なぜ「シン・仮面ライダー」が響く人と響かない人がいたのか?
6月4日に「終映」を迎えたシン・仮面ライダー、地方都市のMOVIXでも既に終わっていたのに終映当日だけ最終上映してくれていたので見に行った。合計5回(*^^*)
自分でもこんなにハマると思っていなかったので、途中から何回見たのかわからなくなったのだが、シン・シリーズの中でも最多視聴(シン・ゴジラ2回、シン・エヴァ3回、シン・ウルトラマン2回)となった。
最初に見たときに書いた記事でも述べたが、自分の見たいと思っていたものが詰め込まれていたのだ。終映に駆けつけた同志達もそうだったのか?新宿バルト9では終映後拍手が起きたそうである。
全米公開の話題もあった。彼の地のオタク・特撮ファン・庵野ファンには好評だったようで嬉しい(*^^*)
現地で視聴した日本人の方のブログ記事も見つけた。
このブログで興味深かったのがこの記述:
彼の地でもこんなにも愛されているなんて!
世界中に同志はいるのだよきっと(*^^*)
それにしても国内ではつまらないという意見や批判的感想の多さにうんざりもするが、一つ面白いと思ったものがあった。
この座談会のなかで「感情移入させないように作っている」という意見があり、ほぼ全員がそれに賛成していたのだが、これを読んで自分はびっくりした。
おそらく、ハマった連中はみんな感情移入しまくりだったはずだ。
オーグメントを倒したあと、震えながら黙祷する本郷の姿ひとつをとっても、我々にはその心情が響いてしまって、とても他人事とは思えなかったのだ。これは非力で何もうまくいかなかった自分が、ある日突然望んでいた以上の力を得てしまって、その行為に苦悩する姿だと。
本郷に限らず、ルリ子、一文字、イチローの主要登場人物だけではなく、立花「絶望は誰にでもある。本郷は本郷の乗り越え方をすれば良い」、滝「俺に気を使うな」に至るまで、世間的には意味や感情がない「記号的」と解釈されるセリフが、ハマった者たちには心に響く(響きまくる)ものだったのだ。
これは庵野ファンだから、エヴァファンだから、仮面ライダー(昭和・平成)ファンだから、ということではないだろう。上記座談会参加者もそれぞれに同様なバックグラウンドがあるが、それでも響かない人には響かなかったのだ。
演技もどちらかといえば記号的で、あえて「重厚でない」演技に留めたと感じるのだが、これは今では実写よりアニメを中心に見るようになった者の感じ方なのかもしれない。それを「アニメ的演出」だと言われたら、そうなのかと納得はする。最近の邦画をほとんど見ていない(シン・シリーズ以外で一番最近に見たのは「ドライブ・マイ・カー」だった)ので、一般的な演技というものに何か言えるほどの知識がない。
ただ、そういう「邦画慣れ」していない者にもシン・シリーズの実写映画はどれも演出に違和感がなかった。シン・シリーズの視聴者にはオタクが多いと思われるが、一般的なシン・シリーズの評価は概ね興行収入に比例していて、シン・エヴァ>シン・ゴジラ>シン・ウルトラマン>シン・仮面ライダーとなっているようだ。もちろんシン・ゴジラをトップに評価する意見もあるだろう。
しかしシン・仮面ライダーにハマった者、表現が刺さりまくった者たちは、シン・シリーズの中でもトップとまでは言えなくても、なにか別格のポジションを占めたのではないか?ライダーファンだから、アニメファンだから、庵野ファンだからというククリでは説明がつかない、未だそれをなんと表現すればよいかわからないのだが、この映画を待ち望んでいた者たちが確実にいて、興収20億超えという結果を残すパワーが有ったことを噛み締めたいと思う。
というわけで、全然タイトルの「なぜ」には答えていないのだが、とにかくこの映画に感情移入できてしまった人間が少なからず居るのだ、と言う事だけでも断言しておきたい!
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