【児童文学評論】 No.301 2023/03/31


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三辺律子です。 
 今、短歌がブームらしい。先日のクローズアップ現代でも、「空前の“短歌ブーム”は何映す 令和の歌に託した思い」(初回放送日: 2023年3月14日)が放映されていた。番組にも登場した歌人の東直子さんに、わたしが短歌を習い始めてからもう十年以上が経つ。それ以前は「(俳句より)長いほうが短歌だっけ?」くらいだったのだけど、ある日、ふとしたことから『回転ドアは、順番に』(穂村弘×東直子 ちくま文庫)の文庫版を読んだのが、運命の分かれ道! 「あなたの人生を変えた一冊」みたいな特集をたまに見るけれど、自分にはそういう経験はないなあと思っていた(本”たち”には、変えられてきたと思うけれど)。でも、考えてみたら、『回転ドアは、順番に』は人生を変えた一冊かも。本の衝撃にまだ浸りきっていたある朝、ふと見た広告に「春の新講座 東直子『短歌はじめました』」とあるのを発見したのだ。
 この後のことはなにかに書いたことあるなーと、今検索してみたら、見つかったので、興味を持っていただけたら、ぜひ。自分で読み直したら、「…わたしが歌人としてデビューする日を楽しみにしていてください。あと、百年くらいかかりそう」などと書いている。この記事を書いてから5年経ってるけど、本当に百年かかりそうで怖い……。
こちら→ https://shimirubon.jp/columns/1687405

 そんなわたしも、今では散文詩形式で書かれた『タフィー』(サラ・クロッサン 岩波書店)を翻訳したり、先日出たばかりのBOOKMARK20号では、詩や詩に関わる本の特集を組んだりしている。(ちなみにBOOKMARKはこれで最終号! これまで応援してくださったみなさまには心から感謝しています。今度、それについても書かなきゃ。)先日は「日本児童文学 2023.3-4月号」が「遍在する詩歌」という特集を組み、わたしも「詩歌ブームは『軽い』のか?」という論考を書かせていただいた。日本では「短歌ブーム」だが、英米文学の世界にも「詩歌ブーム」が訪れている。若い人たちが中心になっているのも同じだ。それは決して偶然ではないだろうと、わたしは思っている。
 その論考のほんの一部だけ、ご紹介したい。こちらも興味を持ってくださったら、ぜひ「日本児童文学」を。

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詩歌ブームは『軽い』のか?

