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病気になった妻に~せつなくて 愛おしくて~

3月になって、春の気配をなんとなく香りで感じられるものの、まだまだ肌寒い。通勤帰り、通り道にある街路樹は、淡いピンクを基調にしたイルミネーションで、もうそこまで来ている春を呼びこむように点灯していた。

その日、僕は一日中、スマートフォンを離さなかった。妻からくるはずのLINEの通知を気にしていた。先日受けた精密検査の結果を知るためだった。

この日の2か月ほど前、年が明けた頃から、妻は体調がすぐれず、微熱と体のだるさを訴えていた。普段、少々のことでは病院に行こうとは言わない妻が、自ら病院に行ってくると言い出した。僕は、ちょっと風邪をこじらせたぐらいのことだろう、薬を飲んだらきっとよくなるだろうと、それほど深刻には考えてはいなかった。

妻からは、微熱とだるさが続くといった風邪に似た症状以外に、脇の下が痛い、しこりのようなものがあるといった、少し不気味な症状を聞いていた。

また、妻は、眠りにつくと、よく夜中に目を覚ました。そして、パジャマを着替える。大量に汗をかいていた。ベットのシーツが、びっしょりと汗で濡れているぐらいに。冬なのに。そんな日が、毎晩続いた。

なかなか回復の兆しがみえず、近くの病院で書いてもらった紹介状を携えて、総合病院で、精密検査を受けることになった。

そのころから、風邪をこじらせた程度の病気ではないことは、感じ取れた。いや、前から少しずつ感じていたが、認めたくない気持ちでいた。

きっとネットで、妻の症状を検索すると、なんらかの病名に突き当たるだろう。でも、僕は怖くてできなかった。

逆に、妻は、積極的にネット検索で、ほとんど確信に近い形で、自分の病名を突き止めていた。

「私、がんちゃうかなって思う。ネットで調べたら、症状がほとんど一致するねん。悪性リンパ腫っぽい……」妻は、さらっと、そんなことをつぶやいた。

「いやぁ、そんなことないんちゃう? まあ、でも、心配やから、しっかり病院で検査してもらってな!」

とりあえず否定してみたものの、僕の心は、一気に曇り始めた。

ネットの情報なんて、当てにならい!ちゃんと病院で診てもらったら、大した病気でないに決まってる! 

普段はネット検索に頼りきっている僕。       でも、妻の病名を、ネットで検索するのは怖くて怖くて、怖すぎた。                                   調べることしなかった。

もしものことがあっら‥‥‥。                             決して言葉にしたくない一文字のことばが、頭にちらつく。

いや、そんなことない!                                    たいした病気じゃない!                                   検査したら、何ごともなく、                             けろっとして帰ってくるはず!

そう自分に言い聞かせたものの、気がつけば、ネガティブな未来を想像してしまう。


3歳の娘はどうなるの? 
一人じゃ無理やで。
ママがいないと!

次々にあふれ出すネガティブな未来を、打ち消し、打ち消した。
でも、打ち消すたびに、どんどん不安な気持ちは増幅されていった。

ラッシュを少し過ぎたホームは、混雑はしているものの、運よく、対面式の座席に座れた。
電車が発車した瞬間、lineの通知がきた。妻からのメッセージだ。

「やっぱり、がんやって。悪性リンパ腫。分析力、抜群やろ (^_-)-☆」

あ~何、この絵文字……。確かに、抜群やけど…。            

でも、この絵文字に救われた。妻は覚悟が決まっていたのかと思う。いや、僕にそう感じさせようとして、明るく振舞っていたのかとも思う。

「確かに抜群や! とりあえず、家に帰ってから、ゆっくり話そう。」

この返しに使う絵文字、スタンプは……。いろいろ探したが、どれもしっくりこなかったので、使うのはやめた。

僕は電車の中、初めてネット検索で、「悪性リンパ腫」を検索した。

もう、はやく知りたかった。
どんな治療をする? 
治るのか? 

