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第2話 異物(小説)

-3-

明神は、胃のあたりに重りを抱えたまま、足を引きずるような速度で、駅の方に歩いていた。

(なんで社員証が替わってる? なんで部長は俺を知らないんだ? ビルも合ってるし……)

立ち止まって、会社が入っているビルのほうを振り返った。何度見ても、間違いはない。自分が働いている会社のビルで、駅からのルートもいつもどおり、おかしなところはない。水曜日の警備員、松永の顔も同じだし、部長もいた。違うのは……

「あ、そうだ……」

明神はスマホをポケットから出すと、友達に電話をかけた。

『はい、もしもし』

「健吾か? 俺だよ、尊。明神尊」

『明神尊? 誰?』

「誰って……冗談はよせって。今そういうの笑える状況じゃないんだ。こないだ会ったろ? 四日前に……」

『四日前は他の人と過ごしてたよ、昼も夜も。明神なんて友達は俺にはいないし、人違いじゃないかな? 切りますよ』

「いや、ちょっとまってくれ、話を……」

不通音が鳴り、スマホを叩きつけたくなったが、今度は電話帳を開いて、実家に電話をかけた。

『はぁい、どちらさま?』

「母さん? 俺だよ、尊」

『尊? ……尊って誰だい?』

「誰って……息子だよ、母さんの息子、分かるでしょ?」

『……ああ、分かった、あんたあれだね、オレオレ詐欺。
残念だったね、家には息子はいないよ。どうせやるなら、娘にするんだったね』

「息子はいないって……冗談はやめてくれ! ここにいるじゃないか!!」

『あんたがどこの誰だか知らないけど、そんなことやってないで、真面目に働きな。オレオレ詐欺をやってるなんて、ご両親が知ったら、きっと悲しむよ?
警察には言わないであげるから、そんなこと止めて、一生懸命働いて、人様の役に立つようになりな。今からでも遅くないから。ね?』

「母さん……」

『母さんと呼びたいなら、そう呼んでいいよ、今だけね。
よく考えて、自分の道を決めなさい。何をやろうと自由だけど、オレオレ詐欺なんて、そんなことは止めな。まっとうに生きるんだよ』

「……」

明神は言葉が出ず、そのまま電話を切った。

友達も、家族さえ、自分のことを知らない……全員が示し合わせて、知らないフリをしているなんてことはありえないし、そんなことをする意味もない。なのに、これは夢ではなく現実で、誰も自分のことを知らない。その事実をどう解釈すればいいいか分からず、他の可能性を探してスマホを見ていると、今朝やり取りした穂香の名前が飛び込んできた。

『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』

無機質な声が耳に入ってきて、明神はすぐに電話を切った。
ありえない。今朝やり取りしたばかりだし、穂香に限って料金の滞納もない。しかし現実は、穂香の存在すら否定しているように思えた。念のためチャットを送ったものの、期待はできない。今までの状況を考えると……

その場に立っているのが辛くなり、明神は近くのカフェに入った。建物や店の場所は変わっていない。でもたぶん、店員は顔を知らない……

暖かいコーヒーを注文して、窓際の席に座る。お金は普通に使うことができたことに安心感を覚えている自分が、ひどく滑稽に思えた。

「……」

コーヒーを一口飲む。
見た目も、香りも味も、自分が知っているコーヒー。店内の様子も、席の配置も、自分が知っているもの。世界がおかしいのではなく、自分がおかしいのかと思えてくる。

(カフェの客も普通……普通の人間だ、何もおかしなところは……)

まるで地球そっくりな別の星にでもきてしまったような考えに、思わず苦笑した。仮に地球を完全にコピーした星があったとして、そのときに自分だけが作り忘れられてしまったという、奇妙なことでもなければ、周囲にいるのが地球人に化けた宇宙人とか、クローンだとかということはありえない。そういえば、そんな小説があったような……

(どうせ会社にもいけないんだし、状況を整理してみるか)

おかしな方向に想像を広げた結果、気持ちが落ち着いてきて、明神はバッグからメモ帳とペンを取り出すと、テーブルに置いた。

(理由は今のところ分からない。でも何かおかしなことが起きてるのは確かだ。会社、友達、家族……誰にも俺の存在が認知されてない。それってどういうことなんだ? まさか夢? 座って、本を読んで、途中で寝てしまったのは覚えている。降りる駅の前で目が覚めたはずだけど、もしかして今も寝てるのか?)

状況と思いついたことをノートに書き出し、じっと眺めて、コーヒーを挟みながら答えを探したが、脳は質問には答えず、さっきから同じような思考を繰り返している。

(分かるわけないか……)

ふと時計を見ると、いつの間にか11時近くになっていた。少し空腹感が出てきて、明神は席を立つと、飲みかけのコーヒーを胃袋に流し込んでから、店を出た。

朝のひと仕事を終えた電車は空いており、席を選んで座ると、窓の外の景色や、家までの駅の名前を確認した。どれも自分の知っている駅で、順番も間違っていない。やがて自宅の最寄り駅に着くと、自宅へと足を早めた。
何度も見ている風景は、故郷に帰ってきたような感覚がする。

(家に帰ったら、バッグ置いて着替えて、飯でも買いに行こう。ひとまず腹を満たして……)

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