(…)今、若者のあいだで「短歌ブーム」が起こっていると言われる。「若者に短歌ブームきっかけはSNS」(産経新聞、2016年)、「Z世代の心をつかむ短歌ブーム…31音の不安や焦りSNSで共感」(読売新聞特設サイト、2022年)などから、雑誌「アンアン」(2022年No.2317増刊号)などでも特集が組まれ、『短歌研究』の「特集 短歌ブーム」(2022年8月号、短歌研究社)には、歌人や出版社や書店員などがさまざまな考察を寄せている。
「同時代に生まれる短歌の魅力はやっぱり、現在の『空気感』や『気分』を共有できること」。これは、「アンアン」の特集にある一文。「現代短歌は個人の体験や感性を織り込んでいるのが特徴です。その一方で、和歌と現代短歌の共通点といえるのが『共感性』」。こちらは、「現代学生百人一首」選考委員を務める高柳祐子氏の分析だ(「なぜ、現代短歌がZ世代の心をつかむのか?」LINK@TOYO、2021.9)。ここで浮かびあがるのは、「共有」、「共感」、と言ったキーワードである。
これまで、日本での詩歌の注目度は高いとは言えなかった。翻って、現代でも詩人の地位が高い国は少なくない。アラビア語の翻訳をしているYさんは、アラビア語文化圏では詩人は尊敬を集めており、「パレスティナの女性詩人ファドワ―・トゥーカーンは『彼女の一つの詩で十人の戦士が生まれた』と言われている」と言う。知識人の条件は「自国の文化を語れて、大学を出ていて、詩を詠んでいること」らしい。
もともと口承文芸が発達しているチベットでは、詩や語りを楽しむ文化が根づいているそうだ。留学生が詩を朗々と暗唱するのに感激したと話してくれたのが、チベット語翻訳家のHさん。ちなみにチベットでは、「教育はまずことわざを覚えさせること」から始まるそうで、ことわざバトルなるものも開かれているらしい。制限時間内にお題にそってことわざを連発し、相手を圧倒できた方が勝ち。これは、あとで紹介するアメリカのラップバトルを彷彿させる。
おとなりの韓国でも、詩人の地位は高い。韓国の詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』(ハン・ガン著、 きむ ふな・ 斎藤真理子翻訳 クオン 2022)には、訳者の斎藤真理子ときむふなの対談が掲載され、「(韓国では)詩人や小説家の言葉が重く受け止められている。それは、かれらが過去の時代からペンを持って戦ってきたことが影響しているのでしょう」というきむふなに対し、斎藤も「韓国で詩が盛んに書かれ、読まれてきたのは、厳しい時代が続いたから」と返している。詩の即時性や抽象度の高さなど、言語弾圧下で詩が「武器」になりえたという指摘はうなずける。一方で、『天国の風―アジア短篇ベスト・セレクション』(新潮社2011)のあとがきの、「日本には『民族の英雄』たる詩人など居ないし、必要ともされなかった」という編者の高樹のぶ子の指摘は、日本で詩歌が今ひとつ力を発揮しきれなかった一因のように思える。
このような海外での詩の受容に照らしてみると、現在の日本の短歌ブームは、もっと軽やか--言葉を換えれば、軽いものに見える。「武器」などという重みとは無縁のように思えるのだ。 (一部抜粋)
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 本当に「軽い」のか? これからも注目していきたいです。

〈ひと言映画紹介〉*順不同です
 先月ご紹介した『エンパイア・オブ・ライト』、映画館という「場」の魅力、80年代の不況下のイギリス社会、独り身の女性の生きづらさ、などいろいろな見どころがあるのですが、もうひとつ、この作品でも「詩」が重要な役割を果たしているのです。T.S.エリオット、アルフレッド・テニソン、W・H・オーデン、フィリップ・ラーキン……。作中で使われる詩について、パンフレットに解説を書きましたので、これも読んでほしい! ほかにもピーター・バラカンさんとか湯山玲子さんが寄稿していて、読みごたえたっぷりです。

『ヒトラーのための虐殺会議』
 ナチスが1100万人のユダヤ人絶滅政策を決定した「バンゼー会議」を、アイヒマンが記録した議事録に基づいて映画化。会社の会議みたいに、ユダヤ人問題の「解決」が議論されていくさまが、信じられない。でも、同時に信じられてしまう。どうしたらこうなることを防げるのだろう。

『小さき麦の花』
貧農のヨウティエと障害を抱えたクイインは、家族の厄介者同士、形だけの見合いで結婚する。その二人がともに過ごす日々がたんたんと描写されている。愛情や幸福という、言葉にしてしまうと大きすぎるものについて、考えずにはいられなくなる映画。上海や北京の対極にある中国の姿。

『対峙』
 ほぼ密室、4人のみの対話劇のもたらす、ものすごい緊張。そしてなにより、ある事件に関わった4人それぞれの苦しみが胸を打つ。事件がどんな事件なのかは、映画を見ているうちにわかってくる。監督は事件当事者同士の対話について、かなり報告書を読み込んだそう。

『フェイブルマンズ』
スピルバーグの自伝的映画。映画に魅了された子ども時代からグッとつかまれ、節目となる三度の引越し、ユダヤ系であること、そしてなにより大きい両親のこと。もう一人の主人公は彼の母親かも。笑い、驚き、感動すべてありなのが、スピルバーグらしい!

