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ミシュラン三つ星レストランへの挑戦 vol.13

東京・白金のフレンチレストラン「ラ クレリエール」のオーナーシェフ、柴田が日々、何を考えているかを綴ります。

第三章 「料理長」を見据えて

vol.1からご覧いただく場合、あるいは章ごとにご覧いただく場合はコチラからどうぞ
 → 第一章 レストランのシェフになる
 → 第二章 プロの世界へ

13.再びモナリザの厨房へ

2009年、僕は料理人人生の原点ともいえるモナリザでまた働くことになりました。実は河野シェフに相談した時、モナリザの人材はとても充実していました。ですが、席数が多く厨房も広い丸の内店ならば、と言っていただいた。河野シェフは、料理人としての僕を、その辿ってきた道も含めて誰よりも知っている方です。その河野シェフが「柴田はモナリザの役に立つ存在だ」と考えてくださったのだと、改めて身の引き締まる思いでした。そして24歳の時にオープニングスタッフとして関わった丸の内店の厨房に、30歳となった僕が再び立つことになりました。

7年ぶりのモナリザ丸の内店

当時の丸の内店のシェフは、石井剛さん。今は青山のフレンチレストラン「モノリス」のオーナーシェフで、昨年10周年を迎えたそうです。スーシェフが2人いて、その内の1人は僕の同期でした。厨房スタッフは全部で15人ほどだったと思います。そこに、肩書もポジションも何もない形で入りました。
技術的・経験的にはスーシェフも十分務まる。でも、スーシェフは3人も要らない。そして、いきなり入ってきた人間が、それまで頑張ってきた人の上に乗っかってしまったら、その人だけでなく、その下のスタッフのやる気を削ぎ、未来を閉ざしてしまいかねない。それはモナリザにとって大きな損失になる。
僕も同じことを考え、肩書なしに賛成しました。肩書やポジションがなくても仕事はできますし、できることを全力でやることに変わりはないですからね。

久しぶりのモナリザの厨房は、とにかく忙しかった!連日満席で、いっぺんに60~70人分の料理を出さなくてはなりません。しかもコースなので、一つリズムが狂えば全体が狂ってしまいます。シェフに指示された仕事をするだけで手いっぱいでした。そんな中で自分の仕事を何とか早めに終わらせて、手の足りてなさそうな所をフォローし、下のスタッフたちにも目を配りました。
一緒に働けば力量は分かるものなので、下のスタッフたちも自然とスーシェフに対するのと近い感じで僕に接してくれるようになりました。それでも僕は意識的に線引きして、スーシェフが対応した良いことは「それはスーシェフに聞いて」と答えたりしていましたが、徐々にシェフも僕に仕事を振ることが多くなり、正式にスーシェフに就任しました。

同じスーシェフでも・・・

ランベリーでもスーシェフでした。でもモナリザに戻って同じポジションで働いてみて、2つのレストランが対極と言ってもいいほど違うことを実感しました。
モナリザは、たくさんのお客様のお料理をたくさんの料理人で作るために、あらゆることがシステム化されています。予め決められたことを、各人が決められたとおりに確実に行う。スーシェフが最も目を向けるべきなのは、下のスタッフたちがうまく仕事ができているかということです。彼らがミスをすれば、システムが狂い、出るべきタイミングで出すべき料理が出せなくなってしまうからです。僕が働いていた間、料理が滞ったことは殆どなく、厨房はいつも静かでした。
一方、ランベリーは素材に応じて料理も都度変わります。岸本シェフの気性もあって、厨房にはたくさんの音や声が満ちていました。そしてスーシェフの視線の先は、シェフにありました。「次にシェフが何をするか?」を見極め、予想しながら動く。それが第一の仕事でした。

どちらが良いということではありません。とにかく「違う」のです。しかし、両方を経験できたことは、僕にとって非常に貴重な経験でしたし、クレリエールの大きな強みになっています。

石井シェフのフランス料理

石井シェフの料理は、一言で言えば「フランス料理らしいフランス料理」でした。辻調のフランス校に行き、日本のフランス料理店で働いた後で4年もフランスで修業された方です。ただフランス経験が長いというだけでなく、きちんと学び、自分の中にしっかりと取り入れているからこその料理だと感じました。
僕がモナリザに戻って間もなく独立されたため、一緒に働いたのは半年もありませんでしたが、ソースがしっかりした伝統的なフランス料理を作って多くのお客様にちゃんと美味しく楽しんでいただいているのが凄いと思いました。実際、どの料理もめちゃめちゃ美味しかったです。ちなみに今、クレリエールで作っているトリュフのソースは石井シェフのルセットです。

ダブルシェフ就任

石井シェフが辞められた後は、岩田充弘さんと僕のダブルシェフ体制になりました。岩田シェフは、今は五反田の「レストラン メイ」のオーナーシェフです。モナリザ恵比寿店でスーシェフを務めた後にフランスでも修業して、帰国後、再びモナリザに戻ったところでした。
岩田さんとダブルシェフになったことで、僕のスーシェフ生活は1ヶ月ほどで終了となりました。

ダブルシェフ体制は初めての経験でしたが、岩田シェフとは良い連携で仕事ができました。共にモナリザで育ったことに加えて、岩田シェフもフランス修業時代にルグランヴェフールで働いていたりと共有できる土壌があったのも大きかったかもしれません。
当時はコースが5本あったので、岩田シェフと僕とで2本ずつ出し合い、残る1本は河野シェフが決めていました。厨房も良い感じでまわっていたのですが、結果的にダブルシェフ体制も1年足らずで終わることに。恵比寿店のシェフが辞めることになり、岩田シェフの恵比寿店シェフ就任が決まったのです。

そして僕は一人で丸の内店のシェフを務めることになったのですが、その後には僕の料理人人生最大の危機が待っていたのでした。

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このnoteを初めて読んでくださった方へ
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はじめに初めまして。ラ クレリエールの柴田です。
白金でフレンチレストランのオーナーシェフをしています。
2020年のコロナ自粛の間、レストランのあり方や自分が今後進むべき道など色々と考えました。その中で「ミシュランで三つ星を獲得すること」を一つの指標として強く意識するようになりました。
そして、どのようにすれば三つ星を獲得できるのか、三つ星にふさわしいと皆様から認めていただけるのか、日々、考えたことや行動したことを記録に残そうと考えました。
ご興味を持っていただけたら幸いです。

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