見出し画像

酵母のことを知るとワインが面白くなる-2

 ブドウ果実には多種多様な酵母が存在する。そのうちの約1%以下がSaccharomyces酵母にあたる。彼らは、アルコール発酵という過酷な環境の中で生存競争の結果、当初99%を占めたnon-Saccharomyces酵母を駆逐し、その存在比を逆転する。

 もちろん、同じSaccharomyces酵母の中でも熾烈な争いが行われ、最初は多様な菌株が存在したとしても、生き残るのは1から3菌株程度である。それら生き残った少数精鋭によって、アルコール発酵が進められ、ブドウ果実がワインへと変化していく。

 酵母のことにフォーカスし、前半と後半の2つに分けてnoteにまとめている。前半は、「Non-Saccharomyces酵母をどう活かすか」という視点でまとめた。以下にリンクを張っておくので、見てもらえると嬉しい。

 後半は、「その土地由来のSaccharomyces酵母に何を期待するか」という視点で、アルコール発酵の主役である、Saccharomyces酵母に関して深掘りしていく。

酵母はテロワールに含まれるのか

 テロワール=土地、いわゆるブドウの産地という意味だけで捉えられることが多いが、下記に引用した国際ブドウ・ワイン機構(OIV)によってなされたテロワールの定義を振り返ると、とても複雑な概念であることが分かる。

 “Vitivinicultural “terroir” is a concept which refers to an area in which collective knowledge of the interactions between the identifiable physical and biological environment and applied vitivinicultural practices develops, providing distinctive characteristics for the products originating from this area” (Resolution OIV/Viti 333/2010)

 ある土地で育ったブドウから造られたワインが、他に無い明確な特徴をもっていたとすると、その土地は1つのテロワールとして認識する事ができる。

 そして、「他にない明確な特徴」は、その土地で育つブドウ自身、物理的、生物学的環境、ブドウ栽培、ワイン醸造といった人の関与といった要素が相互に作用することで産み出される。ちなみにテロワールの日本語訳は、「風土」である。風と土、日本人の意識にすっと直感的に入ってくる、とてもよい訳だと改めて思う。

 現在、その土地に由来する微生物もブドウやブドウ果実に対して影響を与えており、テロワールを構成する要素と考えられ始めているが、酵母もテロワールを構成する要素とすべきかどうかについては、明確な結論が出ておらず、議論の最中である。いくつか、研究事例を紹介したい。

産地を代表する酵母の存在

 ブランデー、コニャックの生産地で、ユニブランからワインを造ってる生産地であるフランス、Charentesでの研究例を紹介する。

 42のワイナリーから発酵中のもろみをサンプリングし、そのサンプル中で優勢に働き、アルコール発酵を行う35菌株のSaccharomyces cerevisiaeを見つけた。

 その中で2菌株のみが、Charentesのいくつかのワイナリーで共通して分布しており、そのうち1菌株がサンプリングした1988年から1992年というヴィンテージを超えて存在した。かれらはこの菌株をワイン生産地であるCharentesを代表するSaccharomyces cerevisiaeではないかと提案している。

Versavaud, A., Courcoux, P., Roulland, C., Dulau, L., & Hallet, J. N. (1995). Genetic diversity and geographical distribution of wild Saccharomyces cerevisiae strains from the wine-producing area of Charentes, France. Applied and Environmental Microbiology, 61(10), 3521-3529.

産地ではなく、ワイナリー毎に

 主にサンジョヴェーゼを用いて、ワインを造っている中央イタリア、Tuscanyの4つワイナリーで行った研究例を紹介する。

 彼らは4つのワイナリーの発酵中のもろみ、出来上がったワインを分析した。対象になったヴィンテージは明かされていないが、短いもので3ヴィンテージ、長いもので11ヴィンテージにわたる。

 結果、238菌株を見つけ、解析したところ、同じワイナリーの中でヴィンテージを超えて、いくつかの菌株が存在する事を確認した。しかしながら、ワイナリー間で共通して存在する菌株は見つからなかった。

 このことから、Saccharomyces cerevisiaeはそれぞれのワイナリーの環境に適応し、ワイナリーに住み着く菌株として、産地というような広い範囲ではなく、ワイナリーというより小さな範囲でテロワールを構成しているのではないかと説明している。

Granchi, L., Ganucci, D., Buscioni, G., Mangani, S., & Guerrini, S. (2019). The Biodiversity of Saccharomyces cerevisiae in Spontaneous Wine Fermentation: The Occurrence and Persistence of Winery-Strains. Fermentation, 5(4), 86.

土着酵母の存在否定

 北イタリアのワイン生産地で、シャルドネやピノ・ノワールからビン内2次スパークリングを産するFranciacorta、Oltrepò Paveseの畑、ワイナリーにおいて、空気中、ブドウ果汁、ワインを調査対象として、2009年から2011年にかけて、それらに存在する酵母の個体群を調査した研究者がいた。

 彼らは、Franciacortaで6カ所、Oltrepò Paveseで8カ所を調査し、3年間で270菌株のSaccharomyces cereviciaeを見つけた。面白いことに、同じヴィンテージの収穫時期に異なる2つの地域で同じ菌株を見つける事は6例あったが、各地で見つかった菌株が年を超えて再び見つかる事は無かったということだ。

 それらのことから、彼らは各産地に酵母の多様性が存在する事は肯定しながら、「畑やワイナリーに永久に住みつくような土着酵母」の存在を否定している。つまり、ヴィンテージの影響を受けて、各産地の酵母の多様性は毎年変化するということを主張している。

Vigentini, I., De Lorenzis, G., Fabrizio, V., Valdetara, F., Faccincani, M., Panont, C. A., ... & Foschino, R. (2015). The vintage effect overcomes the terroir effect: a three year survey on the wine yeast biodiversity in Franciacorta and Oltrepò Pavese, two northern Italian vine-growing areas. Microbiology, 161(2), 362-373.

土着酵母を活かすために

 このようにSaccharomyces酵母がどこに由来するのか、テロワールを構成する要素なのか、に関して世界の科学者や醸造家の議論がまだまだ付きそうにない。

 酵母を含めた微生物の多様性は、地理的環境によって影響を受けることは明らかでは有るが、そこに住む酵母達がワインに「他にない明確な特徴」を与え、テロワールを形成するために必要な要素になり得るか、証明に足りる報告がないのが現状である。

 ただ、1人の醸造家としては、ブドウの産地、そしてブドウ自身に特定の酵母が住んでおり、それがそこに育つブドウ品種にとってより特徴が表現されたワインに変える能力を持っているのであれば、それはなんと素晴らしいことだろうと思う。

 また、長年積み重ねた歴史の中で、ワイナリーに住み着く酵母が、我々が造ったワインらしさに繋がっているのもあるんだろうなとも、経験的に思う。

 日本の場合、必ずしもベストなコンディションでブドウが収穫できるとは限らない。リスクヘッジのために、より信頼性の高い市販されている酵母を使うという選択肢もでてくる。

 一方で、ブドウに付いた酵母にこだわるなら、本番の仕込みの10日前頃に、事前にブドウを収穫し、いくつか小仕込みを自然発酵で行い、その中で良い香りや味わいになるものを選抜し、本番の仕込みに持ち込む方法(pied  de cuve)もある。

 ワイン醸造家は、理想と現実を照らし合わせながら、ブドウ或はワイナリーに住む微生物、または市販されている選抜酵母たちを手駒として、手元に届いたブドウの個性を最大限引き出すために、テロワールとそれ以外の曖昧さの中で、毎年必死に汗をかいている。

今年も後2ヶ月で仕込みシーズンに入る。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?