『ピンク・クラウド』
ブラジル発のSFスリラー。高層アパートの一室で一夜を共にした男女ヤーゴとジョヴァナ。翌朝、起きてみると、強い毒性を持つピンク色の雲が街を覆っていた。その雲に触れるとわずか10秒で死に至る。2人はそのままロックダウン生活を強いられることになり……。
 パンデミックを予言するような映画(構想はコロナ禍前だそう)。あと、この映画にパンフレットがすごいので、見たらぜひ。円城塔、稲垣貴俊、ひらりさ、文月悠光、岸本佐知子……超豪華執筆陣!

『セールス・ガールの考現学』
 モンゴルのウランバートルが舞台。原子工学を学ぶ大学生のサロールが、同級生に頼まれて大人のオモチャの店でバイトすることになり…。性への関心、メンターの存在、メンターへの憧れと反発、そして主人公の成長。主演のバヤルツェツェグ・バヤルジャルガルがすごくよかった!

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
 ラストはこれ。説明不要ですよね。いい意味で、ぜんぜん(これまでの)アカデミー賞じゃなかった!

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◆ぼちぼち便り◆ *作品の結末まで書かれています。

毎年3月の読書会は、マンガを読みます。今回はマンガというより、グラフィックノベルである『THIS ONE SUMMER』 マリコ・タマキ/作 ジリアン・タマキ/画 三辺律子/訳 岩波書店2021年7月(原書出版年 2014年)を取り上げました。

この作品は、カナダ出身の日系カナダ人で、いとこ同士であるマリコ・タマキとジリアン・タマキの作品です。思春期に入ったばかりとも言えるローズが毎年のように過ごす夏休みのアウェイゴ湖の別荘で、子どもと大人のはざまのようなひと夏の体験を描いています。ローズは、1歳半年下のウィンディという別荘での幼馴染と湖で泳いだり、性の話をしたり、ホラー映画を見たり、売店へ行って年上の若者たちの恋愛関係を垣間見たりし、また、関係がぎくしゃくして見える両親と過ごしたり、ウィンディの家族と過ごしたりします。

まず、マンガというイメージでこの作品を読んでとまどったという人が多くいました。いわゆる日本の多くのマンガは、線がきれいであることが評価され、主人公はやや誇張されたキャラクターとして描かれ、かっこよさや、かわいさが重視されています。また、背景が省略されることも多く、コマの大きさや形なども変化があり、ストーリーは盛り上がりがあり、結末がはっきりしていて、読後は、すっとしたり、感動したりします。ところが、この作品の登場人物は、かなり丁寧に描きこまれていて、誇張がありません。コマは四角く、コマの間はしっかりと開けられており、背景もかなり描きこまれています。私自身はそのことにあまり違和感を抱きませんでしたが、読書会の参加者の中には、日本のマンガと違う。絵がなじめない。主人公に感情移入できない。絵があることによって、かえってストーリーに没頭できない。際立ったストーリーがない。グラフィックノベルの、ノベルということばが腑に落ちた、などと感じた人たちがいました。一方で、この読書会で最近読んだマンガの中で一番おもしろかった。わかりにくいけど、おもしろい、という人たちもいました。そして、3回読むとますますおもしろさがわかったという人は1回しか読んでいない人に、何度も読むことを進めていました。読書会を体験して、ふだん無意識に読んでいる日本のマンガと、この作品の違いが語られたことはとても興味深いと思いました。

その絵については、うまい。湖の岸辺の描かれ方が強く印象に残った。空や湖、湖に飛び込むシーンなど、迫力がある。ところどころにあることばがない見開きの絵が作品の章立てのようになっていて印象に残る。雨のしずくなど、絵の象徴性が読み取れる。人物の表情やしぐさなど、ことばに表されていないものが絵でたっぷり表現されている、などの感想が語られました。

