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スポーツの熱狂は、日常にも溢れている。

先日、ハンガリーブダペストで行われた、世界卓球を観戦してきた。
なぜ行く機会に恵まれたかと言うと、僕は現在NEWPEACEという会社に所属している。
約3年前から卓球日本男子代表のサプライヤーであるVICTASという卓球メーカーのブランディングに携わっており、昨年のスウェーデンに続き、ブダペストへ行くことができた。

日本のTV放送では、日本人選手のごく一部しか放送されていなかったと思うので、そのゲーム内容まで見た人は少ないだろう。ニュースで日本人選手が活躍したとか、メダルを取れたとかの結果くらいは知っている人はいるだろう。

今回のテーマを話すにあたり、少し僕自身の話をさせてもらうと、
6歳から小中高大とソフトテニスをやってきており、青春の全ての時間を競技スポーツに費やしてきた。1年間のうち毎日テニスをしており、休みといえば、年末年始くらいだったと思う。何故か、高校の時は、テニス部であったが、ボーズにする時もあり、隣のグランドの野球部よりもテニス部の方が野球部らしい時があった。今思うとよくあんなに毎日毎日テニスに打ち込むことができたなと、自分で自分を褒めてあげたい。(笑)

テニスしかしてこなかったので、僕の思考は全てスポーツから始まっている。持論であるが、ある一つの競技を極めた人は、他の分野に行っても成功しやすいと思っている。それは、学ぶことと改善していくことを自身の経験から体得しているからだと思っている。ここの部分は、また別の機会に、「学ぶ」と「真似ぶ」というテーマで書こうと思う。

息をするようにテニスをしていて、それが生きていくということだった。自然と興味関心も知識もスポーツ分野になり、他競技から学ぶことも多くあった。他の競技に関しては、当然観戦が多くなるのだが、その中で今の僕の大きな価値観でもある、スポーツの最大の魅力と思っている部分は、「ボーダレスな熱狂」である。

スポーツには一定のルールがあり、競技する側も観ている側も、熱狂できる。またその熱狂は、時空間(過去/現在/国境/文化/人種など)も超えてしまうということである。熱量の高い非言語コミュニケーションがそれを可能にしている。

今回もブダペストの卓球会場にいなければ伝わらない、手に汗握る1ポイント1ポイントごとのラリーが多くあった。単に結果の数字には現れない、”精神的な”ラリーが素晴らしかったし、当然、会場も一体となり大いに盛り上がった。

久しぶりにスポーツのこのボーダーレスな熱狂を体感した時に、これは何もスポーツに限ったことではないなという考えのスイッチが入った。正確にいうと、スポーツが熱量が高いが故に顕著だか、それはプロフェッショナルというある一部の人間に限った話ではないなと思った。

競技者が発するエネルギーを観客が感じて、その空間を共創する。スタジアムや競技場、ドームなどの空間は、そこにいる観客があって初めて成り立つと思っているのであえて「共創」という言葉がふさわしい。競技者も観客も同じその空間を創るというのであれば、受け手もその心構えが必要であると思う。当たり前であるが、感情がない状態で試合を見ていても盛り上がらない。

ー能動的な共創の心
ー邪心的でない、ピュアな応援の心
ー当たり前なリスペクトの心

競技の知識も大事であるが、それはゲーム展開を楽しむという次のステップの話だと思う。

熱狂を生み出すこの「共創」の関係は、熱量が顕著なスポーツだけではなく、エネルギーを発する側、それを受け取る側の矢印の構図は、日常にありふれていると思う。

朝の家族との挨拶、朝食の何気ない会話、仕事仲間との業務連絡、打ち合わせ、クライアントへのプレゼン、友人とのお酒を飲みながらの語らい、気になる異性を夕食に誘った時の会話。

要するに、対人関係において全てこの構図になる。スポーツ競技の会場までお金を払って見に来る人たちは、当然それを楽しみにしているし、興味もある。ただ、今挙げたような日常になった途端に、スポーツの時のような観客(エネルギーを受け取る)側の心構えがない時はないだろうか。

そう、単純で平素な言葉に置き換えるなら「無関心」である。

人生において交わっている時点で、何かしらで共創していると思うが、
その他者に対して、無下にしている瞬間はないだろうか。
コミュニケーションは、一方が行うことをやめた際に破綻する。

スポーツで言うならが、無観客試合と一緒である。経験則として、選手の最高のパフォーマンスには、観客の存在も盛り上がりや一体感(共創の意識)も非常に重要である。

それは日常も同じで、なんとなく、簡単な言葉でやり過ごしているが、それを言葉ズラではなく、行動も伴った言動として見た際に、スポーツで言う手抜きをしている瞬間が多いなと思った。日常の挨拶一つにとっても目を見ずに抑揚もなく「おはよー。。」と言っていないだろうか?手抜きの試合を見ても熱狂しないのと同じで、この挨拶は熱量を高めるのに役に立たない。(これは、自分自身もそうなってしまっている時があるなと自戒も含んでいる。)

近所のコンビニで毎朝働いているおばちゃんがいるのだが、そのおばちゃんは、毎朝レジの度に「おはようございますー!(ニコッ)、いってらっしゃいませ!(ニコッ)」と挨拶してくれる。すると、僕も鏡のように同じことをしたくなる。そう、したくなるのである。そして、することですごく1日が気持ちいい。おばちゃんの熱狂に引っ張られ、僕も「共創」したのである。

ちょっと話が卓球からは、脱線気味になったが、僕が言いたかったのは、スポーツなどが生み出す熱狂は、何もプロフェッショナルな状況に限られたことではなく、日常の何気ない部分にも隠れており、それは、両者の心構え次第で大きく変わるんじゃないかと思っているということである。

そうすることで、きっと日常はもっと色づいて、
幸せが溢れる瞬間になると信じている。

スポーツはホントいろいろなことを教えてくれる。

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1985年、千葉県生まれ。明治大学卒業後、2009年ソニー・ミュージックエンタテインメントへ入社。2018年NEWPEACEへ参画。6歳から続けているソフトテニスでは、全日本ジュニア優勝の経験があり、クールに見られがちだが、体育会育ちの熱血漢。夢は、宇宙に行き丸い地球を見ること。
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