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私のヘビメタ遍歴(出会い編)

衝撃的な本に出会った。 中野信子さんの 「メタル 脳」という 何という奇抜な タイトル。 と同時に 、私の中に眠ってた 、何かがはじけた、 というか爆発した。 まるで地中深くに埋まっていた不発弾が爆発したようなイメージだ。 「モーツァルト より メタリカを聞く 」何という内容だ。 もちろん私は 同感だ 、感動している。 今からその内容をなぜそうなのか説明したいと思う。 私は音楽など全然興味のない 空手少年だった。 空手で強くなることが 一番の夢であった。 だから 高校も 空手部に入った。近所の極真空手の道場にも通った。 もちろん ヘビメタのことも全然知らない。 音楽で言えば 歌謡曲の アイドル歌手 河合奈保子さんを推していた。 やがて 高校3年生になり 部活も 引退 、後は受験勉強に向けて、 毎日を過ごす 。学校に行っては 早く家に帰ってきて 、受験勉強する。 あるいは 塾へ行く 。そのような毎日を過ごしてきた。 自分は何のために生きてるのかという 、この先どないなるのかという 不安 。それが 毎日 積み重なって 発狂しそうになるなった。
そんな時学校では 友達が なぜか髪を伸ばし始め、 カセットテープを交換してるではないか 。何をやってるのかと言うと 自分の好きな音楽を 録音してやり お互いに録音しあって テープを交換しているのではないか。 私は音楽など興味なかったが ある日 私も聞けと カセットテープを渡された。「 ナイトレンジャー」だった。

この曲だ。初めて聞いたヘビメタは! この時から このアルバムを貪り 食らうように聞いた。 特にこのセブン ウィッシーズ は なんか みなぎるパワーを与えてくれるような そんな感じがした。 かっこよかった。 学校の女の子たちが ヘビメタ かっこいいとか言い出したので、 友達はヘビメタをやれば 女にここにモテると 、女の子にモテると 皆が思い始めた。 私もその一人だった。 女の子にモテたかった。 ちょうど部活も終わったし 私も髪を伸ばしたかった。 ナイトレンジャーみたいになりたかった。

 ボンジョビにも夢中になった。

ある時 テレビ番組で 関西出身の 日本人 ヘビメタバンドが アメリカに進出し 、 アメリカで デビューしたという。 インタビューを聞いていた 自分たちは大阪出身で 同級生や仲間たちと結成して、一時期はアイドルグループに加入していたと。 大阪はヘビメタ ヘビーメタルの ブームになっていて 4マグナムや プレゼンス など いろんな ヘビメタバンド が誕生していると。 そのアメリカに進出したバンドは ラウドネスと言った。 二井原実、 高崎 晃 樋口宗孝 、山下昌良、この4人グループが アメリカに進出するというのだ。 バンド名を「ラウドネス」と言った。 年齢もさほど私と変わらない 20代前半の若者だ 。 衝撃を受けた。 自分は何をやってるのだろう 。この時、自分を表現できるのは音楽しかないと、 自分もかっこよくなろうと 、そう決意した。 大学に入学したら 絶対音楽をやってやると 誓った。

なんか 生活に色がついたような気がした。 日々 イライラしてて、怒りっぽかった感情が 、なんか 緩和されたような気がした。 この ラウドネスの曲を聞いて 、なんか 鬱憤が腫れたような気がした。 ようやく 高校3年生の夏、 私にも彼女ができたが 1週間で振られた。 すごくショックだった。 ちょうど 日航機墜落事故が起こったその日だった。 そんな私の心を 癒したの が ヘビメタだった。 ラウドネス だった。

特にこの 曲が私の心を癒した。 季節は流れて、あまり私はアーティストのレパートリーを増やさずに 、同じ曲 、同じアーティスト ばっかしを聞き続けていた。阪神タイガースが初めて日本一になり 、年を越してやがて 受験を迎えた。地方の大学に合格した。 すぐ 楽器を買った。 ベースギターだ。 なぜ ベースギターだと言うと 簡単そうだったからだ。 すごく 陳腐な理由だと今から考えると思う。楽器を担いで電車に乗る。「なんてカッコいいんだ。」全然弾けなかったが、持って歩くことにステイタスを感じた。
 そしていよいよ親元を離れた。(大学編に続く)

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