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無仏の時代

菩薩のお慈悲と聞いても
何も感じない

如来の智慧と聞いても 
何の関心も持たない

お経に説かれていることなんて
ただのおとぎ話か絵空事に過ぎない

良くてせいぜい
教訓か、道徳か、生き方指南の類

仏など、本当に存在するはずがない

むしろ、仏が存在しようがしまいが
そんなこと、自分には全く関係ない

どこまでも無関心……

関係ない 関係ない 自分には関係ない

死んだら地獄に落ちる
そんな非現実的で馬鹿げた話
一体誰が信じるというのか

たとえそれが、仏の言葉だとしても
そんな話、信じるほうがどうかしている

死んだ後のことなんて
そもそもどうでもいいこと
考えても仕方のないこと

誰もが口を揃えて言うだろう

私にはそんなことより
もっと大切なことがあると

かけがえのない命
家族 愛 充実 責任

すべては執着心の別名
捨て去ることなど絶対にできない

誰もが尊く憐れな存在

自分とは一体
どこから来て、どこへゆくのか

この原初にして重大な問いを
永遠の彼方に置き去りにしたまま
ひたすら迷い続けてきた

独生独死 独去独来

生きることの本当も
死ぬことの本当も
何ひとつ分からないまま

生きるのも自分
死ぬのも自分
それでもまるで他人事だった

生死の不思議に
驚愕する心すら持たなかった

無仏の時代……

仏に出偶うこともなく
仏の言葉を聞くこともなく
ただ 生まれ 死んでゆく

浮生累々たるこの娑婆世界に
何かしらの生きた証だけを遺して

あたかもそれが
命の目的であるかのように

繰り返す
繰り返す
永遠にそれを繰り返してゆく

終わりなど どこにもない
始まりなど どこにもない

ただお念仏だけが 今ここで
私の胸に 轟々と鳴り響いている

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

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