この作品の視点人物はローズですが、友だちのウィンディも頻繁に登場します。その意味で、ローズとウィンディの青春物語だと思った。青春時代の大人への道がうまく書けている。思春期前期の少女たちの感情が巧みに表現されている。夏だけの友だち関係がいきいきと描かれている。思春期のためらい、大人に対する言いようのない嫌悪感、どうしようもない感じがうまく表現されている。ホラー映画を見ることで、もやもやした感情を解消しようとしているように見えた。ウィンディがダンスをして、ローズが笑い、ウィンディが傷つく様子に、こういうことってあるよなと思った。ウィンディは養子で、母親は高齢だが、ひとりっこで、母親はウィンディで充分、きょうだいはいらないと言う。そのことで、ウィンディは安定している。一方、ローズは両親と血はつながっているが、両親はもう一人子どもを持とうとしており、「自分だけではだめなの?」という気持ちになって、不安定だと思った。ウィンディは幼児体型で、幼さと親しみを感じる。ローズはどこかで、ウィンディにお姉さん風をふかしているが、実はいろいろとしっかり考えていることがわかり、ローズもそれに気づかされるところが興味深い。夏のはじめと、夏の終わりでは、二人とも違って見える。ひと夏の成長が感じられる、などの発言がありました。

そして、二人は、性に対して興味を持っています。ローズとウィンディは性についてあけっぴろげに語り合っている。そして親たちもそのことを見守っているように思え、日本とは違うと思った。ローズもウィンディも性に興味を持っているが、ローズは、母親のこともあり、性に対する考え方が屈折しているが、ウィンディは男女の関係を人と人との関係だと素直に受け取っている。その対比がせりふで違いがわかり、興味深い。ローズが、売店の青年、ダンカンにビデオを借りる様子から、年上の男性の前でいきがってアピールしていることがわかる、という感想が述べられました。

ローズの母親についてもいろいろな発言がありました。母親は誰に言われてもかたくなに、湖に入いらない。泳ごうと誘った義弟をつきとばし、義弟夫婦は怒って帰ってしまう。ローズはそんな母親を冷ややかな目で見ている。ローズの視点で描かれているので、母親は批判的に描かれているが、実は母親は前回湖に来て流産をしており、そのことを、ウィンディのお母さんにも言っていなかった。しかし、二人の会話を盗み聞きしたローズは母親がなぜ、苦しんでいたのかを知って、はっとさせられる。ローズの気持ちによりそって、自分も「はっとした気持ちになった。母親がうつ(薬を飲む場面が出て来る)で、ローズへの影響も大きく、母親が立ち直るか心配したが、湖に飛び込んでダンカンの子どもを宿して自殺しようとしたジェニーの命を助けたことで立ち直りを見せている様子にほっとした。ローズが思わず、母親に傷つくようなことを言ってしまった場面は、思春期によくあることで、リアルに描かれていると思った、などです。

父親については、みんながしらけるようなジョークを連発し、母とローズにあきれられる。読みながら「お父さん、しつこい!」と言いたくなった。ローズの母は、夫に流産の苦しみや悲しみを理解してもらえないことにいら立ちを感じている。ローズの視線で二人が描かれることによって、この問題を夫婦二人で乗り越える難しさが伝わる。一方で、父親の無神経さを読みながら、これぐらいじゃなきゃ神経質な母親と夫婦をやっていけないと思った。夫婦がぎくしゃくしている様子がとてもよくわかる。自分も子どもの頃、母を批判していたが、大人になってみると、父の問題点も見えてきて、自分が片面しか見ていなかったことに気づかされた。この作品でも、母が葛藤していても、父は理解せず、そして逃げ出す。そういう父をローズが理解できない様子がとてもうまく描かれていると思った、など、自分の子ども時代を思い出した人も多くいました。

そんな中で、ウィンディのおばあちゃんは読書会の中で人気がありました。言動が気持ちいい。お酒を飲んで、解放されている。深刻な状況で吹いてくる風のようなさわやかさがあった、などです。ダンカンとジェニーの恋人関係については、ローズたちの家族が車で別荘に行く途中の道で二人が歩いているところを通り過ぎた絵(p.12)が確認され、この作品が、最初から最後までジェニーとダンカンの関係を描いていることにみんなで気づきました。そして、湖で自殺しようとしたジェニーが救われてよかったという感想が出されました。

