無知は愚かだし損をするという話
どうも。東野京(ひがしのみやこ)です。
知らないと損することってたくさんありますよね。
身近なところだと抜け道とか地域最安値のガソリンスタンドとか、知っているだけで時間やお金を節約できることがあります。
行政のサービスなんかも存在を知らないとその恩恵を受けられなかったりしますよね。
今回の記事では「世間知らずだった私」と「今の私」の所感を書き連ねていきたいと思います。
世間知らずだった私の半生
私は無知な少年でした。
優しい母に育てられたことによるものか、疑うことを知りませんでした。
父が交通事故で亡くなった時、父の実家と母が保険金のことで揉めていることにも気付けなかったのです。
疎遠になったことも単純に父が亡くなったからだと思っていました。
父方の祖父母から高校の入学祝いとして現金書留が届いた事がありました。
当時の私は喜んでいましたが、今となっては複雑な気持ちです。
母が支払ったお金の方がずっと大きな額であり、何の旨味もないキャッシュバックキャンペーンのようなものです。
父を亡くした後、どういう訳か友人の父親が一緒に暮らすようになっていました。
優しい人だったので私も妹も懐いていましたが、今思えばどう考えてもおかしい。
友人の父親は妻と子ども二人を捨ててこちらに転がり込んできて、父の保険金を不当に搾取したのだと、今ならば分かります。
愚かな私は父が亡くなって以来「お金がない」という設定に疑問すら抱けなかったのです。
何のために様々な事を私は我慢してきたのでしょうか?
小学生の私はやりたかったミニバスを諦め、高校生の私はテレビもコタツもパソコンも自分のバイト代から捻出しました。
母の事は一切恨んでいません。
私と同じく無知で愚かな人間ではありましたが、私と妹への愛情は確かにありました。
大学に入り、実家を出たことで色々な事を知れました。
私の境遇や家庭環境が普通ではないことにも気付けました。しかし、覆水盆に返らずです。
私は何でも調べるようになりましたし、疑うことを覚えました。
それは間もなく大学3年になろうという春休みのことでした。
実家が火元不明の火事で全焼し、母を失いました。
悲嘆に暮れる余裕もないまま様々な手続きに追われる私に一本の電話が入りました。
発信番号は実家の所在地の市役所の番号で市民課の人間を名乗っていました。
しかし、時刻は市役所の営業時間を過ぎています。
名を名乗らせましたが、知らない名前です。
当時各種手続きで市役所の市民課の方々には非常に懇意にしていただいていた為、殆どの人員を把握していました。
どうやって市役所の電話番号から発信したのかは不明ですが、幼い頃の私なら騙されていたかもしれません。
知らないと損をする、気付けないと損をする。
そんな当たり前の事に気付くまでに長い時間をかけてしまいましたし、人よりも沢山のものを失ってきた気がします。本当に愚かですね。
知る事は「見つける」から「精査する」へ
“知る”ということは難しいなと感じます。
時代が変わって情報へはアクセスしやすくなっていますが、反面その取捨選択が難しすなっていますよね。
検索したら何でも出てくる時代ですが、正解が出てくるとは限りません。
不正確な情報や最後まで読んでも結論のないまとめサイト等も溢れています。
昔は情報に辿り着く能力が必要でしたが、今は情報を精査するリテラシーが必要不可欠になっているのだと感じます。
急がば回れというのはよく言ったもので
情報の真偽が重要だというのはそこかしこで囁かれていますが、その真偽はどのように判断すべきなのでしょうか。
あくまで私個人の考えですが、最短距離で正解に辿り着こうという考えは危ないと思います。
信用できると思っている人やメディアがどの情報に対してもそうとは限りませんし、情報というのは絶対評価ではなく相対評価であるべきだと考えています。
おわりに
いかがでしたか。
少しでも興味を持っていただけたり、時間つぶしになれば幸いです。
自分語りが長くなってしまいましたが、
そういう経験があって今の自分があるように思います。
最後まで読んでくだり、ありがとうございます。
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