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陰謀論? 映画ルックバックに見る、大量殺人犯が描く物語

■目次

1、犯人を凶行に駆り立てたもの
2、ルックバックのあらすじ
3、大量殺人犯の特徴
4、脳内の一人陰謀論
5、重い話をしてきましたが

1、犯人を凶行に駆り立てたもの

現在上映中のルックバックを観てきました。
友達が「面白いらしい」というので、どんなものだろうか? というノリで行ったんですが、楽しめました。
上映時間は約一時間と、映画館に観に行くものとしては短く、でも中身は濃いです。

で、今回は、そんなルックバックを観た感想を……と思ったんですが、それだと普通なので、映画の中に登場する「とある人物」にスポットを当ててみようと思います。登場するのはほんの数分、セリフもたぶん数秒から数十秒、でも強烈なインパクトを残します。なんせ……

ということで、ここから先、ネタバレを含みます。
ストーリー解説ではないので、全部書くわけじゃないんですが、この記事を書く上で必要な部分は書くので、ご了承いただければと。

まあもう、見出しやタイトルで何を話すか想像はできるかと思いますが、今回は、

『陰謀論? 映画ルックバックに見る、大量殺人犯が描く物語』

について、お話します。

2、ルックバックのあらすじ

※ネタバレ含みます。

ルックバックは、二人の女性が主人公の物語です。
小学4年生で、学級新聞の四コマ漫画を担当する藤野と、不登校で、家でずっと絵を書いている京本。

藤野の四コマ漫画はクラスメートにも人気があり、本人も鼻が高いですが、ある日、二本ある四コマ漫画のうちの一本を、京本が描くことになります。

「描けるんですか? 学校に来ることもできない子に」

と鼻で笑う藤野ですが、京本が仕上げてきた四コマ漫画は、風景だけのセリフもないものですが、画力が圧倒的で、「これと比べると、藤野の絵は大した事ないな」というクラスメートの言葉に悔しさを覚え、必死に絵の勉強をします。親に心配されても、姉に「あんたさ」と言われても、クラスメートにヲタクって呼ばれちゃうよと言われても描き続け、画力は上がったものの、京本の腕も上がっていくため、追い越すことができず、小学6年の途中で描くのをやめて、みんなと一緒を選びます。

そして卒業の日。
担任から、京本の家に卒業証書を届けるように頼まれた藤野は、渋々家へ。
インターホンを押しても誰も出てこず、玄関が開いていたため、ドアを開けて呼ぶも反応なし。
しかたなく、証書を置いて帰ろうとしますが、物音がして家の中へ。

廊下を歩いて突き当りを左に向くと、大量のスケッチブックがあり、その上に、四コマ漫画の紙(縦長で、4つの枠がある用紙)が置いてあることに気づくと、藤野はシャーペンを取り出して、即興で四コマを描き、我に返ったように「なにやってんだろ……」と思った瞬間、手から紙が滑り落ち、部屋のドアの隙間から中へ。卒業証書を置いておくと告げて急ぎ家を出て帰ろうとしますが、声を掛けられます。

「藤野先生ですか……?」

振り向くと、そこには初めて見る京本の姿が。
京本は、ずっと藤野の四コマのファンで、どの話が好きかも空で言えるほど。サインがほしいと言われて、藤野は半纏の背中に名前を書き、なぜ描くのやめてしまったのかと問われ、「今、新作描いてるから。まだ構想中だけど、頭には全部ある」と、咄嗟にハッタリを口にして、そこから再び、漫画を描き始めます

そこから二人は、少しずつ仲良くなっていき、ストーリーとキャラは藤野、背景は京本という役割分担で漫画を描き、一年かけて描き上げた漫画は、出版社の賞で準優勝を飾り、読み切りを描くという快挙を成し遂げます。
その後も二人は、7作もの読み切りを描き、ついには連載が決まりますが、外の世界を知った京本は、絵に対して自分の道を追求したいという気持ちが芽生え、藤野と京本は袂を分かち、藤野は漫画家への道を、京本は美大に入って風景画の勉強を始めます。

それから数年が経ち、藤野の漫画は徐々に売れていき、アニメ化もされ、すっかり漫画家として板についたものの、すでに描くことが仕事になっている藤野は、なりたい職業になれて、経済的にも豊かになったにも関わらず、どこか空虚な、淡々とした日々を送っていました。

そんなある日、作業用に流していたテレビで、ある事件のニュースを聞きます。
内容は、京本が在籍している大学に男が侵入し、多数の死傷者が出た、というもの。

京本……!