作品の結末は、ローズの家族が別荘を出発し、ウィンディがお別れにやってきて、お菓子をプレゼントします。そして、車ではお父さんがジョークを言い、別荘のローズのからっぽの部屋で時計がカチカチと鳴り、ベッドの上には小石や貝など湖で拾ったものが載せられた絵で終わります。その絵にあわせて「もしかしたらわたし、めちゃめちゃ大きなオッパイになるかもしれない」「それも悪くないかも」と、自分のからだが女性的になることを受け入れる言葉で終わっています。それに対して、希望が感じられた。余韻の残る終わり方。小石は落ちていたらただの石だが、拾った子どもにとっては生きたものとして感じられることが伝わる。石のイメージは、子どものとき、両親と小石を拾ったこと。母親が、生まれる前は小石ぐらいだったとローズに言ったこと、3年前に家族で作った石壁の石など、小石のイメージが重ねられている。それらの石を最後にもともと入っていたグラスに入れず、ベッドの上に置くというのはどういうことか、グラスから解放された石たちと見るのか、自分の代わりに居心地のいいベッドの上に石を置くということなのか、いろいろな読みが可能。冒頭のシーンが幼いローズが眠ってしまって、父親に抱かれて別荘に帰っていく場面なので、父親から子離れし、自分らしく生きていく気持ちを表現したとも読めるかもしれない。ことばは胸が大きくなることについて考えており、夏を過ごして、体と心が変化したことが読者に伝わる、など満足のいく結末だと思った人が多くいました。

また、作品には、絵と言葉を使ってイメージが重ねられていく手法がユニークです。たとえば、ここの名物のターキージャーキーと、パパのジョークと、ジャーキーをホルモン剤というダンカンと店の友だちの会話などが重ねられることによって、それぞれの人の立場や、性的なものに対する敏感なローズの様子などが、読み取れます。そして、そこから、良質の映画を思い起こした。カナダはよく、「人種のるつぼ」と言われるが、この作品には、ネイティブの人、地元で生活する人、別荘へ来る人が同じ場所で夏を過ごす。その様子が、ジェニー、ダンカン、ローズたちという登場人物に代表させて描かれている。カナダの状況を知ることができた。養子、レズビアン、人種、家族のありようなど、現代社会を映し出している、などの発言もありました。

何度読んでも発見があり、私にとっては、グラフィックノベルの可能性の一つを追求した作品だと思いました。また、時間を置いて読んでみたいと思います(土居安子)。

<財団からのお知らせ>
● 寄付金を募集しています→ http://www.iiclo.or.jp/donation_10th.html
当財団の運営を応援いただける個人、法人の皆さまからのご寄付を募っています。寄付金は、当財団が行う講座・講演会など、さまざまな事業経費に充てさせていただきます。ぜひ、ご協力いただきますようお願いします。
※Syncable → https://syncable.biz/associate/19800701/
*年間1万円以上ご寄付いただいた方には、イイクロちゃんグッズをプレゼントしています。
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スペイン語圏の子どもの本から(49)
今月は、「怖い」という気持ちをとことん掘りさげた、スペイン発の絵本を紹介します。

『どうしてこわいの?』(フラン・ピンタデーラ文 アナ・センデル絵 星野由美訳 偕成社 2023.2)
 雷のあと停電になって、お父さんがろうそくに火をともしたとき、マックスはたずねます。「おとうさん、こわいと おもったこと ある?」
 しらないこと、暗い場所、言葉や暴力、孤独、喪失などへの恐怖心をおとうさんは語っていきますが、ドキリとさせられるのはそのあとの展開です。
「ふしぎだけど、じゆうになるのが こわいって おもうことも ある。」という見開きで、ちょっと違った怖さへと考えを飛躍させられます。さらには、「きをつけてって おしえてくれる こわいも ある。」とあり、恐怖心が、ネガティブなばかりでなく、道を照らしだし、私たちに気づきを与えるきっかけとなることも示されます。
「怖い」という気持ちは、誰もが持つもの。それは悪いものでも避けて通るべきもののでもなく、かかえて生きていくものだと語っているようです。
 前見返しのページいっぱいに描かれている黒い卵のようなものは、どのページにも登場し、マックスが抱えていることもあれば、空から降ってくることもあります。けれども、その黒い卵は、最後にはマックスの手の中で割れて光を発し、後ろ見返しでは、右下に(カバー袖で隠れてしまって、すぐには気づかないのがちょっと残念)割れた殻の形で描かれています。怖さを象徴すると思われる黒い卵のモチーフによって、「怖い」がどこにでもついてまわること、けれども、別の意味も持つことが視覚にも訴えて表現されているのがおもしろいなと思いました。

