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さよなら、おばぁ

 蒸した黄金芋とサマハンティーが冷めるのを待っている。

 痛いのは喉だけなのに、腰を中心に体のあちこちの重量を、普段なら意識されることもないその単純な重みを、感じる。鼻の奥だけグズグズと賑やかに、「祭り祭りだ」と主張する。それでも熱は出ない。この体は、もう熱を発するのが難しいのかもしれない。切れ目のない眠気が遠くから私を呼んでいる。

 昨日祖母が死んだ。
 亡くなったらしいよ、と家族で唯一同盟を組んでいるすぐ上の姉から連絡が来た。神の御加護か、この流行り病のおかげで、私は何の葛藤もなく世間様から、葬儀に纏わるさまざまな地獄からトンズラするのに成功した。ありがとう風邪、ありがとう夜更かししちゃった過去の私。

 祖母と最後に会ったのがいつなのかもう覚えていない。父方の親類と縁を切ってもう15年ほどになる。私が彼女から受けとったものは、穴の空いた靴下を刺子で美しく繕う、という習慣一つだけ。
 見目麗しい人だった。彼女によく似た妹は、戦後当時未婚だったが故に占領米軍の指揮官に捧げ物にされた。
 戦争の後、この島に残された傷の一つ一つを丁寧に引き受けて、私が血を継ぐこの一家の奇妙な悲劇はまだ幕を閉じない。
 アルツハイマーという記憶の何もかもを壊れ物にする病は、あなたを幸せにしただろうか。不幸にしただろうか。

 せっかく、つい最近、とても優しい言葉の世界に辿り着いたのに、私の言葉はやっぱりこうして、自分自身や身内を切り刻むように動いてしまう。でもなるべく優しく書いておきたいな、と思う。祖母もまた、時代に踏みしだかれていった女性の一人に過ぎないと、頭では理解しているから。
 未就学期の私を支えてくれた人に、私はもう線香の一本も捧げてやれない。だからここから、こんなふうに言葉を書いておくよ、おばぁ。…結局、これが。
 これが今私にできる一番の、優しいことなんだ。



 私の父の家族は酷く歪んでいる。詳しいことは知らないが、そこには物語がある。

 曽祖父は当時からしても桁違いの亭主関白、恐ろしい程の暴君であったらしく、その暴力の一番の標的、妻である曽祖母は、一番目の内孫である私の父にそこからくる歪みの全てを注ぎ込んだ。溺愛、という形で。
 長男以外には人権がない、暴力装置と化した家父長制度のなかで、曽祖母は唯一そうやって、従わねばならない相手である曽祖父と同じものを見ることができたのだろうと、想像する。

 暴力は常に上から下へと流れる…長男を姑に独占された祖母は、次男を身代わりのように、溺愛するようになる。闇は凝縮されてゆくのか、その下に生まれた三番目の男子である叔父は一家の中で虐め抜かれるようになる。それら男子のスキマに生まれた娘である叔母たちは、サバイバルに必要な無神経さをちゃんと身につけて育った。家父長制度でぬくぬくと育つ長男と、その下でありとあらゆる差別を受ける弟妹。ここまで来ると、もう何処をどう整えてやれば善い方へ向かうことができたのか、見当もつかない。

 
 私にとって祖父母の家は、空想に耽ることを許される程度に放っておいてくれる、そんなのんびりした場所であった。そういう時間が長かった。何処にも居場所がなかったら、何処かの片隅でぼんやりしてたら良い。そんな子どもを、嘲笑も冷やかしもせずいてくれたことは、その後の私にとって大きな力に変わることだったと、すべてをくぐり抜けることが出来た今は思う。
 甘い物好きの塩辛物好きだった祖母はおやつを欠かすことがなかったし、甘いならなんでも良いという適当さも、私には好ましかった。なんか食べたい、と言ったら、食パンに蜂蜜をかけて与えてくれるのが私は大好きだった。養護の先生で食育の知識だけは逞しい私の母は、仕事が終わって私を迎えた車の中で「今日なに食べた?」と訊いては顔を顰めた。
 当時の状況をよく知らないけれど、典型的なDV男に育った父はおそらく、私の保育園代などを出し渋ったのかもしれない。祖父母宅に近い場所に勤務し、未就学児である私を祖父母に預けることで、母は職場復帰を掴み取ったのではと想像する。既に関係性の悪くなっている嫁ぎ先に、それでも、頼れることで、彼女は仕事を辞めずに済んだのだろう。私が父方の祖父母の文化に馴染んでゆくのを、母はいつも何処か受け入れがたいような目で見たけれど、その奥には祖母と母の、女同志の密約めいた同盟が少なからずあったのだろうと、そうであったら良いな、と、思う。

