【小説】 こいコーヒー(中編)
【小説】 こいコーヒー(前編)|東野京 (note.com)
不思議な女性と解散してから気付いたのだが、お互いの名前も知らないままだった。
次回本当に会うことがあれば、その時に訊けば良いだろう。
そうして彼女のことを考えているとき、スマートフォンがメッセージの到来を告げる通知を示してきた。
該当のメッセージアプリを立ち上げ、彼女からのメッセージを確認する。
「本日はありがとうございました。大変助かりました。また、今後もご協力いただけるとのこと、恐れ入ります。今後とも何卒よろしくお願いいたします」
硬い。まるで取引先とのメールのような文面だ。
年齢は私と変わらず20代前半頃のようだったが、もう少し目上の方なのだろうか。
「こちらこそありがとうございました。週末なら基本的に空いているので、気軽に誘ってくださいね」
こちらもつられて少し硬い文章になってしまった。とりあえず当たり障りのないスタンプも添えておいた。
ちなみにアプリ上の彼女の名称は“ゆりな”と記載がある。本名かどうかは分かりかねるが、彼女に相応しい響きだ。
ゆりなさんと出会った日の翌週末、再び彼女と会う予定となっていた。
先日のコーヒーショップが入っているビルで待ち合わせとなっている。
1Fの広場のようなスペースを待ち合わせ場所とし、ベンチへ腰かける。
待ち合わせ時刻より少し早く着いてしまったこともあり、ゆりなさんの姿はない。
少し待っているとゆりなさんと思しき人影がこちらに近付いてきた。
「すみません、お待たせしてしまいましたか?」
こちらを見つけると小走りで駆け寄り、焦りを滲ませながら告げてきた。
「いえいえ、まだ待ち合わせ時刻の前なので謝らないでください。たまたまこちらが少し早く着いてしまっただけなので、気にしないでください」
「ありがとうございます。私が遅れてしまったか待ち合わせ時間を勘違いしていたのかと少しヒヤッとしました」
そういって安堵したゆりなさんの表情は明るく、春の陽気のような温かさを感じさせる。
「むしろ変に焦らせてしまってすみません。少し休んでから行きますか?」
「いやいや、私が勝手にそうなってしまっただけなので。もう落ち着いているので大丈夫ですよ。行きましょうか」
そう言って微笑むゆりなさんから目が離せなくなっていた。とにかく可愛い。私の貧相な語彙では表現しきれないくらいの可愛さだった。
そうして私たちは待ち合わせ場所にしていたビルを離れ、目的地へと歩き出した。
私たちが向かったのは水族館だった。ゆりなさんからの提案で、やりたいことリストの項目の一つだという。
一人では行くのは少し気が引けるとのことで、私を同行者として呼んでもらった形だ。
男女で水族館に行くというのはデートに思えてならないのだが、ゆりなさんがどう考えているのかは見えない。
テンションが高いが、それは単純に水族館が楽しみというように見える。
私は先日の出会いからゆりなさんに惹かれており、今日の誘いも二つ返事で了承していた。
お気に入りの勝負服で臨み、気合が入りすぎて待ち合わせ時刻よりも早く着いてしまっていたのだ。
水族館は思っている以上に楽しく、ゆりなさんもテンションが高かった。一つ一つの水槽を食い入るように見つめており、その様子も私の目を引いた。
私は魚を見ているのか、ゆりなさんを見ているのかよく分からない状況だった。
「か、可愛いです」
目玉となっているペンギンの水槽を見上げながら、ゆりなさんは言葉を漏らした。
この水族館のペンギンの展示は水槽が頭上までかかっており、まるでペンギンが空を飛んでいるかのような様相を呈している。
ペンギンは確かに可愛いが、それに見惚れているゆりなさんもとんでもない破壊力だった。
彼女はどことなくペンギンに似たかわいらしさがあるなとも感じた。
「ありがとうございました。大満足です」
ゆりなさんは弾けるような笑顔をこちらに向けている。
「とんでもないです。私自身も楽しかったし、ゆりなさん(?)が楽しそうにしているのを見ていたら益々楽しくなってしまいました」
「ゆりなで大丈夫です。そういえばお名前を伝えられていなかったですね。すみませんでした」
「いえいえ、私も訊きませんでしたしお互い様ですよ。続きはご飯でも食べながら話しますか」
水族館のオープンの時刻ちょうどくらいに入館し、現在の時刻はお昼時を少し過ぎた頃になっていた。時間に意識を向けた途端に胃袋が空腹をアピールしてくる。
「良いですね。でしたらラーメンが食べてみたいです」
それもやりたいことリストに入っているらしい。確かにラーメン屋さんは女性一人では入りにくいかもしれない。
水族館のある地域はラーメン店も多く存在し、選択肢が多くて迷ってしまうほどだった。
今回はつけ麺の有名店にしたのだが、時間が少しずれているおかげか行列無しですぐに入店できた。非常についている。
ベジポタという種類らしく、初めて食べたのだがとても美味しかった。
ご飯を食べながら話そうと言ったものの、ラーメン店は会話を楽しみながら過ごすような雰囲気ではなかった。
「とりあえず食べたら場所を移して話しましょうか」
「そうですね」
「とっても美味しかったです」
お店を出たゆりなさんは満足気に微笑んだ。
「お腹いっぱいになりましたね。そこのカフェで少しゆっくりしましょうか」
「良いですね」
二名分のコーヒーを注文し、適当な席に陣取った。
今回のお店は先に注文をしてから席を確保するように掲示があった。
「今回のお店は先に席を取らないタイプなのですね」
ゆりなさんもそこが気になったらしい。
「お店によって色々と違って難しいですよね」
「世間知らずですみません」
「いえいえ、誰しも初めての時はそうなると思いますよ」
「改めて今日はありがとうございました。おかげで二つも消化できました」
ゆりなさんはやりたいことリストを取り出し、二つの項目を消込した。
「いえいえ、お役に立てたなら光栄ですし、私も楽しかったです」
「なら良かったです。ご迷惑でなければまたご協力をお願いしたいです」
「迷惑だなんてとんでもない、私もまたゆりなさんとこうして過ごしたいですよ」
その日は夕方ごろに解散し、それから何回か同じように出かけることがあった。
ゆりなさんのやりたいことリストが消化されいていく一方で私のやりたいことリストは手を付けられずにいた。
ゆりなさんに告白をするという一点のみで構成される私のやりたいことリストは達成されることはなかった。
彼女はある日突然姿を消してしまったのだ。
続く
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