すぐに電話してみるものの、繋がらず、確認しようとしたとき、母親から電話が。
内容は、京本が、

「おまえらは俺の絵をパクった」

と言う理由で美大に侵入してきた男に殺され、この世を去ったという、受け入れがたい現実でした。

実家に帰り、葬式に出席した藤野。
京本の家に行くと、以前よりも大量のスケッチブックが部屋の前に積まれていて、その中に、小学6年のときに描いた、あの四コマが挟まっていました。

「私が悪いんだ……私が京本を外に連れ出してしまったから……」

自分を責める藤野。
頭の中に浮かぶパラレルストーリー。
導かれるように、京本の部屋のドアを開けた藤野は、思い出します。
京本と二人、ひたすら漫画を描いていた日々。
そして気づきます。忘れていた、大切なことに。

それにキッカケに、藤野は再び歩き出すのですが、藤野が何を思ったか……それはぜひ、ご自分の目と心で感じてみてください。

3、大量殺人犯の特徴

さて、ルックバックがどんな話か書いたところで、本題に入ります。
もうお気づきかと思いますが、映画の中で起こった凶行は、京アニ事件を彷彿とさせるものです。犯人の動機も言い分も同じ。で、これから犯人がなぜあんな凶行にしたったのか考察していきますが、その前に、ああいった事件を起こす大量殺人犯の特徴を見ておきましょう。

大量殺人犯にもいくつかタイプがありますが、今回対象となるのは、「無差別殺傷型」と呼ばれるものです。
このタイプは、プライドが高いものの、現状はそれとは程遠い状態にあることが多く、その原因を自分ではなく、社会や他人に求めます。もちろん、世の中には自分ではどうしようもないことなんていくらでもあるので、今の不遇すべてが自分のせいということはあまりないですが、そういう次元ではありません。

彼らは自分で努力はせずに、社会が自分に対して冷たい、自分は不当な扱いをされているという方向に考えていきます。事件を起こす直近で、会社をクビになったり、離婚など、社会的に孤立したと"感じる"ことを体験していることも多いです。

そういう状況の中で、彼らはこう考えます。

「俺がこういう状況なのは、社会が俺を追い込んでいるからだ」

そうして生まれた敵意は、自分をそういう状況に追い込んだ"カテゴリー"に向けられます。学校だったり、職場だったり、特定の集団だったり。映画に出てきた犯人が敵意を向けた先は、自分の絵をパクった(と思い込んでいる)、美大の生徒や講師たちです。そして犯人は、カテゴリーに属する人たちを、できる限り殺害して、自分も死のうと考えます。

犯人からすると、復讐劇のようなものです。失敗が許されない、一大イベントということになります(それ以外の人にとっては迷惑千万以外のなにものでもないですが)。

そのため、凶器は複数用意して(たとえば刃物が一つダメになっても犯行を続けられるように包丁を複数持参するとか)、できるだけ人がたくさんいる時間帯を選ぶ傾向があります。さらには、SNSなどに犯行予告と取れるものを残したり、遺書のようなものを残したりもしますが、それは自分の犯行を正当化するものがほとんどです。

自分は悪くない、悪いのは、自分にここまでのことをさせた社会だ、というスタンスです。また、自分も死のうと考えているため、逃走経路などは確保しません。捨て身で、少しでも道連れにしようとするようなものです(これを言うと、第二次世界大戦中の特攻隊を浮かべる人がいますが、あれは戦術としてはどうかしてるものの、家族など、大切な者を守る覚悟でやったもので、大量殺人犯とは本質がまったく異なります)。

