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MINAMATA―ミナマタ―/アンドリュー・レヴィタス監督

2021-10-11鑑賞

「MINAMATA―ミナマタ―」(アンドリュー・レヴィタス監督)を見ました。水俣を撮ったアメリカの写真家、フォトジャーナリストのユージン・スミスをジョニー・デップが熱演し話題になっている映画です。

https://longride.jp/minamata/

「アーチストもの」の映画(定番のゴッホをはじめ、セザンヌあり、ジャコメッティあり、シーレあり…)は大概そういうものですが、たとえそれがドキュメンタリーであっても、映画はすべからく「創作」であり、そこに表現としての自由はあるわけです。登場人物の内面が「映画として」どのように表現され、それがいかに人の心に響くのかを見て、考えることが映画の醍醐味であり楽しみではありますが、一方、一般の人が普通に手にできるレベルの史実を捻じ曲げてまで脚本を構成することには、正直賛成しかねます(映画の撮影地が水俣どころか日本ですらないという事実には目をつむるにしても)。

この映画の推進力として使われる手法は「アメリカ感覚」のエンターテイメント(自分は西部劇の一変種だと思って見ていたのですが)ですが、ユージンの水俣での撮影の進捗具合と、アイリーンとユージンの愛の深まりを対比させ、また同期させるいくつかのシーンは(時系列に合っていないとしても)創作としてはまあ可であったとしても、ユージンと水俣の住民との関係性については、日本の感覚からみてありえない描き方が随所にあったことも事実です。

写真集「MINAMATA」も含め、ユージン・スミスの写真からわかることは、彼が被写体となる水俣の住民一人ひとりに対し、自分が異国の人間/外部の人間であると理解した上で、親密に相手に接して撮影を繰り返したことでしょうか。その信頼こそが彼の写真のもっとも尊い部分であって(だからこそ3年もの間水俣の地で暮らした)、例えば写真に必要な被写体との関係性を「挙手」によって民主的に手に入れるような映画上の「創作」は論外でしょう。

そういえば、自分は2017年に東京都写真美術館で開催された「生誕 100 年 ユージン・スミス写真展」を見ているのですが、規模は小さいながらも、ユージン・スミスの主要な作品を網羅する貴重な回顧展ではありました。ただ、その展覧会では、映画でも主題のひとつとなる写真《入浴する智子と母》は展示されませんでした。おそらく我々の年代くらいまでは、撮影者の名前は知らずとも、多くの人が一度は見た事があるだろう「水俣」を代表する写真ですが、写真集「MINAMATA」の版権を持つアイリーン・美緒子・スミスは、家族の意向により、1998年にその写真の公開を「封印」したとされています。賛否はあっても、風呂場での撮影という設定からすれば、アイリーンの協力(あるいは立ち会い)無くしてユージンの熱意だけでは成し得なかったはずで、日本語を話さないユージンのかわりに、智子さんのご両親を説得したのもアイリーンでしょう。彼女はユージンとは別の形で水俣の住民と関係を作っていった。

実際に「智子を休ませてあげたい」という家族の思いには胸が詰まるものがあります。被写体は「もの」ではないわけですから。智子さんが1977年に亡くなってから後も、被写体として過度に崇められ、多方面の期待に答えるべく「水俣」を背負い、時には家族に対して心無い中傷が寄せられたと聞きます。

今回の映画の中では、そのユージンの代表作《入浴する智子と母》の「オリジナル」も挿入され、20年に及ぶ「封印」が解かれたことになります。水俣病の賠償請求訴訟については、50年経った現在も未解決の問題であり、被害者とその家族の高齢化に伴い、このハリウッド映画の公開がおそらく最後の正念場だとアイリーン・美緒子・スミス氏はインタビューで答えています。当時20代だった彼女も、今では70歳を超えているはずで、それは、環境問題の活動家、ジャーナリストとしての彼女の判断であるとともに、おそらく口には出さないものの、この映画で描かれる「創作」では「MINAMATA」の核心を描き切れていないという判断が、彼女の中には多分にあったのではないかと自分はみています。

それでは映画「MINAMATA―ミナマタ―」はどうなのか、見るべきなのか、と問われれば、やはり自分は見た方が良いと答えるでしょう。国と経済と大企業の関係は、現在の原発事故にも連なる問題であり、国の責任と裁判の有り様は、被害者の「分断」によって被害者どうしの対立を煽り彼らを二重に貶める行為を今に至るまで続けていることに、この映画の「外部」で気づくことになると思うからです。水俣についての議論が自分ごととして、そして私たちの「未来」に責任を持ち続けられるよう。

監督:アンドリュー・レヴィタス  
出演:ジョニー・デップ | 真田広之 | 國村隼

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