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最悪な子どもたち/ロマーヌ・ゲレ&リーズ・アコカ監督

ロマーヌ・ゲレ&リーズ・アコカ監督の「最悪な子どもたち」を見る。映画はフランス北部の「荒れた」地区(ピカソ地区という)を舞台に、4人の子どもたちを主人公とした映画の、オーディションから作品の完成に至るまでの過程を描いたものである。

しかし正直、すっかり騙されていた…。

彼らの日常と監督の演出部分、それに映画の(いわゆる)本編にあたる部分とが、あまりにもシームレスに繋がっていることを多少は訝しく思いはしたのたが、実際には、この映画丸々全てが演出された物語でありフィクションであったのだ。繊細そうな監督(ヨハン・ヘルデンベルグ)は、我々の思うところの、ステレオタイプの監督像(監督が男性であることを含めて)そのものなのだから。

映画は「ドキュメンタリータッチ」のオーディションの場面から始まる(無論私たちは、それをドキュメンタリーだと思い込んでいる)。常にイライラして−母親との関係故に落ち着きの無いライアン、否定的で投げやりな言葉ばかりで威嚇する-しかしカメラを見返すまなざしが真っ直ぐで鋭いマイリス、更生施設から出てきたばかりの何かと軽めな男−ただし美少年のジェシー、異性との噂が絶えないリリ−それは弟の死による喪失感からの行動なのだ。彼らは良い意味でも悪い意味でも個性的である。

キャスティングディレクターとして、演技コーチとして、若者との接点を持ってきたリーズ・アコカとロマーヌ・ゲレ。彼ら新進監督は、そうした想定された-それは撮る方も見る方も双方が期待する「成長物語」の構造を炙り出す。不幸な境遇の子どもたちへのステレオタイプ、もちろんそれが「共感」の構造でもあるわけだが。

監督と出演者のような非対称な関係性に於いて起こりうる、とかく密室で取り行われがちな「交流」について、未成年の子どもたちに対してはもちろん、大人の俳優であってさえもも、当然ながら彼らの「尊厳」は守られねばなるまい。映画の中の監督は、苦悩を抱えた遅咲きの映画監督で、子どもたちに対しても「比較的に」良い部類の常識的な人間である。だがそういう彼でさえ、「映画に必要な」カットのために、時として子どもたちに対して過剰な負荷をかける、そういう監督の性のようなものをも映し取ってもいる。

このようなメタな視点を、ドキュメンタリーではなくフィクションで実現するところに、この映画の、もちろんリーズ・アコカとロマーヌ・ゲレ両監督の先進性がある。「最悪な」子どもたちに賛辞を。だが「自分自身」と向き合うべきは、子どもたちだけではないのである。第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門 グランプリ。

監督:リーズ・アコカ | ロマーヌ・ゲレ 
出演:ロマリー・ワネック | ティメオ・マオー | ヨハン・ヘルデンベルグ

オーデションのクリップ(マイリス)

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