 とにかく、総じて、愛おしいとおぞましいが一緒に並んで座っている場所だった。未だに、あの土地へ行くと自分の感受性が混乱を起こすので、私は長らくあの祖父母の家のある地域に足を運んでいない。用事があればその近郊へ行くけれど、チリチリとした緊張感が血管を流れているのが分かるので、やはり選べるならけして、足を向けない。
 そのこと自体は私の人生のほんの一部でしかない。けれど、何もかもある程度落ち着いたとしても、『土地』そのものにそういう片づけられない感情が遺る、遺されるのだということを知っているという事は、…きっと私の人生を豊かにするだろうと、思う。生きていればどうしようもないことがある、ってことを、誰かの痛みに向けて、想像することができるから。
 
 私の家の暴力の中心だった父が死に、祖父が死に、虐められた果てに精神を病んだ三男の叔父が死に、そうして昨日祖母が逝った。死者たちは慎ましく仏壇に納まる。
 次男の叔父は何処か復讐のように生きている。もう何処にも復讐相手はいないのに。そうしかできないのかもしれない、愛されるってそういう呪いと似てるところがある。生命力に富んだ私の母親は、あらゆる歪みを自分の悲劇として回収し、抱きしめて、生きている。彼女はそうして自分の悲劇を抱きしめて、棺の中まで手放すことはないのだろう。

 

 さよなら、おばぁ。きっと私はあなたのことが嫌いじゃなかった。母があなたを陰で中傷するのが、とても嫌だったしね。
 女である私を、女であるが故に蔑んだりはしなかった、その事に、今は凄く感謝している。あなたは間違いなく、蔑まれてきた人だったのに。指先のひん曲がった手を、ほら、と時々見せてくれたね。いつでも何か握って働いてきたからおばぁの指はこんなーさぁ。その声には明るさしかなくて。悲しみも、後悔も、恨みも、ひとつもそこにはなくて。あなたの無知、あなたの非力、あなたの胆力、あなたの選択。それらが、やっと今、ほら。私を泣かせる。
 あなたもきっと闘っていたのだろう、そうした結果があれだったのだろう、だから、本当に。本当に生きる事なんかクソったれだ。
 時代が時代だったと赦してしまえば、私もまた時代に馴染んだ選択しか出来なくなる、人間ってそんなものだと確信しているから、私はあなたを赦しはしない。あなたを呑み込んでいった家父長制もまた、私を赦してはくれないだろう。赦しなんか、もう要らない、だから。
さよなら、おばぁ。

 

 
 サマハンティーは、おそらくはきっと、香りが貴いお茶だ。15種類のハーブとスパイスで出来ている。フォロワーさんが流してくれた情報を鵜呑みにして風邪に対抗するべく飲んでいて、とても温まるし安らぐけれど、鼻が相変わらず水祭りなお陰で香りがさっぱりわからない。ちゃんと元気な時にも飲んでおくべきだな、と呟く。

 広がってゆく世界の優しさを飲んで、私は生きてゆく。熱はなくて、ただ、まだ、いろいろ重い。重さを感じるのもまた一興、私がいなくても仕事は回る。回る世界で、ちょっとだけこうして時間をとめて、ゆっくりと、何処か彼方へ、手を振る。

 次に何か書き始める時は、もう少し優しいことを書きたい。
 

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