語られて用がなされれば、たちまち死んでしまうでしょう。本当の言葉は自らが生きようとする命を持つのです。そして、真理に於いては、人間が言葉を使って語るのではなく、語られたところの言葉そのものが人間の上に働きとして顕れてくるのです。つまり、私たち人間を通して言葉自身が真理であるところの自らを『語る』のです。正に「言葉で語る」のではなく、「言葉が語る」のです。これこそが言葉そのものが持つ『不思議な働き』であり、真理が人間の上に具体的に展開される姿と言えましょう。そのことにさえ気づかせていただいたならば、本当の言葉は実に生き生きと私たちに語りかけてくるでしょう。
ここ、noteで言葉を綴られている皆さんは、言葉に対して人一倍鋭敏な感覚をお持ちだと思います。言葉をただの使い物と捉えるか、それとも言葉の本質を見るか。その姿勢ひとつで、あなたにとって言葉というものの在り方が180度変わってくるはずです。多くの方は前者を選ぶでしょう。つまり、言葉はあくまで意思疎通のための道具でしかないということです。しかし、もしもあなたが後者を選ぶなら、いずれ必然的に『言葉を超えた言葉に出遇う』ことになるはずです。そして、その最良で最短の道こそが浄土真宗に明らかに示されているのです。当たり前に日本語を読み書きできることさえ、全く当たり前ではなかったと喜べる。そんな世界が実にあなたの前に展開されてゆくのです。
お勧めの動画:
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お勧めのnote:
https://note.com/ryuun18/
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