母が殺された日
はじめに
僕は、刑事ドラマやサスペンスが嫌い。
簡単に人が死ぬから。
簡単に人を殺してしまうから。
僕は、ニュースもあまり見ない。
毎日の様に事件が起きているから。
事件を起こした犯人は、罪を償える機会が用意されている。
でも死んだ人間は、何もできない。
僕の母は殺されました。
母は、20代で残りの人生を失い、僕ら家族は事件の日を境に崩壊しました。
もし、恨んで誰に殺意を向けていたり、絶望して殺意が湧いていたりした方が、これをみて、思い留まったり、違う方法を模索してくれたらと思います。
今は、楽しく生きれているけれど本当に本当に辛かった時期が続きました。
僕と同じ様な思いをする人が少しでも減りますように。
これは僕の実体験です。
事件当日の朝
5月にしては暑い日だったのを覚えている。
僕は、当時5歳。
幼稚園の年長だった。
母は、フィリピン人で26歳。
水商売をしていた母が朝方帰ってきて、幼稚園バスの待ち合い所まで、1歳の弟を連れながら僕を送るのが日課だった。
夜中にずっと続いていた無言電話もなく、ぐっすり寝れて、朝起きたら母も帰宅していた。
幼稚園にいく着替をしている際に、不意に母が「ママは外人だから、いじめられたらママが守るから言ってね」と抱きしめてくれた。
いつも着替の時間には、頭なでてくれたりはしてくれていたが、そんな事を言われたのは多分初めてだったと思う。
ただ、いつも香水とか酒臭いから僕は嫌がってすぐ逃げていて、この日もすぐ振りほどいて逃げた。
今思えば、もうちょっとあのままでいればよかったかなと思う。
でも、そのくらい普通の朝だった。
その後、いつも通り弟と幼稚園バスの集合場所まで行き、バスの中から母に手を振った。
それが生きている母の最後の姿だった。
第一発見者
夕方、幼稚園が終わり、幼稚園バスの降車場所に降りたが、いつも迎えにくる母はいなかった。
しばらく同じアパートの同級生と同級生のお母さんと僕の母を待った。
待ってても母は来なかった。
「ママ来ないね。」
とりあえず、同じアパートの同級生と同級生のお母さんと家に帰った。
同級生のお母さんが何回か部屋の扉をノックしてくれたが応答がなかった。
僕がドアノブに手を伸ばしたら、鍵が空いていたので、同級生のお母さんは
「大丈夫?」
と声を掛けてくれた。
「うん。」
「じゃあ、また明日ね」
「バイバイ!」
同級生達はアパートの二階に上がっていった。
同級生達に手を振った後、僕は部屋の扉を開けた。
「ただいまー」
返事はなかった。
奥の部屋に行ったら母は全裸で横たわっていた。
その横で弟がおもちゃで遊んでいるのを見て僕は、普通に寝ているのかなって思い、母に僕は毛布を掛けてあげた。
水商売の母は日中寝てることが多く、寝起きはあんまり機嫌もよくないのを知っていたから、弟をリビングまで連れてきて一緒に教育テレビを見ることにした。
うたの番組とか虫マルQっていう虫のクイズ番組を見ながら、普通に母が起きるのを待っていた。
その後も母は起きて来なかったのでずっとテレビを見ていた。
ちょうど、教育テレビのおかあさんといっしょがはじまったかくらいで、いっぱいスーツの大人が来た。
「ママ寝てるー」
「ママにお話があるから外でおじさん達と遊ぼう」
僕と弟は、そのままスーツの大人に連れられて外に出た。
外には、何台か車が止まっていて後の方にパトカーが止まっていた。
しばらく鬼ごっこをした後に、車に乗せられて警察署に行った。
あたりが真っ暗になった後に、父親が警察署に来た。
普段、とても怖いイメージの父親が憔悴していたのを見て、なにかいつもと違うことが起きているとそこで初めて感じた。
昔のことだから大丈夫だと思ってここまで書いてたけれど、思い出すと結構いろんな感情が湧いてしんどいので、当日のことは一旦ここまでにして、事件から数年後、祖母から聞いた話を書いていきます。
事件の話と伝えたいこと
後から祖母に聞いた話。
犯人は昼頃に母を絞殺した後、夕方警察に自首したそうだ。
だから僕が帰った時にはもう亡くなっていたのは間違いない。
犯人は、母の水商売の店の客で交際を迫っていた男だった。
家まで来て、母を犯して絞殺した。
だから全裸で亡くなっていた。
犯人は、合意のもとと供述したそうだが、はたしてどうだったのだろう。
ならなんで殺したんだろう。
一緒になれないなら殺してしまうなんて、身勝手この上ないと思う。
自首したこともあり、7年の刑期。
(僕が成人してから和解した父親が言うにはもうちょっと長かった様だが)
今頃、犯人は普通に生活しているだろう。
結婚して子供いるかもしれないし、僕より金持ちで肉とか食べて暮らしてるかもしれない。
母は、26歳だった。
普通に生きていれば、今の時代80歳くらいまで生きれてだろう。
とにかく子供思いの母だったから、
僕らのランドセル姿、学ラン、成人式、息子達の奥さんとか見たかったはず。
日本でまだ食べたことないご飯とか行きたい場所もあったと思う。
約50年もの寿命を奪われて、
犯人は数年で罪を償ってなんでもできる。
親孝行したくても親孝行する母がいない。
参観日に誰もこない。
事件の後に父親が育児放棄して祖母の元に引き取られた。
弟は、乳児院経由で福祉施設に入った。
いじめられたし、世間からは変な目でみられた。
今回は事件当日のことを書いていこうと思っていたけれど、思い出すと脱線してしまって読み辛くなってしまいます。
すみません。
冒頭に少しでも僕と同じ思いをする人が減りますように。と書きましたが、本当にそう願っています。
罪は償えるかもしれない。
でも加害者にも家族がいて、加害者家族も悲しむ。
被害者にも家族がいて、つらい人生を歩んでいく。
なにより、死んだ人間は返ってこない。
だから、一時の感情で絶対に人の命を奪ってはいけない。
そんなの当たり前のことだけれど、毎日どこかで事件が起きてる。
もし、今後どうしようもない殺意や衝動に駆られてしまった時に一瞬でも思い出して冷静になって欲しいです。
人の命を奪っていい理由なんて絶対にない。
本当に。
みんなが笑って過ごせる世の中になります様に。
また、僕の備忘録も含めているので引き続き書いていきたいと思います。
こんなまとまりのない文章ですが最後まで読んで下さってありがとうございます。
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