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豊後大友家臣団の戦国ネタ

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#人物

名君 大友 義長

名君 大友 義長

大友義鎮の祖父として名君とも呼ばれたこの人物の紹介をしないわけにはいきません。生誕は1478年(文明10年)、豊後国の大友氏18代当主・大友親治(おおとも ちかはる)の子として誕生。幼名から名前の改めは6回。塩法師丸(しおほうしまる)、五郎(ごろう)、親匡(ちかまさ)、親元(ちかもと)、義親(よしちか)とある。

先代の父子対立による家中の混乱を鎮めた父の親治により、1497年(明応6年)、当主と

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大友家随一の茶人 臼杵 鎮続(うすき しげつぐ)

大友家随一の茶人 臼杵 鎮続(うすき しげつぐ)

生誕不明。死没1578年(天正6年)耳川合戦での討ち死に。
臼杵氏の一族で豊後の国大友氏の庶流戸次氏の流れをくみ、大友氏の一族。父親は臼杵長景(うすき ながかげ)。兄に大友家三老の臼杵鑑続(うすきあきつぐ)、鑑速(あきはや)がいる。紹冊(しょうさく)の号で知られている。

兄、鑑続の死後、柑士岳城(こうしだけじょう)城代として筑前国に入り志摩郡の国人を統率。博多の御笠川(みかさがわ)改修。房州堀(

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戦国最強の女将 吉岡 妙林尼

戦国最強の女将 吉岡 妙林尼

吉岡妙林尼(よしおか みょうりんに)は戦国時代最強といわれた女武将です。信長の野望などでは「巴御前」のような長刀を持った勇ましい姿が特徴の人物ですね。
大友家家臣の吉岡家の人物紹介ではこの人物が外せません。
ただし、正確な記述がないので、まさに伝説の人物です。
生誕、没年不明。
父の名前も大江神社の神主、林左京亮(はやしさきょうのすけ)、鉱石採掘の、丹生小次郎正敏(にうこじろうまさとし)ともいわれ

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