 アナ・センデル(1978年テラッサ(バルセロナ)生まれ)の絵は、色使いが美しくデザイン性があり、構図が次々と変わってページをめくらせます。文のフラン・ピンタデーラ(1982年カナリア諸島生まれ)は、語りや演劇の活動もしていて、20作以上の絵本や児童書、詩集を出版しています。日本語には、以前この連載でも紹介した『あの子はぼくらのスーパースター』(ラクウェル・カタリーナ絵 せなあいこ訳 評論社 2022.6)も翻訳されています。
 ピンタデーラとセンデルの絵本には、「泣く」をテーマにした『どうしてなくの?』(星野由美訳 偕成社 2020.12)もあり、そちらでは、負の面ばかりではない、「泣く」のさまざまな側面に迫っています。これからますます活躍しそうな二人の絵本、ぜひ手にとってみてください。
https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033286600
(宇野和美)
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*以下、ひこです。
【宣伝】
『子どもの読書を考える事典』(朝倉書店)
私も「リアリズム」について書かせていただきました。これまでなかったおもしろい事典です。5月1日刊行。
https://www.asakura.co.jp/detail.php?book_code=68026

【絵本】
『聴導犬ふく 家族ができた!』(鈴木びんこ 新日本出版)
 ふくの2作目です。訓練を終えたふくがいよいよ仕事を開始します。パートナーはみかさん。みかさんの家族はみんな耳が聞こえません。
 聴導犬がどんな役目を担っているのかを、場面場面で具体的に示してくれます。
https://www.shinnihon-net.co.jp/child/detail/name/%E8%81%B4%E5%B0%8E%E7%8A%AC%E3%81%B5%E3%81%8F/code/978-4-406-06688-4/

『たべてうんこしてねる』(はらぺこめがね 岩崎書店)
 そうです。タイトル通り。生きているってのは、そういうことです。作者はあの『やきそばばんばん』のはらめこめがねさんですから、食べ物がおいしそうなの。これで元気に生きていける。
https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b621033.html

『まもれるよ おとなになるれんしゅう』(安東由紀 岩崎書店)
 おるすばん、おつかい。保護者のいないところで、知らない大人とどう接すればいいかを具体的な状況で描いています。自分の身は自分で守るということと、信頼できる大人を見つけること。
https://www.ehonnavi.net/special.asp?n=5378

『ゆびのすうじ へーんしん』(齋藤陽道:作 あわい:絵 アリス館)
 自身もろう者である著者が、手話の魅力を伝えるために絵本を作りました。左右の指で同じ数字を表して、それをどう動かすかで、色んな意味が出来ます。左右が1で、頭の上にかざすと鬼とかね。あわいの絵がわかりやすくて、齋藤の意図を上手く表現しています。
https://www.alicekan.com/books/4085/

『さくらのふね』(きくちちき 小峰書店)
 桜の花びらが川面に浮かんいます。その上に乗って流れていくテントウムシやチョウたち。川辺にざまめく春が本当に豊かに描かれています。音楽まで聞こえてきそう。あ~、春ですね。暖かい。
https://www.komineshoten.co.jp/search/info.php?isbn=9784338261432

