私の性格について

どうも。
東野京(ひがしのみやこ)です。

ふとしたキッカケで自身の性格について考えることとなり、せっかくなのでまとめておきたいと思います。




基本的にネガティブ

まずネガティブかポジティブかでいうと、圧倒的にネガティブです。

歩道橋の上を歩いている時は崩落したらどうしようばかり考えていました。

飛行機や電車、車に乗る時も事故を恐れるばかりだったと思います。

車を運転していて高速道路や崖から転落する夢は昔からよく見ます。

何かにつけて悪い方にばかり考えてしまう性分なのですが、よくよく考えたら長生きしたい訳ではないんですよね。

死ぬ時はそれまでだったという話で、それもまた悪くないなと思うようになりました。

心配していなかった父が交通事故で死んだこともあるかもしれません。

気にしていても気にしていなくても死因はどうあれ遅かれ早かれ人は皆死ぬのだから、運命に身を委ねようと思った次第です。


何かにつけて考え過ぎる

先程の話と似たような話になってしまいますが、何かと考え過ぎてしまう節があります。

対人関係においても言葉の裏を意識してしまったり、他者のリアクションを必要以上に気にしてしまいます。

「言葉の裏には針千本、千の偽り万の嘘」

なんて言葉もあるように、発言には裏の意図があるのではと考えてしまうことが珍しくありません。

本音と建前というジャパニーズカルチャーもあるかと思いますが、本音か建前かを見抜く能力が足りていないだけなのかもしれませんね。

昔は何を言われても遠回しに責められているように感じてしまい、ごめんなさいが口癖になってしまっていました。

人と話をしている時は頭の中にたくさんの言葉が湧いてきますが、それを上手に取捨選択できないタイプです。

頭の中がごちゃごちゃしている間に反射的に回答してしまい、後悔に苛まれることも珍しくありません。

何であんな事を言ってしまったのだろう、どうしてあんな行動を取ってしまったのだろうという事例は枚挙に暇がありません。

しかも面倒なことに、その都度それなりに凹んでしまいます。

書いていて思いますが、私は中々に面倒な人間ですね。


その割にアウトプットは少ない

頭の中は常にごちゃごちゃしている訳ですが、その割にアウトプットは少ないです。

例えば好きなものを目にしたり耳にした時、頭の中は所謂オタク特有の早口のような情報量が湧き上がってきます。

しかし、出てくるのは「良い」とか「良過ぎる」くらいのフレーズになりがちなのです。

要点をまとめなくてはと思いつつも上手に取捨選択ができない結果、語彙が死滅してしまったかのようなワンフレーズばかりが出てきてしまうのです。

だから私の「良い」はある種多義的な側面も孕んでいると言えるのかもしれません。

そうした外側からは見えにくい部分を汲み取ってくれる方は非常に稀有な存在だと思いますし、感謝が尽きません。

言葉にしないと分からない、伝わらないと言われる事が多い中で、私を理解してくれる事はあまりにも有難すぎるのです。

そういう人にとって、私もよき理解者でありたいと願わずにはいられません。


自分の事だと思い込んでしまいがち

対象が特定されていない話について、自身のことではないかと思ってしまいがちです。

X(旧:Twitter)をよく見るのですが、誰かしらが特定の誰かについて名前は出せずに話していると私のことではないかと思うことが珍しくありません。

特に仲良くしてくれている人や私が好きな人が特定の誰かについての投稿をしているともしかしたら私のことなのではと思ってしまう訳です。

自意識過剰ですよね。
そんなに私のことを話しているわけなんてないのに。

それも良い話ではなく良くない話の時に限ってその考えが出てしまうのです。

良い話の時は、これは他の誰かのことだろうなと思ってしまう訳です。

きっと自信がなくて悪い方向にばかり考え過ぎてしまうという性格の現れなのでしょう。

本当に拗らせ過ぎていて面倒な人間です。
卑屈で矮小でどうしようもない人間なんですよね。


おわりに

文字にしてみると考えがまとまるなと思うのですが、自身の良くない部分に目を向けるというのは少しばかり辛い気もします。

こんな私を好いてくれる酔狂な人間に対して、誠実に向き合っていかなければならない気がします。

知れば知るほど幻滅されそうな要素しかないのですが、いつか幻滅されるその日までは。

最後までお目通しくださった方、ありがとうございます。

また何処かでお目にかかれたら幸いです。




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