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「留学は金持ちがするもんでしょ」と思ってた自分が留学に行くまで

<このnoteのまとめ>
・留学に行くハードルはめちゃくちゃ下がってる。
・留学をたいそうなものと考えなくてもいいんじゃないか。「環境を変えるため」くらいの意味合いでも,重要な契機となったりする。
・留学はそれ自体が目的ではなく,あらゆる目的に対する手段。その点で,どんな人にも検討する価値や余地はあると思う。

神奈川県立横浜国際高校という,在籍生徒の約半数以上が海外に何かしらのつながりがある学校にいた。英語が好きだったからという単純な理由で選んで入ってみたはいいものの,英語だけじゃなくてほかの言語もペラペラしゃべっちゃうような人がいて衝撃だったのを今でもよく覚えてる。同時に,3週間でうん十万もするプログラムにひょいって行けたりする経済力を持つ家庭に生まれてきた人たちを見て,「たぶん俺が来るべき場所じゃなかったな」と3年間思い続けてた。

特にたった数週間にうん十万をぽいっと出せてしまう人たち(の家庭)には小さくない衝撃を受けて,そのイメージが強すぎて「留学は金持ちが行くもん」という先入観が勝手に形成されてしまっていた(今となってはそう思ってないし,うん十万もだすほどの価値がある投資だとも思ってる)。今日は,そんな自分が大学でめちゃくちゃ海外に行ってしまったお話し。

まず,これまでの「渡航歴」を振り返ると,

2014年10月:初海外。マレーシアKL。高校の修学旅行。(1週間)
2017年9月:大学の実習でロシア,モスクワ。(1週間)
2017年10月-12月:内閣府,第44回「東南アジア青年の船」でカンボジア,タイ,インドネシア,マレーシア。(約50日間)
2018年2月:タイ政府主催「Young ASEAN+3 Social Entrepreneurs in Action」(5日間)
2018年3月:大学の実習でフィリピン,セントラル・ルソン。(1週間)
2018年9月-2019年7月:スロベニアに留学(トビタテ!留学JAPAN9期生,10か月)
2019年11月:出張でスロベニア(2週間)

渡航歴なのでもっといろんな国にも行ってる(合計で20か30くらい)んだけど,「日本から出て日本に帰ってくる」ということを1セットとすると大学4年間で6回。大きいのは2017年の「東南アジア青年の船」と2018年-2019年のスロベニア(なんでスロベニアかについてはまた別のnoteで)。

で,お察しの通り,自力で海外に行けるほどの経済力がない(アルバイトや仕事で稼いだお金は家賃水道光熱費や授業料の補填に回るので毎月ぎりぎりの生活)ので,もちろん大学に入ったころなんかこんなに海外に行くと思ってなかった。でもなんでこんなに行けてしまったのかというと,理由は単純で経済的な問題をクリアしたから,というわけでは実はない。もちろん経済的な問題も重要な問題の一つだった(実際,実費負担したのは「東南アジア青年の船」の35万くらいで,ほかは往復交通費滞在費食費などは支給)けど,それ以上に確実に重要だった契機があった。

うつ病発症,「逃げてもいい」という教訓

その契機は,高校3年生の時にさかのぼる。

いろいろわけ合って(これまた別のnoteで)うつ病になってしまった自分は,「うつ病」というお札をもらったことによってある種安心したような感覚があった。逃げていることが社会から許されているような,そんな感じ。裏を返すと,何か理由がないと逃げてはいけないという観念の檻に,ずっと閉じ込められてた。

それでも1度社会のレールから逸脱してみると,「なんだ,別に逃げても構わないじゃんか」とある種開き直ってしまい,いやなことからは積極的に逃げながら(時には真剣に向き合うことも必要だけれども)生きようと考えたのを覚えてる。

時は下って大学。高校の国際的な雰囲気にどっぷりつかってしまったので,かなりドメスティックな大学の雰囲気と文化に逆カルチャーショックを受けてしまった。それであんまりうまくなじめず,かといって自分から何も行動を起こさず,周りのせいばかりにして怠惰な1年を過ごしていた。

きょう1日を生き延びるために働いて,朝起きて大学にいって,またご飯を食べ続けるためだけに働くという無味な生活をしてたら嫌気がさしてしまい,いつになったらこの長く暗いトンネルを抜けられるんだろうと思っていたところ,とある知人から「世界青年の船」という内閣府が主催する国際交流プログラムの話を聞いた。結局はその姉妹プログラムである「東南アジア青年の船」に参加することになるんだけど,参加を後押ししたのは「苦しかったら今の環境から逃げてもいい」といううつ病から得た教訓。単位のこととかを全く考えず,とにかく環境を変えたいという想い一心で,そのプログラムを知った2日後には応募を完了していた。

別に海外に行きたいわけではなかった,それなのに魅せられた理由

「東南アジア青年の船」についての詳細はほかに良記事がたくさんあるので,そちらに譲りたい。例えば「豪華客船で国際交流!?」という記事とか,体験談ならこれとか。

特に東南アジアに興味があったわけでもない,ましてや海外に興味があるわけでもない,環境を変えたいだけで参加した「東南アジア青年の船」で,とんでもない衝撃的な経験をすることになった。一言でまとめると「これまでで一番泣いた50日間」。たった3日間くらいしかともに過ごしていない各国のホストファミリー,たった2ヵ月しか一緒にいなかった仲間たちと別れるとき,何もかもうまくいかず一人大海原に沈む夕日を見ていたとき,あらゆる場面で涙した。

家族にも居場所がなく,小中といじめられながら心苦しい生活をしていた自分にとって,「ただいていい」という絶対的に居場所を与えられたのは,はじめてだった。

「環境を変えることで救われるかもしれない」という微かな希望

それまでの自分は,居場所は与えられるものではなく獲得するものだと思っていた。言うならば,グループディスカッションのタイムキーパー的な立ち位置に回って,その場に不可欠な役割を自分に振り,自己の存在を正当化する。そうして居場所が得られると思ってたのが,ただありのままにいるだけで受容されるという「絶対的な居場所」に出会えた。

これは海外経験や留学がもたらしたもの,というわけではなくて単なる偶然だったかもしれない。けど,あそこで参加する1歩を踏み出さなかったらそういう場に出会えなかったかもしれないのも事実。留学は目的ではなく手段,環境を変えるという意味合いだけでも人生の大きな転機となったりする場合もある(しかも留学はそうなる可能性が高い)という重要な学びを得た後,トビタテ!留学JAPAN9期生としてスロベニアに留学することとなる。

自分を疑似正当化して行動を起こさないなら,とりあえずググる

前述のとおり経済的な問題があって留学をあきらめてた高校生の時とは打って変わってたくさん海外に行ってしまった自分だが,留学のハードルはどんどんどんどん下がっていて,留学ができないというのは8割方疑似正当化のための言い訳だったりするかもしれない。

ただ,自分は留学に対して無条件に肯定したり賛成したりするわけではない。場合によっては行かない方がよい選択の場合もあれば,人によってはそれは選択肢にならないこともあることは十分に分かってる。それでもなお,もし今何かに違和感を覚えていたり,環境を変えたいと思っていたり,何かしらのアクションを起こしたいと思っている人がいれば,留学は検討に値する一つの選択肢には充分なりうると思う。

経済的な問題以上に,留学がもたらす価値・契機,それを知ったことによって,しまいには長期留学までしてしまった人のお話でした。次の長文noteは,スロベニアで何をしていたのかについて書こうかなあ。

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