【児童書】
『ぼくのちぃぱっぱ』(長江優子 ゴブリン書房)
 かわいがっているオカメインコのチーパが居なくなった。家族総出で必死に捜すイタル。目がチカチカして、心が落ち着かない。友達のムツくんは、チーパがいなくなってイタルは非日常に入ったと言います。今までチーパがいたのが日常で、いない今は非日常というわけです。
 ぼくはいつ非日常から日常に戻れるのか?
 受け入れることと、前を向くことについて、力強く描いています。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784902257434

『ひろしまの満月』(中澤晶子 小峰書店)
 戦前から広島で生きているまめという名の亀。昔聞いたような少女の声で、封印していた過去を思い出します。それからまめは、新しく引っ越してきたかえでに、まめが飼われていた一家の話をします。それは、原爆で兄を失ったまつこちゃんたち家族の記憶です。
 亀を語り部にして、記憶を継承していきます。
https://www.komineshoten.co.jp/search/info.php?isbn=9784338192439

『エツコさん』(昼田弥子:作 光用千春:絵 アリス館)
 エツコさんは認知症のおばあさん。昔小学校の先生をしていたのでエツコ先生と呼ぶ人もいます。5人の小学生がそれぞれエツコさんと出会います。その時々でエツコさんは状態が違うので、読者はいろんなエツコさんを知ることが出来るようになっています。そのことで、認知症のエツコさん、そのままの姿が浮かび上がってきます。そして最後の章は、「記憶」。孫の真名ちゃんとの暖かなお話が置かれます。
https://www.alicekan.com/books/4065/

『あらわれしもの』(最上一平:作 ささめやゆき:絵 新日本出版)
 子どもはもはや一人も居ない握集落。そんな過疎の村にも、やってくるもの、あらわれるもの、すみつくものがいる。彼らと村人たちが繰り広げる愉快で暖かなエピソードたち。毎日の暮しが伝わってきます。それは命の賑わいです。
https://www.shinnihon-net.co.jp/child/detail/name/%E3%81%82%E3%82%89%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%AE/code/978-4-406-06696-9/

『手で見るぼくの世界は』(樫崎茜 くもん出版)
 寄宿舎から視覚支援中学校に通う佑は、小学校時代から一緒なのに、晴眼者の心ない言葉で学校に行けなくなった双葉のことが気になって仕方がありません。メールをしても返事はなし。彼はどう言葉をかければいいかがわかりません。物語はそんな佑が自ら学校の外へと出て行くようになることで、双葉への思いを言葉にしていく過程と、双葉自身が勇気を取り戻していく姿が平行して描かれます。
 大きなドラマはありませんが、視覚障害者の日々が丁寧に描かれていて、実に清々しいYA小説に仕上がっています。いいな。
https://shop.kumonshuppan.com/shopdetail/000000003343/

『笹森くんのスカート』(神戸遙真 講談社)
 夏休み明け、スカートを履いて現れた笹森くん。今年からジェンダーフリー制服になったとはいえ、どういうこと? 4人のクラスメイトがそれぞれ抱える問題が、笹森くんのスカートで揺れ動きます。時代をトレースしながら普遍的な思春期を描きます。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000363867

『ばーちゃる』(次良丸忍 金の星社)
 充希のお母さんが、仕事先の開発している、AIを使った立体画像機をモニターするために持ち帰ってきます。そこに亡くなった祖母の写真や日記などのデータを打ち込むと、バーチャルの祖母が現れるのです。けれど、彼女は自身の自我を持ち始め、充希はそんなばーちゃるを祖母とは別の存在として考えるようになるのです。
 近未来に起こりそうな問題を描いています。 
https://www.kinnohoshi.co.jp/search/info.php?isbn=9784323063386

『たぶんみんなは知らないこと』(福田隆浩 講談社)
 特別支援学校に通うすずの毎日を、すず自身の視点を中心に、教師と親との間の連絡帳、兄の視点などを交えて描いています。そのため、すずの気持ちに完全に寄り添うことは出来ないのですが、家族や教師のそれを知ることで、すずの置かれている位置が見えやすいです。この辺り、『ヒルベルという子がいた』(ペーター・ヘルトリング:作 上田真而子:訳 偕成社文庫)と読み比べてみてもいいですね。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000359382