そして犯人は、犯行を隠すつもりもないので、覆面をかぶったりすることもなく、堂々と顔を晒して犯行に及びます。

以上のような特徴から、アメリカなどの銃が使える国では、コロンバイン高校銃乱射事件などのように、銃による犯行が多くなります。日本の場合、銃の入手は困難な上、そもそも特殊な免許を取って(猟銃など)持たない限り、持っていても違法となるため、それに次ぐ殺傷力を持ち、包丁などに限定すればどの家にもある、という手軽さで、刃物が選ばれることが多くなります。

京アニのときは、建物ごと燃やすという、極悪非道のやり方でしたが、対象となるカテゴリーを消すという発想から生まれた狂気といえるでしょう。

4、脳内の一人陰謀論

では、映画に登場する犯人を見てみましょう。

犯人は、映画でもリアルでも、

「自分の作品がパクられた」

という理由で凶行に及んでいますが、その証拠は示されていません。
本当にパクられたというなら、訴えるなり、証拠を示すなりすればいい話ですが、そう思い込んでいる彼には、そんな思考はありません。

そしてこう考えます。

「俺の作品をパクった奴らが評価されてる。本来評価されるべきは俺なのに、奴らはそれを横取りした。俺がうまくいかないのは奴らのせいだ。許せない。あんな奴らは死ぬべきなんだ。俺には奴らを殺す権利がある」

うまくいかない理由は、まさにこの思い込みと他人のせいにする考え方ですが、そんなことは考えません。犯人の頭の中に出来上がった物語は、彼は才能を奪われた悲劇の主人公であり、理不尽に命を奪われた被害者側は、作品を奪った極悪人という設定なので、彼の中ではあの凶行は、主人公が悪を倒す物語ということになります。この設定の乱暴さは、結論ありきで論理の飛躍が見られる陰謀論そのものです。それも、一人の脳内でのみ展開される陰謀論。

脳内の物語に支配され、凶行に及んだ彼にとって、自分が悪いという発想はありません。反省などなくて当然。なぜなら彼の中では、自分こそが被害者であり、凶行には正当性があるからです。

しかし本質は、犯人はうまくいかない現実を向き合えず、すべてを他人や社会のせいにして、自分の作品をパクった(と本人が思っている)相手を特定もできないため、そのカテゴリーに属するすべてを敵として凶行に及んだ、ということになります。

誰だって、うまくいかないことはあるし、ほとんどの人は、ときに理不尽だったり、許せなかったりすること、悔しくて何年も引きずってしまうようなことを経験しながら、それでも頑張って生きています。でも犯人はそれをせず、カテゴリーを対象にして事件を起こし、最後には自殺して罪を負う責任からも逃げようとしました。

映画の犯人のその後は描かれませんが、京アニの犯人は、死刑判決に対して不服として控訴を申し立てるという、理解しがたいことをしています。その理由は、今でも自分は悪くないという思いがあるからだと思います。悪かった、自分が間違っていたと受け入れることは、犯行に至った脳内の陰謀論も間違っていたと認めることになり、犯人は自分が悲劇の主人公である物語から出る必要があります。夢から覚めて現実に戻るようなものです。その重圧に耐えることはできないでしょうから、おそらく死刑になるまで夢の中にいることでしょう。第三者からすると、それこそが悪夢ですね。

5、暗い話をしてきましたが

随分と重い話をしてきましたが、ルックバックという物語は、好きなことを仕事にすることの現実と、その現実を乗り越えていく希望のようなものも見えて、わざわざ暗い部分に焦点を当てる必要はない作品です。

セリフのない描写も多いストーリーの描き方は、キャラとストーリーで見せる藤野の描写と、セリフのない風景の移り変わりで見せる京本、二人の世界観がうまく混ざり合っているようにも見えて、ルックバック自体、藤野と京本が作ったのでは、と想像することもできるような内容でした。

見ていて苦しいシーンもありますが、鑑賞後は、心に何か得るものがあると思います。
得るものは一人ひとり違うけど、それでいいのです。
一人ひとり違うからこそ、面白いんですからね。


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