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自滅

自分はどこから来てどこへ行くのか、わからない。死んだらどうなるのか、わからない。わからないことは考えない。わからないことを考えても仕方ない。考えても意味がない。

死を考えないということは、生を考えないということ。今生きているということがどういうことなのか、それを考えない。人生は自分が生きていることが大前提だから、その前提そのものについて考えることなどない。生きていることは当たり前。死ぬことは当たり前じゃない。だから死ぬのはいつも他人。どれだけたくさんの死を見聞きしても、自分が死ぬとは思わない。思えない。もちろん自分もいつか死ぬと、頭ではわかっている。しかしそんなのはまだまだ先の話で、今夜自分が死ぬとは絶対に思わない。結局、死はどこまでも他人事。だから死について真面目に考えない。真剣に向き合おうとしない。そんなこと考えても仕方ないと、高をくくる。死を問題視しない。死を問題視すること自体馬鹿げている。無駄なこと、無意味なことだと言う。それより大切なこと、考えなければならないことがあると言う。そうやって死から目を背け、生さえも誤魔化し続け、生きていく。

自分の理解を超えたことは、あり得ないことだと拒絶する。もしくは馬鹿にするか訝しむ。自分の認識でしか物事を判断できない。自分の認識そのものを、決して疑おうとしない。自分の認識がいかに偏った、限定的なものであるか、知ろうとしない。そのくせ、なぜか科学だけは妄信的に絶対視している。

それを正常と言う。それが普通だと言う。みんなそうだと言う。それが知性であり、理性だと言う。真実を聞こうとしない。真実を観ようとしない。真実を知ろうという気持ちすらない。だから、自分が迷っていることにさえ気づかない。迷っていることを認めようとしない。本当は迷っているのかもしれないと、ほんの少し思い至ることすらない。

そうして人は、自滅する。

結局、何もわからないまま、死んでいく。ただ世界の全てだった「この世」に、未練だけを残して。

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