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戦いは終わった


自動ドアの扉が開いたその時、異様な光景が目に飛び込んできた。

この時期、都心は人が少ない。
ランチを食べに外へ出たが、普段の混み様はどこへやら、むしろ休んでいる店が多く、そういう意味では食べるのに困った。
とはいえどこかしら開いているので、軽く食べた。
帰りに、コーヒーを買っていこうと、コンビニに寄った。
都心型の小さな奥行きのある縦に長いコンビニ。
自動ドアの扉が開き、冷気が身体を包んだ。
瞬間、呆然と立ちすくんだ。

一人の女性店員が、虫取り網をぶんぶん振り回しながら店内を歩き、二人の女性店員が、キャーキャー叫び声をあげながら、しゃがみ込んだり、逃げるように走り回っている。
何事かとよく見たら、やや大きめの虫が店内を縦横無尽に飛び回っている。
どこかに止まる気配はない。

なんのこっちゃと、微笑ましくもなり、その戦いぶりを少し眺めた。
腰が引けててただ振り回すだけで、善戦はしているものの一向に捕まえられる気配がない一人。
完全に戦意喪失で、声だけは大きい二人。
このまま見てても埒があかない。

「ちょっと借りていい?」

仕方ないので、虫取り網を取り上げ、いざ戦場に。
店内の真ん中あたりに立ち、虫の動きをよく見、ためて一撃。
子供の頃の体で覚えた技というのは、大人になっても忘れない。
網の中に虫を捕らえた。
見たら、カナブンだった。

「捕まえたけど、どうすればいい?」

女性たちは何も言わず、ただ外に向けて指をぶんぶん指していた。
悪意のない敵を無駄に監禁するほど私も愚かではない。
網を持って外に出、ほれっと言って、カナブンを釈放した。
店内に戻ると、三人はほっとした笑みを浮かべ、「すみませんでした」と軽く頭を下げ、虫取り網を受け取った。
戦いは終わった。


さて、アイスコーヒーの氷の入ったカップを取り、改めてレジに行った。

「決済方法押してください」

何事もなかったかのように無機質な声で店員さんは言い、ボタンを押して支払った。

なんか、例えばSサイズなんだからMサイズにサービスしてくれるとか、例えばもうちょっと色気のある声で「また来てくださいね」と言うとか、何か戦利品でももらえたら嬉しかったのに、と、そんな風に考えること自体やはりオッサンなのか、いやいやここはスマートにこちらも何事もなかったかのように去るべきだろうと自問自答し、仕方なくピリピリとカップの蓋を開け、コーヒーマシンにセットして、出来上がって、淡々とそのままコンビニを後にした。


真夏の真昼の都心の呆気ない終戦だった。
炎天下の歩道で氷を揺らし、一気に半分飲んでオフィスに戻った。
クラクションに驚いたアスファルトの鳩が、いっせいに羽ばたき、空へ舞い上がった。






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