ただ、「生存率」というキーワードには、避け続けた。
でも、妻の病気と向き合わうため、ほんの少しの心の準備ができた。

家に帰り、いつも通りに娘を寝かしつけたあと、妻と話した。

担当の先生から言われたことを、淡々と妻は説明した。

かなりの確率で悪性リンパ腫であること。
ただ、悪性リンパ腫には、相当な種類があり、特定して、今後の治療方針を決めるために、もう一度PET検査という検査を受けなければならないこと。治療を始めるのは、PET検査の結果後であること。
通院治療は可能だが、抗がん剤治療を行うので、はじめの1か月は入院を勧められたこと。
抗がん剤治療で、数週間後には髪の毛が抜け始めること。
抗がん剤治療は半年ほど続くこと。
しっかりと治療すれば、元気(寛解)になる人がほとんどだということ。

妻は淡々と、普通に今日あった出来事を語るように、説明してくれたが、最後の、髪の毛が抜けるということを説明しときに、一瞬声が震えた。

病気になったことよりも、おしゃれ好きの妻にとっては、紙の毛が抜けていしまうことが辛いことだったのだ。
……ああ、辛いねんな、ちゃんとわかってあげないといけないな、髪の毛のこと。

ただ、妻の覚悟はすごかった。3歳の娘の存在が大きかったのだと思う。私は治療がんばるから、とりあえず、入院している間、娘のことよろしくねと。そして、すぐにネットでお気に入りのウイッグを探し始めた。

その夜、妻も眠りついたあと、僕は眠れずにいた。
一旦キッチンへ。冷蔵庫を開け、お茶でも飲もうかと冷蔵庫の扉を開いた。僕も妻も、普段、お酒を飲まない。
でも、たぶん地域のお祭りで配られてそのまま1年以上放置されていた桃のチューハイが一本、目にとまった。何となく飲みたくなった。
そして、屋上に出てみた。
ちょっとした高台に建っている家なので、町全体が見渡せる。
ほんのりとした夜景も眺められる。
3月になっというものの、夜はさすがに寒い。それでも、外に出てみたかった。パジャマの上にセーターとコートを着て。

チューハイを手に、妻のことを考えた。
初めて出会ったときのこと。
初めてデートに誘ったときのこと。
デートで出かけたところを、丁寧に記憶をたどって思い返してみた。
結婚して、そして娘が生まれたこと……。

そんな妻が、もしいなくなったら……。
急に悲しくなった。
悲しくて悲しくてたまらなかった。
今までそんなこと考えもしなかった。
こんなに妻の存在の大きさを考えたことはなかった。
ほんのりと桃の甘さが香りとともにからだに染み渡る。

ただ、「予後は良好」との先生のことばに大きな希望が持てた。
元気になれるのならば、自分ができることを頑張るしかない。
一番つらいのは、妻。
抗がん剤治療は、とてもつらいものだと認識はあったが、想像はつかない。ここは妻に頑張ってもらうしかない。

僕にとってできることは、

娘をしっかりとお世話する。そして、ママがいない間、できるだけさみしい思いをさせないこと。

そして、妻が喜ぶ瞬間をたくさん作ること。それで、苦しさが少しで紛らわせることができればいいなと。

やっぱり外はさすがに寒い。でも、覚悟もできた。もうできることをやるしかない。
単純明快な答えが、ほんのりと薫る桃の香りとともに心に刻まれた。

このときの妻への想いが、今の僕の妻と娘への気持ちの拠り所。
こんなに一人の人のことを真剣に、大切に思える幸せ。
たまにはけんかはするけれど……、それでも愛おしい。

震えながら感じた妻への想い、それが僕にとってのかけがえのない場所だ。

妻は、つらい治療を乗り越え、先生の言葉通り、ほぼ一年後、寛解と言っていただいた。










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