『いのちの木のあるところ』(新藤悦子:作 佐竹美保:絵 福音館書店)
 約8世紀前、トルコのディヴリーで建てられた大モスクと治癒院。小国でありながら、何故それらは建てることができたのかを巡って、作者の想像力が遺憾なく発揮された歴史物語。「戦に巻き込まれないよう知恵をしぼる。それがほんとうの勇者です」。500ページが一気です。
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=7103

『あっちもこっちも この世はもれなく』(いとうみく:作 ころりよ:絵 PHP)
 公太は背が低いのにコンプレックスを持っています。同じバレー部に属する親友の希来里の背が高いのが、なんだか癪に障る。希来里が悪いわけではないのに。世の中なんだか不公平だと公太は思うのでした。
 誰一人として同じ人はいないから感じてしまうコンプレックスを、同じ人は居ないからこその誇りへと導きます。
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-88045-7

『金曜日のヤマアラシ』(蓼内明子 アリス館)
 2年前母親を亡くした長谷部ウタのクラスに、桐林敏が転校してくる。彼はイライラしているようで、取り付く島もない態度。ウタはひそかにヤマアラシと呼びます。敏の態度はどうしてか? そして、ウタが抱えている「嘘」についての痛みとは? 波乱を含みながら物語は進みますが、ラストは爽やかです。
https://www.alicekan.com/books/4027/

【その他】
『「ヒロシマ消えたかぞく」のあしあと』(指田和 ポプラ社)
 鈴木六郎さん一家の家族写真を元に書かれた写真絵本『ヒロシマ消えたかぞく』ができあがるまでの経緯と、出版後の取材でわかった鈴木さん一家の足跡を含め、戦争で断ち切られた様々な足跡を記したノンフィクションです。著者の情熱と願いがまっすぐに届きます。
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/4047041.html

【絵本カフェ】
『カメラにうつらなかった真実 3人の写真家が見た日系人収容所』(エリザベス・パートリッジ:文 ローレン・タマキ:絵 松波佐知子:訳 徳間書店)
 1941年12月7日早朝(日本時間12月8日午前3時)、日本軍は真珠湾を攻撃します。その後、米国政府は日系人の「ラジオ、カメラ、武器を没収」し、「銀行口座を凍結してお金を引きだせないように」し、夜間外出禁止令や渡航制限令も出し、1942年2月19日、ローズヴェルト大統領が発令した「大統領令9066号」によって、西海岸の12万以上が強制退去させられ、やがて「抑留所」に収容されます。それは実際には強制収容所に他なりませんでした。
 この絵本は、日系人が被った差別と、彼らの収容所での暮しを撮った三人の写真家の作品と、彼らが撮らなかった、もしくは撮れなかった部分は、何故そうだったかを含めて描いています。
最初に撮影を依頼されたドロシア・ラングは、日系人の扱いを不当と思い、収容前から日々の暮らしを正確に撮りました。強制収容者に向かうバスを待つ家族。厩舎を改造した劣悪な住居。しかしそれらの写真は軍の担当にとって不都合なもので、公開不可になります。
宮武東洋は「抑留所」内では禁止されていたカメラを友達と作り、ここでの記憶を遺そうと決意します。それは見つかると捕らえられる危険な行為でした。ですから宮武は仲間の抗議運動の写真は撮れていません。
収容所生活から、解放までを撮ったアンセル・アダムスは、被写体にポーズを取らせるなどして、強制収容所所長の気に入る写真を仕上げます。「終わりの見えない収容所生活に疲れはてた人々の姿には、カメラを向け」ませんでした。
 彼ら三人が遺した写真。撮らなかったことと、撮れなかったこと。その部分を文章と絵が埋めていく作業で、写真もまたその存在意義を高めて、両者で、収容所の実態をリアルに伝えています。

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